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書くひと・・・・面倒臭い

いやいやいや、書くのが面倒といっているわけではなく、わたしの文章って、面倒臭い表現って、思いません?

↑ ↑ ↑ 多分ココが、わたしの悪い癖 ( 一一)

書くひと・・・・にはそれぞれ「癖」というものがあると思うのですが、それは表現だったり言い回しだったり、締め方にしてもね? それは好みだったり拘りだったりするのだろうけれど、思い当たるふしありません?

それを踏まえて思うに、わたしの書くものは読み手にとって、もしかしたら「面倒臭い」文章のではないか…と、思ったのです。自分でも時々読み返していて「回りくどいなぁ」って感じることがある。それ思っちゃったらダメなやつなんだろうけど、それ思っちゃったら既にボツな気もするけれど、どうなんだろう?

あまりに書けなさ過ぎて(あ、求められてもいない?)、分析が始まってしまったよ笑

わたしは未熟者なので(プロットを立てないので)、一気に書ききれるわけではない。中途半端に終われば、当然つづきを書こうとする。でもね、前回の続きという部分からスムーズに入れない
これ、プロットがあったらそんなことないのかもしれないんだけれど、前に書いたものに目を通さないと続けられないのよね~

例えばそれは読書をしている時、途中で「あれ? これなんだった?」な~んて、前のページに遡ったりするじゃないですか。そんな風にね、続きを書くときに遡る。つまりは最初から読み返して、手直ししながらつづきを書いていく。だから遅筆

脳細胞も毎日壊れていくだけだからなのか、切れたところから繋げられないのですね。ちょっと戻ることもあれば最初から読み返すこともある。でも辻褄が合わなかったらそれこそストーリーとして成り立たないので、そういうものを拾い上げながらモチベーションアップを図り(upしないこともあるけれど)、次につなげていく…というわけです

わたしの場合推敲して文章が「減る」ということはない。それがいい方向に向くこともあるけれど、多分「無駄な作業」。どんどんどんどんつぎはぎのようにエピソードが増えていく。でもそれではいつまで経っても終わりが見えない。だから長編。これって下手くそってことじゃない?
だから最近は、小節ごとの文字数を設定して詰め込む…いや、凝縮させる…という書き方を試しているところです

書き手がいれば、その書き手の数だけ「書き方」というものがあるだろう。もちろん読み手も然りってことで、そんなことを改めて考えた今日この頃です


新しい小説、順調といい切れないのがなんだけど、書いてます

いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです