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小説「オーストラリアの青い空」6

 アクリル板の向こうで、スーツ姿の領事館職員がヒロコとユウジを迎えた。エアカーテンが作動しているらしく、やりとりを風と機械音が妨げるのか、職員はヒロコらの話を何度も聞き返した。

 新型コロナウイルス感染防止のため、窓口業務縮小に追い込まれている日本の在外公館も多かったが、在ブリスベン日本総領事館は業務時間の変更はなかったものの、3月末から入館規制を実施して一度に入館できる人員を2人までとしていた。
 また、パスポートの更新などは郵送での仮申請を呼びかけ、戸籍関係などで来館する際には、ネットでの予約を求めていた。

 ヒロコとユウジは5月中旬、ヨシオとキョウコを連れて、婚姻届の提出のため領事館を訪れた。
 世界が一気に閉じていく中、リスク承知でヨシオとキョウコがオーストラリアに入ったのは、この婚姻届提出に立ち会うためだった。日本から戸籍謄本を持ってくるように頼まれてもいた。娘のヒロコはこの手続きで、ヨシオの名字からユウジの名字を名乗ることになる。

 領事館はブリスベン中心街の高層ビル上階にあり、入り口にはセキュリティー担当者が待ち構えるように立っていて、エレベーターを降りたマスク姿の4人に視線を注いだ。
 ヒロコらは額で体温をモニターされ、消毒液で手をぬぐってから、空港にあるようなX線のセキュリティーチェックをくぐって入館した。
 飛沫防止のアクリル板とエアカーテン越しに、婚姻届は受理された。
 2人以上は入れないので、ヨシオらはビルのエントランスに降りて待った。多くの企業やギャラリーのテナントも入るおしゃれなビルだが、エントランスのソファー類は隅っこに片付けられ、受付は無人で人の出入はほとんどなかった。
 ヒロコらが手続きを済ませた後、ヨシオはコンパクトカメラをセルフタイマーにして、4人だけの記念写真を撮った。


 ブリスベン中心街シティーは、平日の午前中にもかかわらず、人影は数えるほどしかなかった。日曜の朝のように、信号待ちをする車も数台で、視界を区切れば人も車もない街区さえあった。
 普段ならスーツを着こなした男女のビジネスパーソンが、渋滞する車の間を行き来して、カフェではパソコンや書類を置いて商談や打ち合わせをする姿が見られたが、新型コロナウイルス感染防止のため、連邦政府とクイーンズランド州政府は、人口236万人のオーストラリア第3都市を事実上、封鎖した。
 東海岸の真っ白い雲と青空が高層ビルの鏡面に以前と変わりなく映り込んでいたが、車のクラクションやエンジン音、耳をつんざく緊急車両のサイレンなど街の音は消えていた。
 州政府は、条件付きで飲食店の営業再開を認めていたとはいえ、ヒロコらが住むゴールドコーストとは違い、車で北へ1時間ほどのブリスベンでは開いている店が見つからず、4人は家に帰ってから祝杯を上げることにした。


 そもそもヒロコとユウジが5月半ばのこの日に、婚姻届を提出したのにはちょっとした訳があった。
 特にこだわる日はなく、早い内にと2人は思っていたが、いざ日取りを決めるとなると決め手がなかった。
 2人は愛犬ポリスの誕生日を、記念日に選んだのだ。というのも、ポリスが2人の縁を結んだからだった。ちなみにポリスという名前は、警察を冷やかしたのではなく、イギリスのロックバンドにちなんでユウジが名付けた。
 ポリスは不思議な犬だった。一見は普通のミニチュアダックスフントだが、自分を犬とは思っているのではなく、人として立ち振る舞っている節があった。

 ペットを家族の一人として暮らすのは別に珍しいことではない。
 しかし、例えば、普通の犬が散歩中に他の犬に出会うと、吠えたり絡みかかったりして飼い主は犬同士を引き離すのに一苦労する場合が多いが、ポリスは、他の犬に一切反応しなかった。
 サーフボードにもためらいなく乗って波乗りを楽しみ、ビールを飲んで千鳥足になった。病気でつらいときも、尻尾を振って励ましに応えた。
 いたずらをしてユウジに「出て行け」と言われた時には、本当に出て行ってしまった。それに、ポリスは滅多に吠えることがなかった。感極まったときだけ、泣くように吠えるのだった。
 とは言っても、仔犬のころのしつけが足りなかったのか、トイレの粗相もあったし、調子に乗って噛みついたり、犬は犬だった。太い縫い針のような鋭い犬歯が手に当たると、しばらく血が止まらなくなるほど深く傷つく。そんなとき、クーンクーンと鳴きながら「ごめんごめん」とうろたえるのだった。

 2人の出会いがあって、いち早くユウジの気持ちに気付いたポリスは、ヒロコを特別な存在として接し、ヒロコもポリスに癒やされた。ヒロコはポリスを通して、ユウジの心を確かめた。
 2人はポリスをオーストラリアに連れて行く準備をしていたが、出発直前に17歳で死んだ。

 ヒロコはポリスの誕生日に、好物だったマッシュポテトをウズラの卵大に丸め、ビーフジャーキーのかけらを載せて、ボリスの写真に供えた。写真はいつもリビングルームのカウンターに置いてあった。
 ヨシオが買ってきたスパークリングワインを開け、4人は祝杯を上げた。
 コロナ危機がなければ、パーティー好きのオージーらは、2人の入籍に小躍りして集まってくるだろう。水辺の公園でバーベキューをしたり、手料理を持ち寄り、時を忘れてビールとワインの空瓶を山のように積み上げていただろう。

 5月も半ばを過ぎると、朝夕はさすがに短パンとTシャツでは寒い。リビングの窓は通気をよくするためにも大抵は開けられていたが、その夜は閉まっていた。このため、ベランダで呼んでもらうのを待っていたポリスに、4人は気付かなかった。
 ポリスはクーンと困ったような声で鳴いたり、焦げ茶色の鼻を盛んになめて真っ黒い目でリビングルームを覗いた。時折、ごろんと寝転んで腹を見せて体をよじったりもしたが、誰も腹を撫でてくれなかった。思い余って、低い声で吠えてもみたが、気付いてもらえなかった。
 室内からは料理のにおいが流れてきて、4人の談笑が聞こえた。

 リビングのテレビは、州境の開放をめぐる論争をABCのアナウンサーが興奮気味に伝えていた。オーストラリア連邦政府は、3月下旬の新型コロナウイルス流行初期段階で、州境を閉鎖した。医療や工事関係者の車には越境許可証が発行されていたが、州境の道路には警察や軍が出て、一般人の越境を規制していた。
 大都市シドニーを抱えるニューサウスウエールズ州は、早期の州境開放で観光や経済の再開を求めていた。一方、ケアンズやゴールドコーストなど観光地があるクイーンズランド州は、開放に慎重だった。
 5月下旬でオーストラリアの感染者約7千百人の内、約3千人がニューサウスウェールズ州に集中していて、クイーンズランド州は約千人にとどまっていた。州境開放でシドニーからクイーンズランド州に人が押し寄せてくるのが目に見えていた。
 シドニーでは3月下旬、クルーズ客船「ルビー・プリンセス」の乗客から感染者が出ていたにもかかわらず、ニューサウスウェールズ州当局が乗客2700人の下船を許可したため、各地で集団感染が発生していた。
 これは刑事事件にもなっていて、クイーンズランド州がニューサウスウェールズ州からの入境を「時期尚早」とするのにも理由があった。

 4人のささやかな祝宴は続き、夜は更けていった。
 ベランダのポリスは、クーンと低く鳴いて夜空を見上げた。冷え込み始めた南半球の天頂近くに南十字星が輝いていた。

 翌朝、ポリスに供えたマッシュポテトに小さな歯形があるのを、ヒロコが見つけた。
 「ポリスは来てくれてたんや。ビーフジャーキーもなくなってる」
 ヒロコとユウジは、そっと涙をぬぐった。
 

シニアの旅に挑戦しながら、旅行記や短編小説を書きます。写真も好きで、歴史へのこだわりも。新聞社時代の裏話もたまに登場します。「面白そう」と思われたら、ご支援を!