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乾家の子どもたち

物事は、内と外ではだいぶんに景色が違うのもだ。
いつの時代も、この世で起きる事件や出来事、ひとの手により為されるもののすべては「陰と陽」「光と影」が存在するものである。
すべからく真実というものは、思いのほか暗い部分に秘められていることがしばしばで、見えているものだけで判断するには材料が足りているとは言えない。それはまた、ひとの心も然りなり…。


とある場所に、とにかく好色な男がおり、代々その家の当主は浮名を流しては家名を広げ、時代と共に勢力を伸ばし「財産」「地位」「名誉」その他を欲しいままにしてきたという一族があった。それもこれも、家督を継がせるための男児を得ることに付随する戦利品のようなものであったが、浮名というには大仰な、家系存続を賭けた大仕事だったとも言える。
大概、そういった邪な行いには暴挙、謀略がつきもので、末路は「お家断絶」か、または「存亡の危機」というのが世の常ではあるが、なまじ権力があったためか、歴史その他を知り過ぎていたためか、難を逃れて今に至る。

そんな宿命を背負わされた一族を「いぬい」といった。

中には稀に女に興味を持たない者もあるにはあった…らしいが、現代に至るまでに、一族の血筋を絶やさずに続く執念を思えば、そういう者にはそれなりの仕掛けを施し、命を繋いできたのだと窺える。なにせ、子どもを産むのは女であり、家主が「腹いっぱいだ」と女を拒もうが、女が子を抱えてしまえばあとのことはなんとでもなるのだ。家訓ともいうべき一族に課せられた使命は、とにかく「男児誕生」が最優先であるということに限るのだった。
強欲なまでに繋げられてきた一族の血脈ではあったが、ただ「好色」のままに溺れていたわけではなく、そうして女を拒む当主がいれば逆に、一途に愛を貫こうとする者もなかったわけではない。だがいかんせん、愛だけでは一族の存続は守れなかったということである。

一途に想いを遂げようとする者がいれば、それを阻もうとする力もまた然りで、純粋に妻を娶っても、その妻に男児がなければ「側室」「妾」「愛人」と、手を変え品を変えしてあらゆる手段が施される。それが当主の意に添わずとも、である。そればかりはどうあがいても逃れられない、当主に課せられた宿命なのだ。そうしていつしか家の中には愛憎渦巻く系譜が築き上げられ、心根の優しいもの、気持ちの弱いものは、勢力争いその他に翻弄されては闇に飲まれていった。
当然のことながらこれは一族にとっては習わしであり、家訓ゆえそれらが当主の目の届かないところで行われていたとしても、だれがどう質すということもなく、そればかりか見てみぬふりを決め込む場合も然りなりで、よっていつの世も苦労を抱えて泣くのは女ばかりなり…というわけではなかった。


さて、一夫一妻制が根付いている昨今ではあるが、一族に限らず不貞をものともしない輩はいつの世も存在するもので、しかしこの一族だけは時間が止まっているかの如く「好色」の名のもとに、相変わらず「男児誕生」のための正道としての所業だけは絶えることなく続いていた。ただそれまでのように表立って女性をとっかえひっかえとはいかずに水面下で行われていくこととまる。ゆえに一族の存在そのものが希薄となり、近年では都市伝説の如くまことしやかに囁かれるようになっていったというわけである。

現在屋敷を出て暮らしている家督候補にもまた、その危険はついて回っていた。たとえ本人が家督を望んでいなくとも「だれか」が「なにか」を望んで手に入れようとする限り、それは繰り返されていくものなのだ。逃れられない運命というが、乾の名のもとに生を受けた物はみな抗うことなく捲かれていくばかりなのである。

家督争いから手を引いたつもりの現愛人の女とその子らもまた、例外ではない。離れて暮らしているとはいえ、一族の支配下に置かれていることは事実で、国外だろうと、たとえ墓の中だろうとも逃れられない、見えない糸が絡んだ囲いの中で生きていくしかないのだった。そしてそれは、裏切りもまた充分にあり得るということだ。
とにかく、乾の姓をしょって生まれた男児には、避けられぬ運命が待ち受けている…ということだ。



これは、そんな数奇な家に生まれついた子どもたちの行く末を見守る物語である。

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