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価値観

その昔、恐らくトレンディドラマの頃、劇中主人公が同僚とランチに行くシーンがあり、衝撃を受けたことがあった

主人公は同僚…だったか、もしくはママ友だったか、
安いランチの店に行こうと誘われ、財布の中身がカツカツにも関わらず「安い」の言葉に乗せられ出かけて行った。そこで同僚だがママ友が、ここのランチはとってもリーズナブルで「2000円で食べれるなんてお得じゃない?」的なことを言うのだ
周りの友人たちも同意し、楽しいランチの時間を過ごすはずが、主人公は財布を開き、小銭しかないそれに席を立ちトイレに向かう。必死でカバンの中をひっくり返して小銭を集めてジャリ銭の2000円を掴んで席に戻ると、既にランチは終了。食べることなくお金だけ払って店を出るという、なんともせつない場面であった

あの頃のわたし、いくつだったか忘れてしまったが「ランチに2000円!?」ってびっくりした。しかもそれが「安い」とは、都会のOLは高給取りなんだなぁと思ったものだ
ときどき思い出す。ランチに行くたびに「2000円がお得」が頭をよぎるが、わたしには今になってもそれが「安い」とは思えない。貧乏魂

こちらに越してきてから、たまに友人やママ友とランチに行く機会があったが、値踏みしてしまう。選べないときはいちばん安いもの…を選ぶほどではなかったが、2000円を越えたらもう、わたしの中ではランチではない。豪華な食事だ。ディナーなら解る。こんなわたしだから、まぁ3000円を越えればディナーな値段だ。ちょろい。でも、要予約のランチはそれすらも上回る。物価とかなんとか、わたしには解らないが、5000円を越えたら服を買いたいと思うし、10000円するならマッサージに行きたいと考えてしまう

どうなんだろう?

わたしはバブル時期の子どもではないが、バブルを知ってる上司と出掛けることはあった。そんなときはありがたいことに財布を開いたことがない。まぁまぁいい時代にいたのだと思う
今現在、いい年齢を迎え親にもなった。当然ながらあの頃の上司のように、わたしが財布を開くことも増えた。そこをケチるつもりはないが、唸ってしまうようなこともある。ケチなのかな、やっぱり

服や靴にしてもそう。なるべく安いものの方に目が行ってしまう。ブランド物は身に着けなくなって久しい。それほど身に着けていた記憶も薄いが、でもそれでいいのか…と思うこともある。ちゃんとしたもの・・・・?
いや、着やすかったり履きやすければそれでいい。でもやっぱり、いいものは物もいいし気持ちもいい。それは解る
なんだろうねぇ…価値観の違いなんだろうなぁ

まわりの友人たちのように、ドラマを観て女優の着ている服にあこがれを感じたこともなければ、そんな服を着れるとも思っていなかった。だって、相手は女優だし、女優の着ている服が自分が買える位置にあるとも思っていなかったから・・・・これは価値観とかいう問題ではなく、物を知らないだけだったのかもしれない。精神年齢が低かったんだろうなぁ
ただ、ファッション雑誌をめくるような精神年齢に到達した頃「キュプラ100%」という言葉に以上に惹かれたことがあった。とうとう手にすることはなかったけれど

なんだか自分がしびらっこい人間のように思えるが、致し方あるまい。そういう環境で生きて来たのだから


そうそう、ブランドの服と言えばね
先日、みゆさんの記事を読んでいて思い出したことがある ↓ ↓ ↓

わたしが20代の頃、70年代の服が再来して、周りが母親のワードローブを譲り受けることが流行っていた時期があった。鮮やかな色のジャケットや、幾何学模様のスカートなどを履きこなす彼女らが眩しかった羨ましかったことを覚えている。一方のわたしは、地味に生きて来た母親とは趣味が合わない。いや、わたしが派手好きというわけではなく、母が選ぶ色はわたしの選ばない色だったということ
あの頃は服なんてどうでもよかった。周りの友だちが「着回し」とか「おしゃれさ」を気にしている頃、わたしは自分が着れることだけが重要だった。今ほどのデブではなかったのだが、上下でサイズが違うとか、肩幅が狭いのにとかいろいろと事情がある。でもそんなわたしに、お洒落を教えてくれたのはわたしの理想の女性像だった高校のクラスメイトだった

彼女は高校を卒業したあと、駅ビルの洋服屋さんに就職した。カットソーが5000円以上もする大人のお店だったけれど、密かに彼女に憧れていたわたしは、買う予定もないその店に足しげく通っていた。もちろんわたしが好んで着るような服もなく、ただただ彼女を見ているだけで、自分も同じ土俵に立っている気分になれた。なんというか彼女の気を纏いたくて ⇐ キモイ?

わたしがはじめて買ったお気に入りのコートは、彼女に勧められたものだ。ブランド物の「ぶ」の字も知らない、田舎学生にはちょっとお高いもので、春秋と着まわせる肌触りのいいショート丈のトレンチコート。彼女にとってはいいカモだっただけかもしれないが「いくつになっても着れるよ」という、彼女の言葉はわたしには魔法だった。それを着れば彼女のようにしっとりとした大人になれるような気がした。なれないけど

そのコートは確かに重宝した。実は未だにクローゼットにある。物持ちがいいのか、捨てられない体質なのかは別として、今は袖を通さなくなったそれはお守りのようにクローゼットにある。肥しではない。特に今着てもおかしくないものだし、なんだったら娘が着ることもあり、多分ずっと手元に置いておくと思う

みゆさんの記事でコメントしたように、若い頃に自分がそうありたかった母娘の着回しが現実としてある。自分の趣味がいいとは言わんが、娘の衣服その他にはだいぶ自分の好みを押しつけ理想を求めた結果と言えるかもしれない。娘が好んで羽織っている30年来のコートはブランド物でもなんでもない、安いが売りの店で買ったものだ。値段も、今考えても全然わたし好みの値段。しかしながらしっかりしている。だからたぶん国産なのだと思う…最近ボタンが割れたんだけどね笑 

こんなの ↓ ↓ ↓
くるみボタンっていうんだね

まだまだ活躍しそうだから、付け替えてあげないとね

そういえば、ランチコートなんてのもあったね。どんなコートか知らないけど (^<^)


現在わたしはコート類を着ない生活をしている。なぜなら関東圏は温かいから…実家に帰るときにちょっと難儀する。だからニットのカーディガンがいちばんの防寒具笑





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