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なまいきざかり

忘れもしない、あれは中学一年生のいまごろだった・・・・
我が家は珍しく、近所の幼なじみの家族と一緒に海水浴へ行った。

どういう経緯でそうなったかまでは覚えていない。だが、ゴールデンウイークや夏休みなどの長期休暇はいつも、山登りかキャンプで、たいてい母方の従姉妹家族と行動することが多かっただけに、いつものメンバーじゃない海辺のバカンスにはしゃいでいたのは確かだった。

午前中は波が穏やかで、なんなくオレンジ色のボールのところまで行けた。「これ以上いってはいけません」というあれブイだ。

なんだか、そこまで行けたことが誇らしく、何度もオレンジ色のボールの所へ行っては「ペンペン」と叩いて戻るを繰り返す。なにが楽しかったのか、ただそこまで泳げた自分が嬉しかっただけなのかもしれない。

足が着いていたかは覚えていないが、ぴょんぴょんと若干足のつかないプールでするように、体を浮かせながらそこに行きついたんじゃないかと思う。
3つ下の妹たちは小学生だし、カナヅチでもあったから、当然着いてこれるはずはなく、同い年の幼なじみと一緒だったのか、ひとりだったのか、とにかく午前中はひたすらブイの周りを漂っていた。

せっかく幼なじみといったのだから、もっと違う遊びをすればいいのに、何故かその記憶しかない。

それまでの海水浴の思い出は、波打ち際でちゃぷちゃぷするのがせいぜいだったのに対し、久しぶりで自分ももう「子どもではない」と気が大きくなっていたのかもしれない。その日は朝早くから出掛けていて、午前中はひとも少なく、波も静かだったような気がする。

お昼は『海の家』ではなく、熱々の砂の上にシートを引き、母たち手製のおにぎりを食べ、定番のスイカ割りをしたかもしれない。
しばらくするとジリジリと焼け付く太陽に誘われ、再び海に入った。

午後になると、いつのまにか周りの人も増え、波打ち際も午前中の貸切感がなくなって悠々と楽しめるという感じではなくなっていた。すべての景色が違っていたことに気付くべきだった。

とにかく暑くて、波打ち際に腹ばいになり、ざぶんと後ろから水を被るをひたすら楽しんでいた。そう、確かに波打ち際にいたはずだったのだ。

近くで、自分より年上のちょっと綺麗なお姉さんたちがボール遊びをしていたことを覚えている。中学生のわたしは当然の事ながらスクール水着だったが、お姉さんたちはカラフルな水着の上にTシャツなんかを着ていた。そう記憶しているのは、腰から上が水面に出ていたからだろう。

人見知りをしないわたしは立ち上がり、ふたことみこと、お姉さんたちと会話したかもしれない。おそらく彼女たちは友だち同士で来ていて、そんな光景がまた大人びて見えたのだろう。

子どもは大人と会話をするだけで、自分も対等になった気になるきらいがある。当時のわたしは好奇心が強く、なんでも知りたがりだった。親と行動をしていない「友だち同士で出かけてきた」ただそれだけの行為に「かっこいい」と憧れを抱いてもおかしくはない。そんなお姉さんたちが羨ましかったのだと思う。

なにより、そのお姉さんたちの首元にはキラキラと光るネックレスがあり、そんな姿を眺めながら、自分ももう少し大きくなったら「あんな風になれるのかな?」なんて考えていたことを覚えている。
そこまで鮮明に覚えているのには理由があって、のちのちお姉さんたちと同年になった自分が、大きくなるだけじゃ「大人になれない」を実感したからなのだが、それはまた別の話。

気がつくとわたしは、ついさっきまでお姉さんたちより砂浜寄りにいたはずなのに、いつの間にか追い越し、お姉さんたちよりも海に入っていた。
「あ、なんかヤバいな」と思いつつも、お姉さんたちの方へ向かおうとするが、どんどん離れていく。

突然足を取られ、どぷんと頭まで水を被った。
「足がつかない!?」さっきのオレンジ色のボールはまだまだ遠いのに、なんで足がつかないの? 「あっちに戻らなきゃ…」お姉さんたちの方へ行かなきゃ…と、必死に水をかくが、顔を水面に出すだけで精一杯になってきた。

するとお姉さんたちが、いよいよザワつく。
「あの子、溺れてるんじゃない?」って。そんなこと言わずに「手を伸ばしてくれよ」と思った。でも声が出せない。喋ろうとすると海水が口に入ってきてしょっぱい。
それに、思いのほか海の水はどす黒くて、絵で見るような青さではない。そんな水が口に入ることに嫌悪感を覚えつつ、そこでやっと「やべ、死ぬかも」と不安がよぎった。

「え、溺れてるんじゃない?」「大丈夫?」言いながら、お姉さんたちが遠ざかって行くようにさえ見える。

だれかー! あの子、溺れてる!」とお姉さんのひとりが叫んだ。

いや、そこまでではない。
「まだ足ついてるし」なんて、なんの意地なのかわたしの心の中はそんな時でも強気だった。

ブイの向こうに船がいたはず!
「あんたたちはあたしのようないたいけな子どもを助けるためにいるんじゃないの!」そう思いながら探しても、船は小さく、見えるか見えないかの位置。でもいよいよ疲れてきて、わたしは砂浜にいる自分の家族を必死で探した。

お父さん、助けて
声にならない声が海の中に持っていかれる。
「やだ、新聞に乗っちゃうじゃん」それは恥ずかしい。そんなことを考えてる場合じゃない! お父さん、何してるの?「あたしのこと見てるよね?」

そのうちだれかが飛び込んだように見えた。それは色白な、隣の家のお父さんだった。
「え、なんで?」それは困る。わたしは中学生で、思春期真っ盛り。自分の父親じゃない男の人に助けられるなんて「冗談じゃないよ」
溺れていながら羞恥心が強い。そんなわたしの気持ちとは裏腹に、あっという間に隣の父はわたしを捕まえた。

なんというか、ドラマみたいに、抱き抱えられてお姫さま抱っこで助けられるものと思い込んでいたわたしは、更なる衝撃を受ける。隣の父は、わたしを持ち上げ、やり投げの棒のように砂浜に向かって投げた。

「え?」なんで? 

手を引くとか、首の辺りに手をかけて引きずるとか「もっと違う助け方ないの?」と思った。「ほら、泳げ」と、おじさんはわたしを容赦なく海に放る。自分が泳げることなんて、すっかり忘れてるよね。運動会の行進みたいに「手と足一緒」みたいな状態だよね。投げられるたびにずぶずぶと沈んでいく。まるでいじめだ。いや、救助なんだけど。

砂浜にたどり着くまで、やり投げは2度3度と続いた。そうされるごとにわたしは、飛び込みで失敗した時のように「腹うち」を繰りかえす。痛い。なにこの仕打ち。

ようやっと立てる位置についたわたしはヘトヘトだ。そんなわたしを見て、みんなが「バカだなぁ」という。
「え?」なんで? これ、冗談とか仕込みじゃないんだけど?「大丈夫か」のひとこともなく「バカだなぁ」って、あんたたち「死んでたらどーすんのよ」と訴えたかったが、疲労困憊でそれどころではなかった。

「お父さん、呼んだのに、なんで来てくれなかったの」と、息も絶え絶え訴える。まぁ、呼んだのは心の中だから、当然聞こえちゃいないだろうけど、でもお父さん、こっち見てたよね?
「たゆちゃん、溺れてるよって言ったんだよ」と幼なじみも気づいてた。だけどわたしの父は非情だった。

だって、おれ、泳げないもん

あぁ、そうだったね (-"-)

そんなひと騒動があり、気分を害したのか、そうそうに帰ることになった。
「え?」わたしのせいなの? しらけちゃった? うそ、ごめん。

命懸けだったのに!?

その日の夜、部屋で寝ていたわたしの足元には、ザザンザザンと波が打ち寄せていた。わたしの足元には押し入れしかないはずなのに、確かに波音が迫ってきていた。

うなされたわたしは翌日、普通に起きてしれっとしていたように見えたかもしれないが、日焼けの痛みと、このうえもない羞恥心に見舞われていた。

夏休み明け、幼なじみに「海で溺れた」とからかわれ、しばらく隣の父の顔が見れなかったことは言うまでもない。


いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです