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ひとのめ、きもち

わたしの家の隣の庭にはいい塩梅の大きさの白梅が植えられている。だが、それを「キレイだ」と眺めたことはない

わたしの家の後ろに鎮座するお宅の庭には立派な紅梅が植えられている。自宅駐車場から玄関に向かう際「あぁ今年もキレイに咲いた」とほっこり出来る

この違いはなにか!?

我が家は隣の家と後ろのお宅、そして前の家の3軒にコの字型に囲まれている・・・・


ご近所付き合いはほぼ無いに等しい

ここに越してきた頃、目の前は更地でまだ家は建っていなかった
目の前の土地と我が家が隣接するお隣さんとは多少なりとも交流があった。なぜならその年の自治会の班長さんだったから…なのだが、回覧板のやり取りの際少し挨拶をする程度だった
しかしながら都会というところは(いや、全然田園地帯なんだけど)、回覧板はピンポンをせずにポストinでいいらしいことをのちに知り、門先の少しの会話すらなくなった

隣の家にはいい塩梅の、盆栽なみに整えられた白梅が植えてある。その梅の木は家と家との境、我が家の庭の際にあり、花が終わると新芽が伸びてボーボーになる。そう、それはまさにボーボーなのだ
そのボーボーは遠慮なく我が家に侵入しているのだが、別段気にはならなかった。でも毎年、梅雨が始まるか空ける頃に剪定される。切り刻まれたボーボーが容赦なく我が家の花壇に落ちるのだが、それが拾われることはなかった
別に大した量ではないが、それってどうなの?…と思いつつもせっせと拾って捨てていた

まだ父が生きていた頃、GWは毎年実家と我が家を交互に行き来していた。ある年、両親が遊びに来た際、母が庭の草むしりをしていると、隣のご主人がやってきて二言みこと会話を持ちかけてきたことがある
その時母は、お隣との境界線にあるヒメヒオウギスイセンの間引きをしていた。ヒメヒオウギスイセンは水仙と同じような葉っぱでオレンジ色の可愛い花をつける植物だが、いちばん陽の当たるところだったせいか繁殖率がスゴイ。うっかりすると隣のフェンスの隙間から「こんにちは」してしまうので、こまめに手入れをしていたつもり。だが、その葉っぱの増殖が「気になる」と、隣の御主人は言ったのだ「種がこぼれて自分の庭に侵食されては困る」と・・・・
母は会話の中で「すみません」と言い、ヒメヒオウギスイセンは「球根だから大丈夫」と伝えた。が、葉っぱが伸びて庭の土につくと「見グサイ」的なことを言われたらしいのだ
そこでわたしは毎年の梅の木の剪定の話を母に伝えると、自分のことは見えないんだろうと窘められた

また別の年、再び隣のご主人と会話する機会があり、伐採した木がこちら側に「落ちていることがありますよ」と伝えると、他人の庭に侵入するわけにはいかないのでそちらで「なんとかしてくれ」と言われた

はぁ?

思わず口を突いて出そうになった

まぁ確かに、勝手に垣根を越えることは気持ち的にも宜しくはないかと思い、モヤモヤしたままその場はおさめた。それは仕方ないとして…だが、加えて隣のご主人は、そちらの庭に突き出してる梅の枝は「勝手に切り落としてくれていいから」という。しかしながら、枝は突き出ていたとしても枝元は隣のお庭なのでそんなわけのわからない空中カットなんぞ出来るわけがない。仮に言われた通りに実行したとして、おそらくなにか言ってくるだろうことは想像に難くないので恐ろしくてそんなことをするつもりはさらさらなかった
頭の中は「?」でいっぱい。少しの理不尽を感じながらも、揉めたくないのでそれ以上の話は控えた。だがそれ以来、なんとなくお隣さんとは距離を置くようになり、我が家の庭も母が来ないとボーボーなのでそのままやり過ごしている。ただ、さすがに始末に負えなくなったので、ヒメヒオウギスイセンは撤去した

ご近所付き合いは年を重ねても希薄なままだ。だが、多少の変化はある

わたしの家は坂道の途中にあり、後ろのお宅には見下ろされている形にある。が、家屋は奥まったところに建っているので、我が家に隣接しているのは後ろの家の土台になっている塀だけだ。その塀の上には当時ミエカナメが整然と植えられていた。だが常に整然としているわけではない。植物は育ちもすれば新芽も出るのだ

後ろの家のご主人はとても愛想が良く、数年に一度我が家のインターフォンを押す。植木の剪定をするので「お宅の敷地にお邪魔させてください」と、それはそれは丁寧な断りを入れてくれる。そればかりか、我が家の狭い敷地の中にブルーシートを貼り、剪定した枝ひとつ落とさずキレイに回収し「ありがとうございました」と去っていく。実に気持ちのいいご近所さまなのである

ある年、後ろの家のミエカナメが撤去されフェンスが設置された
もともと後ろの家はお庭で家庭菜園などして、いつもなにかしらの作業がなされている。なぜそんなことを知っているのか…別に覗いているわけではない
普通に道を歩いていても見えない後ろの庭は、我が家の階段部分に面しており、夏場に窓を開けていると、階段を下りる際様子が窺える。その程度だ。時折野鳥がやってきて賑やかなこともあり「畑があらされないといいなぁ」と余計な心配をしていた

そんなお庭の際にあったミエカナメがフェンスに変わると、我が家の玄関先から多少お庭の様子が窺えるようになった。ミエカナメがはびこっていた時には解らなかったが、季節になるといい香りをさせている金木犀のほか、後ろのお庭には実に様々な植物が植えられていた。そうして見つけた梅の木は、いつも野鳥が羽を休め、いつも密談をしていた木だったのだ。植物に詳しくないわたしは、明るくなって初めてその木の正体を知った。それがまた見事な梅の木で、毎年楽しませていただいている

玄関先に立つとフェンス越しに、後ろの御主人の作業姿を見掛けるようになる。それまでも会えば挨拶をする程度ではあったが、視界が明るくなったら顔を見るたび会話ができるようになり、たまにお庭のお野菜をいただくまでの知り合いになった。だからわたしも、お礼かたがた手料理をおすそ分けするようになった
梅の季節になると「いつも楽しませていただいてます」と、ようやっとお礼も言えた。のびのびとしていて本当に立派な梅の木なのだ。隣の盆栽のように切り刻まれた上品な梅の木もいいが、わたしは後ろの庭の自由な梅の木の方が気持ち的にも安心する

我が家にいちばん近いところに植えられている木は、ミエカナメを撤去してから植えたものらしいことを聞いた。それは奥様が亡くなった年に植えたレモンだという。毎年大きな実をつけていて、それを見るたび思い出しているのかなぁと勝手に想像している


庭に植えられている植物で、そこに住まう人間性が解るのだなぁとなんとなく悟ったわたしは、自分の家の空になった花壇になにを植えようかと悩んでいる
この辺はとにかく野鳥が多いので、実のなる木は植えられない。かといってどんな花を植えても虫がつくだろうし、隣の御主人のご機嫌を損ねるようなわさわさと増殖するものも避けたい。いろいろと悩みどころだ

後ろの家のようにレモンなら鳥に突かれることもないだろうか?
思い切って獅子柚子を植えてみようか、それとも季節の花?

考えているうちに庭はまた雑草で賑わってきている。早くどうにかしたい
ときどきやってくる猫の足跡を眺めながら、そんなことを考える日々

平和だなあ






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