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はないちもんめ

謳い出しって覚えていますか?
多分、地方で違うんだろうなぁ・・・・

あかさとまとめて はないちもんめ
しろさとまとめて はないちもんめ
だれかさんがほしい だれかさんじゃわからん
そうだんしよう そうしよう ちょっとまるく⇐円陣を組む
「き~まった」
〇〇ちゃんがほしい ▼▼ちゃんがほしい
な~にできめる ひっぱりっこできめる⇐ここはいろいろ

わたしの記憶より

でもってここで勝負!

勝ってうれしいはないちもんめ
負けてくやしいはないちもんめ
・・・・

えんえんつづく・・・・
終わり方忘れちゃったな。ひとりになったら終わりだっけ? 全員いなくなったらだっけかな? 最後までやり切ったことないわ

「あかさと」と「しろさと」って言ってるけど、たぶん「ふるさと」が変わったんだろうなぁ…。そんでもって「まとめて」ではなく「求めて」じゃないかと推察する。ふた組で競うから「紅白」に分かれたんだな

「はないちもんめ」のほかは「かごめかごめ」が頻度高かったかなぁ…
あともうひとつ、♬あ~ぶくたった煮え立った…だな。タイトルなんだったっけな? そのままか?

今って、こういう童謡? わらべうた? のような「伝承遊び」をする子どもっているのかしら?
あまり子どもとかかわることがなくなったから目にすることもなくなったけれど・・・・

「はないちもんめ」で、引っ張りだこだったのはやっぱり人気者だった気がする。わたしはあまり名前を呼んでもらえなかった。友だちはたくさんいたかもしれないけれど、幼稚園の頃はクラス全員が仲良しと思って疑わなかったあの頃、実はわたしは嫌われてたのかもしれないなぁ
あまりに無邪気すぎて「みんな友だち」って思っていたけれど、よくよく考えると「いつも一緒」にいる友だちっていなかったかもしれない

物心ついた頃から「だれでも友だち」だと思っていたわたしは、人見知りもなかったから、つみきで遊びたいと思えば、つみきで遊んでるお友だちのところに行き、絵を描きたいと思えば、おえかき帳を開いている友だちのところに行き、なんとなく「気まぐれ」な行動に感じるのは、その頃から注意力散漫だったからなのか、ちょうちょのように、あっちの友だちこっちの友だち…って感じだったように思う
背の小さいあの子は、おませなあの子といつも一緒…ちょっとお姉さんぽいあの子は、同じように大人びたあの子と静かに遊んでいて、わたしは外に出れば男の子に混ざって、邪魔になってよく泣かされて、でもすぐにケロッとして、他のお友だち・・・・
不思議と教室の違うお友だちとは遊ばなかったのは、わたしの視野が狭かったからだろうか


「はないちもんめ」を思い出すとき、ひとつ苦い思い出がついてくる。トイレを覗かれたあの子とのことは、初めて傷ついた衝撃的な記憶ではあったけれど、トラウマにならなかったのが救いかな~。でももうひとつ、わたしには気まずい思い出が存在する・・・・なんというか、それは罪悪感の残る記憶

幼稚園の頃のわたしは華奢で体も小さかったので、発育のいい同級生を「怖い」と思っていた時期があった。背が高くて見上げるほどのお友だちは、なんだか大人みたいで、勝手に威圧感を感じていたのだ

年少さんから年長さんに変わった時、10人くらいいちねん保育のお友だちが教室に増えた。その中でいちばん背の高かった女の子が、やたらとわたしの隣に座りたがったことがあった。でもわたしは、初めての大きいクラスメイトが怖くて「どうしてついてくるの?」とストレートに聞いた。すると彼女は「たゆちゃんとお友だちになりたいから」といった。わたしはびっくりして逃げてしまった
それまで自分から「友だちになろう」と行くことはあっても、相手側から言われたことがなかったので、面食らったのだ。というか、初めての経験にどうしていいか解らなくて、それからは毎日、なんだかんだと理由をつけては彼女から逃げていた。それでも彼女はついてくる。それでとうとう「怖いからいやだ」と言ってしまったのだ。彼女はとても悲しそうな顔をして「解った」といい、それ以来ついてくることはなかった
そのまま彼女とは口を利くこともなく、小学生になり、クラスも違って月日が経った。でもわたしはずっと心に引っかかっていた

3年生か4年生になった頃、とうとう彼女と同じクラスになった。ずっと気に病んでいたわたしは、ある時彼女に「あの時はごめんね」と謝った。でも彼女は覚えてもいなかった。もしかしたら忘れたふりをしてくれたのかもしれない。多分かなしい出来事だったから「記憶に蓋をしたのかもしれない」とも思った。「覚えていてほしかった」のはわたしの都合エゴだとは思うけれど、恥ずかしいと同時にさみしい気持ちが湧いた
改めてわたしは「友だちになりたい」と彼女に告げた。彼女は「もう友だちでしょ」とは言ってくれたけれど、わたしたちが一緒になにかする|《遊ぶ》ことはなかった
関係が悪かったわけではない。顔を合わせれば挨拶もするし、同じ班になれば話もした。でもわたしはまた勝手に、見えない壁を作ってしまったようだ
時間が解決しないこともある。心の傷は簡単ではないということだ

もっと成長したわたしたちの間にそんなわだかまりはまったくない。子どもの頃の通過点…くらいに受け止めている。わたしと同時期に結婚した彼女とは、子どもたちが同級生ということもあり福祉会館や学校でよく顔を合わせていたし、旦那さまも同級生だったから当たり障りのない付き合いは続いている
で、結婚のきっかけやお互いのなれそめ話をしていたとき、なんと彼女は幼稚園の頃の「初恋の相手だった」なんてエピソードを聞いてさらに驚いた
だって、旦那さまになった彼は幼稚園当時、わたしと同じくらいの身長で彼女を見上げる側だったから、そんな頃に彼女に恋をしてただなんて聞かされたら、ますます罪悪感が込み上げてきた。彼は彼女を外見ではなく、ちゃんと見ていた。自分はどうしてそんな風にできなかったのだろうって、ものすごく反省したのでした

また大きく話がそれちゃったけれど、これも子どもの頃の自分を解放する意味で、いいきっかけになったかな?
長々とお付き合い、ありがとうございました!(#^^#)


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