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読書感想文(伊沢拓司『クイズ思考の解体』:第四章クイズと作問(P.431~P.381))

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以下、読むのと同時進行で殴り書きしたメモ(2021/10/21)

  ◇  ◇  ◇

・クイズと作問。もうこの文字列だけでテンションわくわっくである。What is composition?である。

・クイズを特殊たらしめている作問とな。たぶん、クイズプレイヤーはクイズに答える人だけでなく、クイズ問題を作る人でもあるという、このアマチュアクイズの独特なかんじのお話をするのだろう。

・世間一般からみたら特殊だわな。自分も大学クイズ研の部室に行って目に入って驚いたのは、無数のクイズ大会の記録集や会誌であった。まぁ、ごみ山のようにうず高く積まれていたのだが...。「たまにはクイズやるか~」って、先輩方が雑多な問題集・記録集の山から適当にピックアップして問い読みを始める光景は色んな意味で衝撃的だった。

・冷静に考えてみれば、当然に部誌のようなものがあるだろうとはわかってはいた。赤本(挑戦クイズ王への道!の王道編)を高校生のときに持っていたので、オープン大会があるのも何となく知ってはいたのだ。だが、いざ実物を目にすると、やはりリアルの感触は違うものである。

・作問文化の独特な雰囲気を感じた体験で、もう1つ強く記憶に残っているのが、はじめてabc終了後の問題集販売に立ち会ったときに見た場面である。あの熱っぽさよ!先輩が私を売り子にさせたいがためにabcに誘ってまで、他に買いに行きたいのも今なら全然わかる感覚である。
・1年目の私はちょこんと売り子をしていて、「泥酔無礼講杯」を買いに来たクイズプレイヤーに対応していたのだが、既に何回か頒布してたこともあって暇をしており、行き交うクイズプレイヤー達の様子を眺めていた。自分が地方予選で敗退した高校生クイズで、全国優勝してたラサールの子とかが普通に歩いていて、すげえ世界だなと感心していた記憶がある。若いな、大学1年生か。

  ◇  ◇  ◇

・なるほど、「アマチュアクイズ」の中の1ジャンルとして「競技クイズ」としているのね。なるほど。

・そうね、競技としているものの暗黙の了解。「そういった、ルールが存在する、と考えられている」もの。

・せやで。「規範」という概念の面白いところやで。

・ゆれてゆれて、だけど、重なるところが、共有される根本的なことなのだ。そこがまた、中央的な価値観、権力機構がない中で、多様性を容け入れるにいいかんじのゆりかごになってたんだと思う。いや、そんなことないか。具体例が浮かばん。

・そうね競技的、ね。数々の取組、例えば、2015年にTQCの上坂さんが開催したAQT(Academic Quiz Trial)なんかは、海外のそれを参考にしてコンセプトを組み、公式大会規則をつくる試みがされていた。無論、この大会用の大会規則であるため、競技クイズ全般の、より包括的なルールの枠組みというわけではないが、規則が記述され明示されたという点で、一歩、目を惹いたものであった。自分が知っている中では、ルールの明示化の動きはそれくらいであり、たびたび話題になるトピックなんだけど、それ以上先の、全体的で包括的な(かつわかりやすい)競技規則を示した動きはなかった。

・Quizologyにおいて破壊的イノベーションをもたらした三大論文のひとつ「競技クイズルール群」まで見つけ出した者は、残念ながら、ここ10年余り誰も見られない。(「存在に気が付く」までは、2人位みかけたが。)おそらくそれは、議論が積みあがらない、適切な議論の場がないことが、知見の深化をさまたげていたからだろう。パタンランゲージや創造手法の知識、概念操作の知識がなくとも、動いて試行して引き継ぎしてさえすれば、いずれ同じものに辿り着くぐらいまで近づくはずなのだけれども。

 ◇  ◇  ◇

・「厳密には競技的ではない。」ふむ、理由をきこうか。

・測定理論の話だ。

・なるほど、きれいに均されたフィールド。そうね。Quizologyでは、そこの問題を補うかのように出て来たのが、同じく1999年の7の月のアンゴルモアの三大論文のひとつ、「森羅万象データベース」であった。知識体系をしっかり記述して、そこのオンオフを丁寧に塗りわければ、そんなの到底できっこない、なんて考えていたことが目の前で可能になるのだ。そして、それは、一見、悲しい砂漠化をもたらすことにもなるのだが。

・作問者の介在を「競技的」でない。つまりは、公平ではないとしたのか。

・ここは、「企画コンセプト」という企画者論の概念が役立つのだが、もう少し読み進めよう。

・厳密な公平さなどないのだ、通常は。そもそもの、クイズとはどういうものかという見方が、この出口のない悲しみを生んでいるのだ。

・ふむ、具体にみていくのか。ついていってみよう。

・作問者は必要だ。そうだ。

・そうね、作問者はTVでは見えないからね。なるほど、これで「一方向」としたか。ということは「双方向」もあると。たしかにTVクイズの問題は、企画コンセプトだけにのっとり、ほかのどこの参加者から強いフィードバックを受けて内容が変わるなんてことは、先ずないからな。

・全員が作問者で解答者。なので、互いの立場を思って調整される。これにより、合意が形成される。と。

・「対して」が出た。2章か。もしや、周極星のおはなしが出るのかな?

・これ、あれだな、アメリカで、企業が運営していたCBCIなんかに不満でて反CBCI運動が起きてしまった現象は、これで説明や記述しやすくなるかもしれん。
・継続性という観点で、この互助的なシステムは、成功したうまい玲なのかも。んで同時に、弱点も抱えると。これ、システム・制度進化論みたいで、面白いな。

・これがkey概念。「作問者のホスピタリティ」か。なるほど。「クイズをより楽しむ」ための諸体系であるQuizologyにも合った本質的なキーワードだ。

・んで、この「作問におけるホスピタリティ」をさらに具体に解説するとな。

・なるほど、作問方針だ。

・①事実ベース、②わかりやすさ、③表現統一、④MECE、⑤判定基準、⑥基準一定、⑦正解志向。これらは、どこまで成立させるべき?

・東大王の出場者だからこそ書ける文言。例えがとても良い。


・あぁ、チェックリストは確かに言語化されてないし、共有もされていないね。

・「作問72則ダイアグラム」という負の産物を作ったことがあって、既に作問のパタンランゲージのプロトタイプは作ってたりする。これも、現実のクイズ界では、まだ、誰も作っていない。いや、作っているかもしれないが、公表はしていないのである。

・そうね、誤答は盛り下がるからね。否応なしに。

・「誤答」は強いのよ。馴れて当然になるまでは。この話は、ユリイカでも言ってたね。

・これとニュアンスは異なるけど、”正解不正解が絡んだクイズを答えてもらうこと”について、自分もクイズ企画を実施する経験を通して、参加してくださる方々に対する何ともいえない”感覚”を覚えたことがあったのを思い出した。

・クイズの作り方も、面白がり方も十分に言語化できていない、大学1~2年生の頃だった。持ち回りで、半セメスターに一回、個人企画を実施する。(まだ残っていれば、大学クイ研のウェブページに企画のページが載っている。)自分が用意した問題を正解してもらうことへの変な感覚。そして、スルーや誤答だと、何か申し訳ない感じがしてくるのだ。話題も広がらない、共通の何を楽しむのか見えない感覚。作問や司会がちょっと上手くなっても、やはり答えてもらっている感はぬぐえなかった。

・「正解してもらう」には、このさせている感が伴い、出題側なのに誤答をしている感覚。企画者側も広い意味でのクイズを解いているのだ。1対1の対応のみではない、1対プレイヤーの人数分の対応がある、そして参加者同志の組合せを元に創発されていく「プレイヤーが活躍する余地」を求め始めた原体験はこれであった。

・誤答は分断であり、そして、それは作問者にとっても恐怖なのである。そこが、クイズに入る時の窮屈さのひとつがある。しかし、ここらは”仕組み”で解決できるのだが、初学者では、そこにはなかなかたどり着けない。

・そういった意味で、作問側からも、「正解してもらう」ことを前提に作らなきゃという力が働くのだろう。

 ◇  ◇  ◇

・誤答しても納得のいく問題文。そうだ。ここにも面白いトピックがごろごろしている。

・Quizologyでいうところの「競技クイズメタ制約」の話をしてるか。しかし、そのように総合的に俯瞰してとらえてはおらず、まだ、個別具体の話なのだろうが。

・③の「これ以上改変可能なところがない」のとこは、よく炎上するトピックに関わってくるのよね。パラレルをめぐる論争()や、ガチ・バラエティ論争()とかね。

・何でそれがダメなのか?というのを誰もうまく言語化できていないから、どうしようもない不幸しか生まないやつね。ブダとペストの間には、黒くて暗い川がある。

・なにも、ふだん使っている「限定」という言葉をいじくってあげればよいだけなのだ。メタパタンの限定力という概念をまず用意して、そうすると、理不尽と思えるパラレルと納得できる分岐との違いをクリアに説明でき、指針にできるの。概念を操作して問題解決を図るという発想というか、経験、練習、能力が、クイズ界隈に限らないかもしれないが足りてない気がする。

・あと、限定力を詰めると「美しさ」の概念を、記述し、仕組化できたりもする。実はこっちの方向からの作問論のトピックが面白いのだが、果たして、彼は踏み込むか、はて?

・だいぶ反れた。戻ろう。

・「宮城→秋田」に「必然性がない」といっている。なぜ必然性がないといえるのか?まで踏み込んで分析して頂きたかった。

・そうね、ある程度突き詰めたところまで行くと「配慮の不足」は「悪意」と同義、そうとられてしまう。やっぱ、周極星の話が思い返される。

・そう。何をしたら偉いこととするのか?のゲームデザイン、企画コンセプトという考え方が頭にないと、それは公平な”ゲーム”として成立しないのだ。「正解させる」は、一般的なクイズにおいて、ゲームたりうるための要件なのだ。ルドロジーの知見や原則は、ここらへんにも応用がきく。

  ◇  ◇  ◇

・お!作問の具体の方法論の話がきたか!

・「上から作る」と、「中から作る」だね。アイディアと構文を手元に揃えよと言っておる。にゃる。

・むかしむかし、『よだれのぐだめき~企画者篇~』の中で、補足的に作問理論について外に出したことがあったのを思い出した。「中から作る」の方は、型からはまる素材を見つけるやり方なんで、型の説明が必要で嵩張るからと、外に出したものから省いていたものであった。作問学メインではなく、クイズ形式学や企画実施学が主軸のお話だった故。なつかしい。

・んでホスピタリティに満ちた作問のやり方の話ね。面白くもない、正解できるだけのクイズ問題からどう脱却するかのお話。これは期待。Quizologyでいうところの「面白ポイント」のお話になるんだろうな、これ。

・面白のためには、想定参加者群を適切に設定し、それを精緻化する知識ネットワーク図の理解、そしてネットワーク上での起点から「深さ2」をぶつける。というのが、とりあえず王道のセオリーである。

  ◇  ◇  ◇

・「x + y = 10」のお話は、ツッコミどころがあって、一見ではわかりませんね。例えがよくない。わかりやすく言おうとして、わからなくなるパタンね。難易度に対し、アイディアと構文が負の相関をとることに一見みえるが、そうなのかしら?具体例を見ていけば判るかも、読み進めよう。

・アイディア、構文の順か。

・さて、アイディア編。

・なるほど、一連の知識ネットワークの制約を満たす文章を用意して、そこから切り出していく、「源泉かけ流し露天掘り」とでもいうべき手法か。たしかにこれはとっくみやすい効果的な手法だ。思わず手をうった。
・できあがったネットワークからお好みで取り出していくやり方。これはある意味、森羅万象データベースの使用方法の一つを、ディストピアでない自然な形まで弱めたものとも見てとれる。にゃるほど。しかも、「学校の小テストのように」と、皆が持っているフレームを使って説明するのは、実に効果的で素敵である。

・ところで、当初の疑問は解決されていない。これはこれで、あるトピックから、難易度や適合度の幅をもったクイズを作る方法としては面白いが。

・「構文」ってのが具体に何かがピンと来てないな。第二章で詳しく書いているのかもしれん。そういえば、ここ4年くらいで、クイズでも”構文”ということばで新しい展開があった記憶。

・たしか、メモノートに残してたと思うが、記憶で出てこない。。後で調べておこう。構文というと昔ながらのパラレル、名数とかのメタ構造的な言い回しのものや、語源、代表作のようなファセットレベルでの言い回しなんかが、よく知られているが、亜ファセットとか亜メタ構造とでもいうべきか、「その名に反して~、」とか「~で~に名を残している、」(たしか、特徴的な〇〇構文として名前がついて話題となっていたんよ、鳥居さんが2年前くらいにみんはやで出していた記憶。)などのように、ファセットとメタ構造とが重なるOFPmがクイズになっていることを知り、なるほど、面白いと思った記憶がある。たぶん、この本がいう構文って、これのことか。

・いや、それも含むけど、どのみちObjectに制約されるものだから、どちらかというと、メタパタン、クイズ分類木の第4レイヤーのお話やな。もうちょっと浅い(レイヤー的には深い)前振りとかのお話、あるいは、OFPmのFでなくmのお話だろう。

・とりあえず読み進めたが、まだ、なんかぐちゃぐちゃしているな。分けて説明して、最後にどっちもあわせての説明とすれば、より分かりやすくできたろうに。どうしても、項目をわけると、そのように二項的なものとしてとらえる先入観がでてきてしまう。ここらへんは書き方とか章立ての仕方で、誤解を減らすよう工夫できるところだろう。

・んで、構文論。

・なるほど、なんか第二章の内容がうっすらみえてきた。

・要はQ(クイズ)=フレームf(x)と、事実xとに落とし込んだんだね。"史上初ポイントその2"として、クイズ問題文のフレームワーク化とあげていたのは、これのことか。おそらく。

・フレームワーク法、なつかしいなぁ。

・拙著『よだれのぐだめき~企画者篇~』で扱ったフレームワーク法だ。いや、正確にいうと、当時のぐだめきでは、アナロジー法のことをフレームワーク法って名前を当てはめてしまったが、「中から作る(型から作る)」の諸所の手法全部がフレームワーク法なわけだ。広い目でみれば、作問技術全般が広義でのフレームワークで、MCL法(マトリックス・チェックリスト法)なんかも、フレームワーク法のひとつである。

・…...というか拙著とかいって、世に出してなかったね、あれ。仕事とかプライベートとか忙しくて、物質化するのほっといたんよね。無理くりでも頑張って出しとけばよかったわ。

  ◇  ◇  ◇

・x+y=10の真意がなんとなくわかった。

・x+y=10をxについて、つまりアイディアについて変形すると、x=10ーyとなる。ここで、xを決めてしまうと、おのずと使える構文yが決まってくるよ。と、構文のメタパタンも含んだ事実ネットワークとの空間でとらえ直したわけだ。んで、同じようにy=10-xとすれば、y、つまり構文を決めた上で、目指す難易度帯に落ち着くxは絞られてくると。

・なるほどね。なるほどである。なんか、わかってきた。

・これ、x+y=10とすると、xとyが難易度を表す10と同じ次元で捉えられてしまうので、より正確には、難易度をDとすると、D=f(x、y)だな。xとyの組み合わせでDが一意に定まると。もう少し正確にいうと、Dというのが固い問題文の構造で、それを想定参加者の適合度P=g(D)として合わせたものだ。

・ただ、f(x)とか出てくると、一般読者にはわかりづらい。そこでリタイアしてしまうから、x+y=10と簡単にしたんか。なるほど、けど、多分、ここまで普通は読み取れないで。勘違いするぜよ。
・いや、逆か。実に読者を想定しての難易度調節ができている、見事だと思う。

  ◇  ◇  ◇

・お!さらに踏み込むか。ちゃんと、段階をふんでいて、素敵だね!

・限定確認の話か。限定力の周りのお話を、「一意性」とよんでいるな。

・この作業も森羅万象データベースがボロボロにすると想像すると、おそろしい・・・。

・んで、裏取りの話。これも、知識OS機能をとりこんだレベル5以上のデータベースなら、不要な作業になるのよね、、おそろしい・・・。

・裏取りも技術あるのよ。殊更、「ものごとを調べる力」は、大抵、大学で訓練することとなるからねい。ちゃんとマジメに大学で取り組んでいればいいんよ。大事よ。マジで。
・高卒と大卒との違いは、ここに表れると思う。ちゃんと卒論を提出して卒業してきた人は、仕事で作る文書や資料もそこまで変になってない感覚はある。(まぁ、なかろうがOJTで結局身に付けるのだけど。)大事よ。マジで、大学の勉強。弟たちにもことあるごとに伝えて来たことだ。

・そうなんよ。早押しクイズの問題だけで、作り方こんだけかかるんよ。それ以外の中級編までいかんのは、それくらいに作問学は知見が積まさっていないのだ。皆の作問術を、もっと見たいのである。これは切に思う。

・そうね。面白さのメタパタンがあるのよ。それが、面白パタンの一部は作問72則ダイアグラムにも組み込まれているやつぜよ。

・お、いきなりきたね。

クイズという複雑なゲームは、果たして研究し尽くすことができるのだろうか?

・そうよ、そうなんよ。知るほどに深く深淵が見えてくるんよ。

・「クイズとは何か?」は、クイズ基礎論のお話だね。これからの問いが楽しみぜよ。(終)

〇SUPLEMENT

・作問者は神ね。能勢本。一人歩きして都合のよいように解釈されてるよね。自己弁護のために使うものではなく、他者容認のために使うものなんよ。子供がしたことですからと同じのろ。

・お、ちゃんと書いてる。ちゃんとしてる。

「なお、この式ではxの値が増加するとyの値は減少するが、その点については意味がない。このたとえで言及したかったのはあくまでxとyが相互に作用し合うことのみである。」

・第二章で「形式」と「実質」の乖離というのが出てくるのか。実質ってなんだろうか。

・石野イズム。もりチズム。そうね、型を身に付けて初めて型破りぜよ。守破離ぜよ。

・理由を問うタイプね。少ないよね。その昔に(狭い意味での)東大風とかシステムF風とかいわれてたあれね。クイズ問題の変遷は、OFPmmrccの順に進んでいくからね、見えやすい順に。ここが美味しいとこで、それこそOFPmレベルにもフィードバックして、より楽しくなるとこなんよね。うん。

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