見出し画像

夏模様

最近花火を見ていない。今年は特に、どこかで偶然遭遇することすらなかった。とはいえ「花火大会」があるからといってどこそこへ出掛けていく…などという行動を今までも起こしていたわけではない。花火は、偶然出会えた方が見応えがあるし感動する

そういえば子どもの頃は、花火の季節になると屋根の上に布団を敷いて、遠くに上がる花火を家族で眺めていた。お菓子や飲み物を準備したこともあったかもしれない。そのまま寝てしまいたかったのに「風邪を引くから」と、無理矢理体を起こされ、いやいやベランダを越えて部屋に戻った
子どもはいつも、そのまま寝てしまいたいものだ。そのまま寝れたらいつの間にか自分の布団の中…というのが理想なのだ。だがそれは、いつも両親がわたしたちを担いで部屋まで運んでくれるからであって、魔法のような出来事が起きたわけではない。解っていても子どもはいつも、素敵な夢を見ていたいのだ

わたしが子どもの頃は、アニメ映画になりそうな楽しそうな風景がまだまだ家の周りに存在していた

屋根の上から花火が見える環境にあった頃は、家の裏に虹のようにかかる陸橋はなかったし、うちのベランダから見える景色は住宅地ではなくて背の高い杉林だった。そのころのわたしの家の裏手は、180度だだっ広く田んぼが長~く続いていた。最後の記憶に残る景色は秋口の稲刈り前後、そのあとは田んぼが潰されて整地されていく過程…だろうか。まるで自転車レースのデコボコのコースみたいな土くれがどんどんどんどん平らにされていく姿はなかなかに興味深いものだった
空地に家が建ち、その周りに塀が立ち、かつて県道だった砂利道はどんどん狭くなって草ぼうぼうになり、車が走れないような道になり果てていった。今じゃ砂利道だったことすら解らないくらいに、雑草に覆われ、だれも通らなくなった。そこにまだ道は存在しているのに、だ

あの頃と変わらず残っているのは線路と踏切だけ。でも、その線路の周りは整地され、ひとも車も通れるようになり、陸橋からの景観はなかなかいいものだ。子どもの頃に渡れていた踏切は、今は封鎖されている。小学校に通うために通っていた道だった。踏切を渡るとすぐ左手に牛小屋があり、下の方に換気用に開いている格子からは、あの香りとともに『も~』と聞こえてくる。油断していると驚かされた。あの牛は乳牛だった

踏切を渡った延長線上は頑丈な塀の家屋で、T字路だったけれど、実は塀と隣の家の隙間には車一台通れるくらいの私道があった。それは道ではなく右側の家の敷地だったが、その先は竹藪で、突っ切ると小学校からの裏道に出る。竹藪の手前にはちょっとしたマンションのような大きな鶏小屋があり、網の向こう側ではたくさんの軍鶏のめんどりがたまごを産んでいた
その道は小学校からの近道でもあった。他人の家の庭を通り抜けて大通りに出る…昔なら容易に利用した場所、時には軽トラックが出入りすることもあった道だが、わたしはなんだか怖くてそこを通れなかった。鶏小屋は牛小屋よりも臭かったし、軍鶏は牛よりもけたたましく鳴いて脅かす。両側からドームのように覆いかぶさる竹藪は雨が避けられるほどに密集していて、その下は当然に暗い。小学校に通う子どもには、なにかこの世のものではないものを想像させるに難しくない陰鬱な空間だったのだ。実際鶏の匂いだけでなく、黒土の、湿地で、苔だらけのそこは運動靴で歩いていてもつるつるとしていて足元が危うい。転べば固い地面に膝を打ち付けるばかりでなく、鶏の羽と鶏の糞にまみれてしまう危険地帯。ただ怖いだけではない異様な場所だったのだ

あの道が切り開かれたのは、踏切を渡れなくなってからだろうか。周りに関心がなくなるころの出来事であまり良く覚えていないが、今はそんなに怖い空間ではなくなっている。踏切は渡れないし、ちょうど陸橋の真下に位置しているので、わざわざ迂回して出掛けて行かなければ踏切の延長線上を確認することはできなくなった。そして、小学校に通うわけでもなくなったわたしは、その場所にはなんの用もなくなった

時間が経てば生活環境も変わり、子どもは大人になっていく。時代に合わせ道路や家屋の状況も様変わりしていき、目の前にあるものが上書きされていけば記憶の中からやさしい景色も溶けてなくなる
あの頃はなかった携帯電話も、あっという間に進化して折り畳みでもなくなった。メールだけでなくその他のアプリを使いこなせるようになった今は、あの夏の暑い日に線路を渡って角の店やで切手やはがきを買い、手紙を出していたことさえ幻のように思えるのだ。店がなくなったあともしばらくポストは健在だった。だが、今はその存在すら定かではない

子どもの頃は、自分の暮らしの風景をこんな風に懐かしむことになるだなんて思いもしなかった。自分が大人になったら、子どもたちを連れて、同じように花火を見て、同じように寝顔を眺め、自分がしてもらったように教えならっていくものと思っていた。間違っても、親たちがわたしたちの成長過程の端々で言っていたような「昔は…」と自分たちの時代の不自由さを語るようなことは絶対にないだろうと思っていた。自分の時代を不自由だとは思わないが、でも、時代が変われば生活も変わる。わたしたちが新しいものを使ってきたように、子どもたちも新しいものを使いこなしていくのだ。自分のことに必死で、そんなことにも気づかなかったのか…いいや、それもまた、成長過程なんだろう

暦の上ではすでに秋。目を閉じて、そんなことを思い出せるわたしは贅沢なのかもしれない





いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです