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シンデレラコンプレックス

第6話 『乙女の心は花と生まれる』1


子どもの頃、背の高い子や体の大きい子が苦手だった。
同い年なのに上から見下ろされたり、顔つきが子どもらしくなかったり、
子どもなのに大人と接しているようで怖かったのだ。
理屈が解ればどうってことないことも、子どもの狭い視野には脅威になり得ることもあるのだ。

なぜ自分より大きいのか?
なぜ大人のような顔つきなのか?
なぜ冷たい話し方をするのか?

今でこそそれは「個性」だと解る。だが、解らないうちはコワイ。解らないということはそういうことなのだ。


春休みは短い。
「もっとバイト入れとけばよかったー」
授業料の期日が迫り、現実を突きつけられる。
余計なことにとらわれ、だらだらしすぎたようだ。

「月払いにすれば?」
「それじゃ生活がままならない。今年は研修が多いから」

「オレのバイト代で賄えばいいじゃないか」

「それじゃ自立してるとは言えない!」
なるべく歩多可ほたかの負担になりたくない…とはいえ、結局は手助けしてもらうことになる。

「もともとそういう約束だろ。」
ポンポンと頭を撫でる。

確かに、一緒に生活をすると決めたとき「助け合う」と約束はした。だが、助けられてばかりのようで気が咎めるのだ。

「あたし、甘えてるわけじゃないよ」
「解ってるよ。でも限界があるだろ」

「だけど、さ」
いつも、甘えてしまっている。

当主候補である歩多可には、生まれ堕ちた時から自由にできる財産が付与されている。それは生活費として個々に与えられるものだが、立場が違えば額も違う。

「なんとかなるって」
本来ならこんなボロアパートではなく、高級マンションにさえ住まえる立場の歩多可が、自力で学費を稼いで暮らしていること自体がおかしいのだ。しかし歩多可には、自分に対する待遇を「受け入れられない」理由わけがある。

わたしのそれは、高校在学まで持たなかった。歩多可の母親や、それまで世話になった親戚連中の手によって散財した。会計士に言えば「取り戻せる」と歩多可は言うが、もうあの家とは関わりたくないわたしたちにそれはあり得なかった。

(まるでお姫様ね)
きっと歩多可には、先の見えないわたしと違って、おとぎ話のようなハッピーエンドが待っている。

人は、ひとりでは生きてはいけない。まして子どもは、だれかの擁護がなければ死さえあり得る。だれしも「居場所」がなければ命を繋げないのだ。


幼い頃、女の子は「お花から生まれてくる」のだと信じていた頃があった。

(我ながらかわいらしい…)

女の子はお花から生まれ、男の子は木の実から生まれてくる。そうだったのならどんなに幸せだろうかと、お花に囲まれた生活が、穏やかで素敵に思えたのだろう。
想像の中では、虫に襲われたり、モグラの嫁にさせられたりすることもなかったが、

いつかだれかが迎えに来てくれる・・・・

その夢だけは、いつまでも捨てきれなかった。

乾家の子どもにある現実は、女の子は家(または家族)のために働き、男の子はもてはやされて大事にされる。それがわたしたち、因縁の血を継ぐ子どもの宿命なのだ。



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