アンザックヒル_REMEMBERANCE

戦友に誓う

アリススプリングスその2 「ハーイ アキボー」。ホテルで荷をほどいて、夕食のレストランを探しに出たアキボーとキョウコ。街の通りで、名前を呼ばれてびっくりである。おいおい、ウェイン夫婦ではないか。こんなところで再会できるなんて。がっちり握手。エアーズロック・リゾートで知り合ったばかりのオーストラリア人旅行者だった。アキボーらと同じく、レンタカーでアリススプリングスに来ていたのだった。
 ウェインはシドニー在住のエンジニアとのことで、アキボーらとはエアーズロック・リゾートの食事の席でたまたま隣り合わせとなり、お互いに負けず劣らずの酒飲みとあって意気投合というやつである。もちろんそれまで見ず知らずの他人同士だが、同世代の2人の過去に、実は共通の糸があった。

ニューギニアの激戦

 アキボーには当初「ウェイン」という発音が分からず、「ワイン」にしか聞こえなかった。「ミスターワイン」と呼ぶと、「ノーノー、ウェインだ。ジョン・ウェインのウェイン、ウエスタン(西部劇)」でやっと了解した。アメリカの西部劇俳優ジョン・ウェイン。「OK、それならあなたは銃を持っているのか」などとアキボーは、いらんことを言って苦笑を誘っていた。ワインが進むと酒飲みに国境はない。
 単語を並べるだけの英語でもキョウコの助けもあって、話は盛り上がった。その内、話題は第二次大戦に及んでいった。
 ウェインは「今の日本人はダーウィン爆撃を知っているのか?」とアキボーに問いかけた。
 太平洋戦争でオーストラリアは日本軍の空襲を受け、多くの死傷者を出している。ダーウィンなど北部の複数の都市が襲われた。シドニー沖では日本軍の潜水艦がオーストラリアの民間船を攻撃している。日本は南方戦線を有利に運ぶため、アメリカとオーストラリアの連携を阻止しようとしたのだった。
 今では、にわかに信じられないような話ではあるが、80年近く前の事実である。酒の席で政治や歴史の話はマナー違反とされている。しかし、ウェインが日本人にこうした話題を振ってしまうには理由があった。
 太平洋戦争時、オーストラリアには日本軍に占領されるかもしれない―という恐怖感が広がっていた。頼みのイギリスはシンガポールで日本に大敗、ヨーロッパではドイツの攻勢にさらされていた。当時、軍事大国日本に、オーストラリアの軍備では対抗する術がなかった。
 ウェインの父も従軍し、日本軍と闘わざるを得なくなった。実は、アキボーの父も帝国陸軍の一兵卒としてオーストラリアにも近いソロモン諸島に派兵され、終戦をニューギニア島のラバウルで迎えた。
 日豪両軍は、実際にニューギニアで激しい交戦を繰り返し、双方に数千人の犠牲者を出している。(この項目は「物語 オーストラリアの歴史」竹田いさみ著 中公新書、などを参考にしています)


 「ウェイン、ひょっとしたら俺たちの親父同士はニューギニアで戦っていたかもしれないのか」
「うーん、あり得たな」
「あなたのお父さんの銃弾が俺の親父に当たっていたら、俺はここにいなかったということか」
「その逆もな---」
 アリススプリングスの再会でがっちり握手したウェインとアキボーとの間で、そんな会話が交わされていたのだ。

▽アンザックヒルから見下ろしたアリススプリングスの街。岩ばかりのマクドネル山脈に囲まれた荒野のオアシスだ

アンザックヒル

 レストランによく気の利くウエイトレスがいて、キョウコが話しかけると、3カ月前からワーキングホリデーを利用して働いているイタリア人の学生だった。アリススプリングスのお勧めスポットを聞いてみたら、サラサラと手書きでメモしてくれた。①アンザックヒルの夕日②レプタイル(は虫類)センター③オリーブピンク植物園④砂漠公園---など。
 アンザックヒル。ANZACとはオーストラリアとニュージーランドの合同軍団を意味し、第一次大戦以来の戦死者をたたえる戦争記念碑はオーストラリア各地の主要都市に建っている。アリススプリングスでも街を一望する小高い丘に、国旗と白亜の塔がそびえていた。

△アンザックヒルの戦争記念碑。左は国旗、右は州旗、真ん中は先住民アボリジニの旗。記念碑には「忘れない」と浮き彫りにされている

灰をまく男

 碑の周囲には第二次大戦はもとより、その後の朝鮮戦争やベトナム戦争、イラク戦争など、オーストラリアがアメリカの同盟国として戦った戦争の記録パネルが並んでいた。まばらながらも観光客や市民が絶えることなく訪れ、レッド・センターと呼ばれる岩の大地を眺めていた。
 すると、アキボーらのすぐ前の上空に1台のドローンがフワリと浮かび上がった。近くにがっちりした中年男性がいて、ドローンをパソコンで操縦していた。男性は、ドローンを空中にホバリングさせると、表情を変えずに不思議な行動を始めた。
 腕の太さほどのアルミ容器から、彼は白っぽい粉をまき散らした。アキボーら以外にもオーストラリア人が数人いたが、気にするそぶりはない。周辺が白っぽくなるほどの分量が風に飛ばされていった。ドローンのカメラがその様子を撮影しているように見えた。
 「あれは遺灰か―」。意外な事態に混乱しながらも、アキボーはそう納得するしか、他に考えは及ばなかった。戦争記念碑を背景に、遺灰を散布して戦友を弔う。ドローンが撮影したその映像を、仲間と共有しようとしている―。しかし、だとすれば、どの戦争なのか。第二次大戦の帰還兵なら、男性は若すぎる。

△戦争記念碑に見える文字は「追悼 1914-1919」。オーストラリア軍は第一次大戦で約6万人の戦死者を出した

 「それが遺灰なら、世代としてはアフガニスタン戦争の関係者ではないか」。後日、アキボーらが旅行中に知り合った、オ-ストラリアのマスコミOBは、そう指摘した。2001年の9・11テロへの報復として、アメリカが始めたアフガン戦争。オーストラリア軍も有志連合の一員として派兵し、多くの犠牲者を出している。
 アフガンは歴史の一コマではなく、痛みはオーストラリア社会で今もうずいている、というのだ。「ただ、公共の場所で灰を撒くのは適切な行為ではない」とも付け加えた。アンザックヒルで灰をまいていた男性に確かめた訳ではないので、真相は分からない。

 ウェインとの出会い、アキボーとウェインの父親が従軍した太平洋戦争、アンザックヒル、灰をまく男---。オーストラリアの真ん中で歴史と向き合うことになろうとは。

シニアの旅に挑戦しながら、旅行記や短編小説を書きます。写真も好きで、歴史へのこだわりも。新聞社時代の裏話もたまに登場します。「面白そう」と思われたら、ご支援を!