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腫れまぶち 大人になったら 奥二重

子どもの頃からわたしの最大の悩みは額の一文字(深いシワ)と腫れまぶち
もちろん遺伝DNAの賜物ですが、ありがたいものではない! 断じて!

シワ=年寄りという図式が脳裏に張り付いていましたのでね、若いのにシワがある!と、少女のわたしはそれはそれは気に病んでおりましたのよ
今となってはどうってことないことだけれど、小学生の子どもにはそれを飲み込むだけの容量は持ち合わせておりませんでしてね…父を恨んだものでした(父は3本)

もちろん、遺伝は続くよどこまでも…今まさに、娘が同じ悩みを抱えている。そしてわたしも恨まれてます(;^_^A・・・・
でもね、若い瞼は腫れているように見えて、実はパチパチしてるのよ

確かにね、二重になりたかったのよあの頃のわたし。でもいつの間にか忘れるものなの、他に夢中になるものが出てくるから…恋とか?
でもだからこそ悔やまれるのは、自分に自信がない時ほど欠点が気になり、はじめの一歩が遅くなる
勿体ないことしてたなぁ…なんて思うけど、それも自分だからしょうがない

それが個性なんだと、そこがかわいい💛のだと、言ったところで信じない
そりゃそうだ、自分もそう思ってた。わたしはだれにも「かわいい」と言われなかったけどね…卑屈
だからこそ、我が子は気にして欲しくなくて褒める褒める。「かわいいよ」「あんたがいちばん」「最高よ」と

なんだろね、容姿にかかわらずこういった「勿体ない」現象は他にもたくさんあるのよね。引っ込み思案だとか、人見知りだとか、赤面症だとか…この「勿体ない」時間は人生においてはたして必要なのか?…ってところなわけ

でも、きっと誰でも思い当たるふしがあるはず…ちなみにあたしはこの他、赤面症と汗かきっていうカテゴリーもいろいろなはじめの一歩の妨げになってました

はじめの一歩を妨げるこれらは、チャンスをつかみ損ねる要因でもあるわけ
ま、いわゆる個人の特性というやつだから一概にそうとは言えないけれど…

素敵な男性が目の前にいます

→ 人見知りで話せない…アプローチが叶わず、結果知り合いにすらなれない→ 赤面症で顔があげられない…声もかけられず、結果誰かに先を越された

人前で素晴らしい発表の場が用意されました

→ 緊張しすぎて凡ミス連続…冷静さを欠いて賞を逃す、結果道が経たれた
→ 人が多すぎて気持ち悪くなる…登壇せず断念、結果才能が埋もれる

自分がやりたい魅力的な仕事を任されました

→ 人見知りで営業がままならない…材料不足で中途半端、結果企画とん挫
→ 気を使いすぎて人を動かせない…上からたたかれ仕事は進まず、結果入院

これは一例であり且つ極端な事例に過ぎませんが、こうしてはじめの一歩につまづくと、よほどの強運の持ち主でない限り次のチャンスをつかむのは難しくなる

落ち込み → 葛藤 → 努力 → 精進 → 復活 → 自信を持てるようになるまで

まぁ、これを全部ひっくるめて「運命です」と言ってしまえばそれまでだけれど、こうした特性はそういう妨げも引き起こしかねないということです
そして、世の中には「大器晩成」という言葉もあり、大人になるとこれらが素晴らしい変身を遂げ、助けてくれちゃったりすることもあるわけで…

だから人生は面白い(/・ω・)/

…という結論に達するわけですが、実質当事者にこれは通じません

そこで腫れまぶちに戻るわけですが、年齢を重ねると肌の張りがなくなりまして、本来の奥二重が顔を出す…ということに繋がるわけなのですが…これもいいんだか悪いんだかってことです

だって「なう」じゃない、欲しいのは高齢になってからの二重ではなく、なわけですから、なにを言われようが未来にどんなステキなが待ち受けていようが納得できないのです

人生は理不尽 人生は我儘 人生は思い通りにいかな

おもしろい時もあるのでしょうが、大概が面白くない
でも、その二重に悩む期間というのは一生に換算するとほんの2週間程度の時間かもしれないということです。突然の親知らず、歯痛も一生は続かない
そんな考えを頭の隅に置いておくと、ちょっとは緩和される?…かも、です

最期に、額の一文字についてですが…
子どものわたしには1本、大人の父親は3本ありましたので、ひょっとして大人になったらわたしの額も3本に増えるのか!?と案じておりましたが、ご安心召され1本のまま鎮座しておられます。今では父の忘れ形見となりました。ちゃんちゃん♪



いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです