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作り手へのリスペクトと、憧れと

学生時代、理学畑で育った私は、どうしても隣の工学畑への強いあこがれがありました。
理学を突き詰めても、自分の手を動かして作った新しいモノを生み出すことはなかなか困難で…(奇跡的に「理論」を生み出すことはあれど、どうやっても見たり触ったりできないんですよね…)

その一方で、日々工場(こうば)や実験室で何かを作ったり、パソコンの中に何かを創ったりする人たちが、かっこよく見えてうらやましかった記憶があります。

つくるを、鍛える

昨日、ともいきcafeに、ゆうきくんという男の子が来てくれました。
彼は、作家や脚本家を生業とすることを目指して、塾で働く傍らで、日々物語を作ったり、劇やお笑いの脚本を書いているそうです。

彼は「日々何かを生み出すようにしている」そうで、毎日twitterになにかのエッセイのようなものを残しているそうで、率直にすごいなあと思いました。

そういえば、私は最近何かを生み出す活動ができていません。(このnoteもそんな焦燥感もありながら書いています)
仕事も言われるがままに、与えられたものを「こなす」だけだし、自分から想像力と創造力を働かせて仕事をしていないなあと、反省しました。

彼の日々の取り組みは、自分の「つくる力」を落とさないため、営みのように思えました。
体力を落とさないように毎日ランニングをするように、たぶん、つくる力を維持するためには、つくる営みを意図的に続けないといけないんだろうな、と。

学生時代、研究室の先生が、毎日休むことなく論文を書き続けていたのも、意図的に執筆力を保とうとしていたのかもしれないなと、振り返ったりもしました。

つくるを、増やす

学生時代にあこがれていた企業の1つに、面白法人カヤックというところがあります。
この会社は、一言で何をしているかを説明するのが難しいのですが(街づくりにゲーム作りから、お葬式の企画までしている…)、クリエイティブだな~と思うことをたくさんしていることは間違いありません。

そんなカヤックの経営理念は「つくる人を増やす」だそうです。

私の会社は作り手よりも、担い手がたくさんいる会社です。
会社で優秀と呼ばれる人は(特に私が「エリートサラリーマン」と揶揄している社員さんたちは)、非常に器用な担い手さんたちです。

一般的に、会社という組織には、担い手がたくさんいる方が、管理コストがかからずうまく回りそうな気がします。
だって、みんながみんな、「こんなことが思いついた、やってみたい」「次は〇〇を作りたい」とか言い出したら、大変そうじゃないですか?

その一方で、そういう状況をぶち壊しに行きたい自分がいます。
私の所属する会社は伝統的なSI(しすてむいんてぐれーと)をしている企業で、たくさんの人を動員してシステムの大規模開発をするのが得意です。
しかし技術のトレンド(クラウドに支援された開発環境や、ローコード・ノーコード開発のトレンドなど)は明らかに小規模・短期間・user orientedな開発を後押ししていると思うし、少しずつ会社も形態を変えて行かなければいけないんじゃないかな~と思っています。

お客さんに頼まれたシステムをただ作るのではなく、一緒に隣に肩を並べて試行錯誤しながらシステムづくりをするというのは一つの会社の理想的な姿なのかなと思います。
会社にそんなやわらかな「つくり手」が増えていったらいいなあ。

そのためには、従来の会社と社員の管理・被管理の関係を、少しずつ見直していく必要があるのかもしれません。

つくるは、楽しい

会社の話なんてめずらしくしてしまいましたが、そもそもつくることってとっても楽しい行為ですよね。
私も週末、カフェでまかないを作っていたのですが、この調味料入れたらどうなるかな~とか、加熱時間増やしてみたらどうだろう~とかいろいろ考えながら楽しい時間を過ごすことができました。

技術トレンドに限らず、世の中の動きは少しずつ、誰もがつくることを楽しめる社会へ動いているような気がしています。なんとなく、肌感覚ですが。

ゆうきくんも、自分のつくるを鍛えるためだけに毎日創作をしているというよりは、楽しくて続いちゃってるという方が正しいのかもしれません。

私も、日々、楽しい作り手でいれたらいいなあと、思いながら過ごしています。


というわけで、みなさんの生活にも、つくるを楽しめる瞬間があることを願っています!ではでは!


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