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ランナー記事

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実際にお会いしたランナー、またビデオチャットを通してインタビューを行った世界中のランナーたちにとっての”ランニング”について紹介しています。
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ランニングは悩みの解決策

シドニーで一緒に走ってランナーの1人、マシュー・ハドソンについて紹介したいと思います。 3000m 8分09秒 5000m 14分06秒 10000m 29分16秒 ハーフマラソン 65分49秒 上記の素晴らしい記録を彼ですが意外にもランニングを始めたのは27歳の時で今から9年前でした。 10代後半から20代半ばまでスポーツとは無縁の生活で週末はパーティーで飲み明かす日々だったと言います。当時のIT企業で夜のシフトで働いていた彼にとってパーティスタイルの生活に最適でした

マラソン大会ディレクターの考えとは

カナダ、バンクーバーで地域のレースディレクター、またランニングクラブの運営も務めるライアンさん。 ランニングを始めたことが人生の転機になったと言います。 元々はレストランの運営をしていましたが、過剰なジャンクフード、アルコールの摂取、そして不規則な睡眠のサイクルにより体重はみるみる増えていきました。 悪い生活習慣を断ち切るために始めたのがランニングでした。最初は近くの海沿いの周回コースを少しずつ始め徐々に距離を増やしていきます。 8kmを余裕を持って走りきれるようになった頃

ランニングで人としても走ることで成長できた。うつ病を乗り越えたパワフルランナー

オーストラリア在住、建築業界で働くバリーさん。 私が彼と出会ったのはシドニーのランニングクラブでした。体型も大きく力強い走りをする彼は練習でもチームのムードメーカーとして活躍する彼について紹介したいと思います。 元々は心身ともに不健康だった過去を脱出するために始めたのがランニングでした。 当時はうつ病に悩まされ、時々ひどい不安感に襲れることもしばしばあったと言います。何かにチャレンジすることが心をクリアにしうつ病の改善に役立つのではと思い選んだのがマラソンへの参加でした。マ

チャレンジするかは自分次第。カナダ人作業療法士ランナーから学ぶ

カナダ在住のマリーブさん。 2児の母、作業療法士として働きます。 忙しい日々の中も週5日のランニングを行いウルトラマラソン、トレイルランニング大会への出場を楽しみます。そんな彼女のランニングについて伺いました。 走ることは幼少期より生活の中にありました。高校生になるとクロスカントリーの大会にも出場をしました。しかし当時は個人競技よりもチーム競技に魅力を感じバスケットボールがメインだったと言います。ただバスケットを中心にスポーツを行いながらも、体力づくりで友達とランニングは

北米で人気のRock'n Rollマラソンのアンバサダー 。走ることで広がった人生

カナダ、バンクーバー在住のリサさん。 公務員として働きながら、欧米を中心に行われるRock'n Roll マラソンシリーズ、Lulu Lemonのアンバサダーを務めます。 ランニングのおかげで大きく道が拓けたという彼女について紹介したいと思います。 ランニングを始めたのは今から15年前、エクササイズのクラスに参加したことがきっかけでした。当時は4分続けて走るのが精一杯だったと言います。 週に3回のクラスに通い8ヶ月経った頃、クラスの仲間から10kmのマラソンに誘われたこと

東海大と走ったオーストラリア人学生ランナー

エドワード・ゴダード。 アメリカ、アイオナ大学院に通うオーストラリア人の学生ランナーです。 昨年5月、東海大学、東京農業大学駅伝部、そして2つのトラックレースにも参加をしました。 私と彼が出会ったのはオーストラリア、シドニーです。彼の練習場所と当時私が滞在していた場所が近かったこともあって、一緒に走り出したのがきっかけでした。 自身の成長のためいろんな環境にチャレンジする陽気なオーストラリア人学生ランナーのランニング人生はどのようなものでしょうか。 彼がランニングを始めた

ランニングも人生もアップダウンの連続〜心ゆくまま走る

カナダ在住のベンさん。私がバンクーバー在住時には色々と大会情報を教えてくれたりと手助けをしてくれた恩人の1人です。 変化していく気持ちを感じ取り、心ゆくまま走るカナダ人ランナー。 そんな彼の走るについて紹介したいと思います。 走り回ることは幼少期の頃からあり、それは運動であり、楽しみでもあったと言います。高校生になる前の夏には走ることが少しばかり本格化したようですが、せいぜい15分を週2、3回のようでした。高校に入学してからも走ることを続けたかった願望もあり、学校が始まる

愉快なランナーは学校の先生〜楽しい人生のヒントとは

オーストラリア在住、高校教師として働くニックさん。 ランナーやコーチでもあり、デザイナー、アンバサダーとしても活躍。そんな彼のユニークな生活を紹介します。 両親の勧めでアスレチッククラブに参加したのは8歳の時でした。当時は水泳をメインでした。なのでランニングは体力づくりのサポート的な役割だったと言います。毎週土曜日だけ参加していたクラブでしたが、クロスカントリー大会では州大会にまで進むことで徐々に走る楽しさを見出したそうです。 15歳になる頃には水泳、もしくはランニング

急がば回れ〜走れる喜びを忘れないこと

シンガポール在住のモカタさん。 63歳ながら1500m,5000mを専門にして走る、マスターズランナーです。 そんな彼にとってのランニングの中心にあるものを常に喜びを感じることだと言います。 モロッコの小さな村で生まれた彼の幼少期は常にランニングと共にありました。トラックや練習プランに従って走るのではなく、走ることは常に生活の中にあったそうです。友達とかくれんぼをしたり、学校までは走って通ったりと活発に動き回りました。そんな生活は学生時代まで続き、彼自身の勉強を終えると大学

バスケットボールとマラソン!ギネス記録保持者のイギリス人とは

イギリス在住のケビンさん。 そんな彼はバスケットボール2つを、ダブルドリブルしながらフルマラソンを走るというギネス記録を持っています。 その記録は3時間50分26秒。 そんなケビンがランニングを始めた理由はなんだったのでしょうか。 現在48歳になるケビンさんが走り始めたのは10年前、妹に誘われて出場したハーフマラソンがきっかけでした。しかし全力で走ったにも関わらず妹に全く歯が立たなかったと言います。 その2年後には初めてのフルマラソンも完走。3時間56分2秒でした。

日本を走ったイギリス人記者とは

「日本を走ったイギリス人」 本屋で見つけた一冊の本の表紙に書かれたこの文字がすごく印象的でした。 イギリスの首都ロンドンから4時間弱の電車に乗り、私が向かった先はイギリス南部に位置するデボン州の小さな町トットネス。 駅で待ち受けてくれた男性の名はアダーナン・フィンさん。イギリスでベストセラーとなった「The running with the kenyans」「The way of the runner(日本語タイトル:駅伝マン)」の著者。 実際に家族でケニア、日本に半

トップランナーも多様多種ということ

一歩外の世界に出ると、時にユニークなランナーに出会うことがあります。 オーストラリア生活で彼との出会いにより私自身の競技へ対する見方が変わりました。現10000mオーストラリア記録保持者、ロンドン・リオ五輪2大会連続代表であるベン・セント・ローレンス選手を紹介します。 ベン・セントローレンス選手はオーストラリアの10000m記録保持者でありながら、2006年まではストイックなアスリートではなく日々遊び暮れる若者だったそうです。朝起きれば路上で起きることも度々あったとのこと

アルコール依存を乗り越えトップランナーへ

「悩みを打ち明けることは弱さじゃない」 アルコール依存症を乗り越え、オーストラリアのトップランナーとして活躍するハリー・サマーズ。友人であり、かつ前回紹介したベン・セントローレンス同様、私のランニングへの狭い考えを打ち砕いてくれた一人です。 ベンの記事はこちらから。 2015年の8月、ハリーと出会ったのはオーストラリア、シドニーにあるランニングクラブへ初めて参加した日でした。 メニューは2000m+1600m+1200m+800m+400m。 早速一人が飛び出す。オリ

トップコーチに学ぶ指導法〜走ることから楽しみを見つける大切さ

メルボルン在住のショーン・ウィリアムズコーチ。 オーストラリアの名コーチの1人。クラブチームにて3歳から60歳以上までのランナーを幅広く指導。その中には世界陸上、オリンピック、世界クロカン、などの国際舞台で活躍する選手達もいます。そんな彼のコーチング理論について聞くことができました。また私自身も2015年から2016年にかけて9ヶ月間の指導を受けた経験も元に紹介します。 彼自身が指導した選手の中には以下の選手たちがいます。 ベン・セントローレンス(ロンドン、リオ五輪500