愚痴口の生い立ち

はじめてのおノート(になるはずでした)。
なんか絶対生涯を語るなんて長くなるに決まってるんで分けよっかな、ってことでまずは普通に小さいころから人生をなぞっていこうじゃないかの会です
おもろエピソードを頑張ってひねり出します


幼少期まつ

なんか「まままつ」の後ろ取って「~まつ」がかわいいとおもったのでこれ採用する

海近くそ田舎に生まれ落ちました。幼少期は住宅に住んでいまして、附属?の公園があったのでお友達と遊んでました。まだこの頃は自分が運動音痴だなんて知る由もなかった。

自分三男の末っ子やらせてもらってて、上に二人の兄がいます。しかも10歳と12歳上の兄。もう結婚してるし何なら甥姪もいる。母に、「修はどんなお嫁さん連れてくるのかしらね~ニヤ(圧圧)」と言われたの結構印象深い怖い。
甥姪がとにかくかわいい。ちっちゃい子て可愛い。無理。

兄は二人とも野球部で、幼稚園生だったころ、週末は早朝に起きて兄の練習試合を見に遠くの球場まで…という生活を送っていた。まって。今気づいたけど自分がいま睡眠を常に欲してるのってこの時のせい…!?(違う)
たぶんこの生活が嫌すぎて自分の脳には「絶対野球はやるんじゃない」という命令がインプットされたんでしょうね、ずっと音楽を好む人生がスタートしました。
お父さんも兄二人も野球やってて、自分だけ野球にかすりもせず音楽して、両親には「もしかして家の子じゃないかもね」なんて半笑いで言われた。普通にひどいぜ。

小学生まつ

もう10年以上前のことなんて覚えてないや、って思ったけど意外と出てきそう。

小1まつ、AKBにはまるの巻

AKB全盛期にちゃんとはまりました。ヘビーローテーションをヘビロテしたり、母のガラケーの着メロ聞いて遊んでたりとか。
事件と言ったら、小学校の給食の時間。お昼の放送でAKBの「フライングゲット」流れてきて、それ踊ったんですよ。しかも席がちょうどど真ん中。教室のスピーカーの真下。もうあっちゃんばりのキレで踊ってたんですけど、周りから聞こえる笑い声に耐えられず泣き出してしまうわけです。
そのあと先生が、「人が好きになるものは自由でしょ、笑ってバカにしちゃだめだ」って言っていて、後から考えたらなんかめっちゃおもろい諭し言葉だぁ。その諭しを受けた他のクラスメイトは歯磨きの時間にいっぱい謝りに来てくれたのめっちゃ覚えてるな。小1かわいすぎだろ。

小2まつ、目をケガするの巻

たぶん、小2の話。
当時縄跳びがクラスで爆流行りしていて、休み時間・昼休みは外とかバルコニーでずtttっとぎゅうぎゅうになりながらみんな縄跳びしてた。あぶねぇ。
ほんでそれに引っかかったのがうちってわけ(縄だけに☆彡)
昼休みが始まってすぐ、よっしゃと意気込んで縄跳びしたのはいいものの、前でやってた子の縄が目に当たりまして、悶えてた。
ちょうどその日の昼休みは児童企画の”子供自慢大会”っていう超人気イベントやってまして、縄跳びそっちのけでみんな多目的ルームやらに行っちゃって自分だけ教室に一人置き去りに。超超超孤独やった。一人で座りながら手で目抑えてたの覚えてるもん。
そのあとは全然覚えてないけど、なんか今無事だからよかったよねーって感じイェイ

小3まつ、習い事を始めるの巻

元々英語教室はやってて、そろばんをやり始めた。今自分が数学専攻なのはここでそろばんやってたからかな。
うーん。どっちの習い事でも泣いた記憶は鮮明に覚えてるなぁ。やっぱつらい記憶は簡単に思い出せるなぁ。

英語教室は、地域の文化センターでやってたんだけど、発音か何かを先生に馬鹿にされてめっちゃ怒れて教室を颯爽と(?)抜け出して何も持たず徒歩で家まで(約15分)帰ったの覚えてる。
結局家の鍵も持ってなかったから家着いてまたその文化センター戻ったな(計約30分)。そしたら、一緒に英語教室受けてる子とその親たちが探しててくれて、大声で名前呼んでくれた。うわなつすぎる過去。

そろばんは、教室の先生がめtttっちゃ怖いおじいちゃん先生で怖かった。とにかく。そろばん教室は小学校の下だからいつもは学校終わった後そのまま行くんだけど、なぜかあの日はそろばん教室あるの忘れてたのか一旦家帰って、そのあと泣きながら走りながら教室向かったな。爆泣きだったからか全然怒られんかった。なんでやろ。
この教室、小6ぐらいにおじいちゃん先生亡くなって数年はおじいちゃんおばあちゃんが代々やってたけど、今どうなんだろ。気になる。
もうちょいそろばんの話させて。
そろばんの大会とかは全く出なかったけど、「出れば??」ってめっちゃ先生に言われた記憶。読み上げるやつあるやん?(願いましては~のやつ)あれの暗算大好きだった。
やめたきっかけは、ある級を取ってから、って決めていたんです。
自分が通ってたそろばん教室は全珠連と商工会の二つの試験を受けることができて、(全珠連がいわゆる一般的な~段とかのやつで、商工会はちょい特殊な試験で全珠連よりむずくて1級までしかない)その商工会を1級まで取ろう、そこまで取ったらやめようって決めていました。何でかって?なんとなく、時期的にもうそろそろやめようとか思っとったからかなぁ。
結局全珠連は珠算が参段、暗算が準五段(ぐらい)、商工会はちゃんと1級とってそろばん人生終了です
商工会の試験、合格したはいいものの合格証書(ちゃんと写真付いてるやつ)もらわないまんま抜けてしまって、結局賞状もらったの高校生とかだった記憶。
やべぇそろばん語りすぎた、それだけ想いが深かったってことだ。

あ、あと引っ越しました。同じ町内に。

小4まつ、色々な書物に載るの巻

書物、とか言ってるけど載ったのは二つだけ。町内広報誌と普通の新聞、たしか中日だったか静岡新聞だったか、曖昧な記憶。
町内広報誌は、成人式の時の写真が使われました。
……………………?成人式?   うん、成人式。
ちょうどお兄ちゃんが成人式でね。小4のくせに成人式行って写真まで撮られちゃった照

あとは新聞。新聞にはなんとこの私の作文が掲載されました!!!
自分の文が選ばれることなんて後にも先にも生涯に一度だけ。絶対。だって絶対自分国語苦手なんだもん
作文を書いた経緯は全く覚えてないんだけど、自分だけ担任から赤ペンだらけの直しを返された記憶だけある、何も知らんかったあの時は普通に辛かったぴえん
肝心な内容ですよね。夢について語ってた。歌手になりたいとか、NHKののど自慢大会に出るんだ!とか書いてた。まぁ、”音楽の街”出身なんで^^
ほんでその作文読んでくれて、「NHK出たら教えてくれよ!」って言ってくれたあの友達は元気にしているだろうか…

小5まつ、運動会ガチるの巻

運動会でソーラン節やるじゃないですか、やっぱ踊りなんでガチっちゃいますよね。
体育の授業で運動会の練習があって曲に合わせて踊ってたら、いつのまにかガチってたらしく、前で見てた先生に指名されてフロント抜擢。
小4だか小5で騎馬戦と城落としってやりますよね。ってこの前友達と話してたら「城落としってなに??」って言われたの思い出した。簡単に言うと簡易的な城の中へ玉入れして先に城を爆破させたほうの勝ち、って感じの競技。結構物騒。
そういやこいつ小学校は6年間ずっと学級対抗リレー選抜入ってます。意外でしょ

小6まつ、給食委員長になるの巻

といっても特にちゃんと仕事した記憶ない。
あと学級委員長もやった記憶だけあるけどいつやったかは全く覚えとらん
あとボードゲームクラブのクラブ長?もやったけどマジで記憶ない
あ、クラブ長決めたとき、立候補からじゃんけんする、って決めて結構人数いたところから1対1まで行って、結局その対決負けたけどなんかごり押したらクラブ長なれちゃった。あの時の対戦相手ごめんね、許して

小学校で自分が作り上げたジンクスは、「予防接種するとインフルエンザになるが予防接種しないとインフルエンザにならない」だな
中学までぐらいはこのジンクス立証してた。高校とかになると予防接種しないと普通にインフルかかってたから「予防接種するとインフルエンザになる」だけ立証してる。
なんや、ただのインフル抗体ないやわいやつやんけ。

中学生まつ

うーん、さすがになげぇな、区切ろう、一旦中学生まででノート終わろうかな

中1まつ、消極的になるの巻

なんか、中1の記憶が全然ない。ガチド陰キャやったのかも。
中学で病んだ記憶は別にないけど、中3の時に書いた文章があまりにも闇深かったのか先生に呼び出されて「何かある…?相談乗るよ…?」と言われた記憶
なんだか、中学、というか小中合わせて普通に遊ぶような仲の友達を作れなかったな、という反省
中学時代ド陰キャすぎて、友達と遊ぶ、という概念が頭の中になかった。それこそ部活はやってたけどそれ以外で何かするということがマジで全くもってなかった。成人式大丈夫かな、陰キャ発揮せんかな。
そういや成人式って二十歳(はたち)の集いに改名されましたよね、正直に言ってダサいかも。

中2まつ、放送ガチるの巻

放送は放送でも二つあって、放送部と放送漢字です。
~放送部~
放送”部”とは言っているんですが部活じゃないです。どちらかというと委員会寄り。学年の中で5~6人立候補募って放送部のメンバーが決まります。中学は、その年の後期~翌年の前期という区切りが多く、放送部もその一例で、一年後期~三年前期までの任期でした。
そしてそしてまさかの放送部長就任。まぁ、「今日のお昼の放送は~」なんて一回も言ったこともないけど(機械担当)。ひそかにやりたいという気持ちはあったけど、前部長とか生徒会の担当教員とかで勝手に決められてたらしい。こわ。
放送部長で学んだのは、「計画性」。ほんまにそれが自分に足りてなさ過ぎたと実感した。毎月お昼の放送でキャンペーンやるにも始動が遅すぎたりなど失敗は様々。あと生徒総会がばか緊張する。全校生徒の前で今期は何します、とかって発表すんの。ほんま怖かったーーーでも絶対放送部のおかげで陰キャ度減った。(陽キャ度は多分増してない)
めっちゃ大失敗は、笑ったことだな、確実に。2年生前期、(やってみよう)の期間で先輩から託されて挑戦したある日の放送。これほんとによくないんだけど、いっちゃん最後の最後に放送担当の人が噛んだわけ。ほんまによくねぇぜ。それにつられて、担当の名前言うところで「機械担当:いぐtwwww」ってなりまして。もうそれした1秒後には真顔よ。
その時の部長と一緒に、その時放送部担当だった鬼怖教師に謝りに行ったな、ほんとうに謝罪です
やばい、めっちゃ長くなってる、しょうがないか(おい)

~放送漢字~
まずこいつはなんぞや。説明して進ぜよう。週一で行われるテストで、ある漢字のテキストに載っている例文が10問放送で読み上げられるというものです。漢字はもちろん間違えてはいけないし、とめはねはらいもしっかりしていないと減点。
ほんでこのテストを一つの学期ずっと満点だと「学期満点賞」、一年間満点だと「年間満点賞」がもらえます。
ガチったということはお気づきでしょう。ええ。学期満点賞は取れました。学期満点賞は。くそぉぉぉぉぉx
普通にあと一点…とかありましたよ、ほんとに腹立つ怒
まぁ、中3まつが年間満点賞もとったんですけどねっ✨
学期満点賞はメダル、年間満点賞は盾がもらえるんで、実家にはメダル5個ぐらい?と盾が1個あるのかな、(自慢)

中3まつ、合唱コンガチるの巻

クラスに音楽部かつ指揮をしそうな人がおらず、指揮をするなら自分だろう、ということで指揮をしたんですね。ちなみに中1まつ、中2まつは最優秀指揮者賞(学年で一人もらえるやつ。一学年4クラスだったので珍しくはないかも)ゲットしておりまして、念願のコンプリートまであと一回…!という状況。むしろこの状況だったのでやらせてくれた。ほんとにありがとうね。
そしてそして、中2の時と指揮・伴奏コンビが同じだったんですね。しかも中2の時、この伴奏者も最優秀伴奏者賞もらってる。もはや奇跡。もう金賞取るしかないやろ!!という意気込み。
中1銀賞、中2銀賞と合唱ではAgだらけのコンクールでして、中3こそ…!という思いもこもった合唱コンクール。
歌った曲は、「未来」。竹竿のやつ。知ってる人おるかな
結果は、まさかの銅賞(一学年4クラス、金・銀一クラス銅二クラスなので実質最下位)。しかも優秀指揮者賞も獲得できず。悲しかったな。審査員は数人の権力持った人たちとか学年主任とかだったんですけど、これ絶対裏の何かの力働いてた。
体育館で合唱コンクールやったんですけど、コンクール終わって体育館から教室までの道のりで悔しすぎて泣いたな。すごいみんな慰めてくれた。指揮者賞取った子に申し訳なくなるぐらい「まつの方が指揮上手かった…!」とか言われて逆に困惑だったかも()
あと銅賞についてなんですけど、これも裏の力働いてると思った。まぁ、単純に下手だった、と言われればそれまでだけどとある偶然があったんです。
中3の時の担任の先生、めっちゃ若くて新任で、自分らが中1の頃から持ち上がりで中3まで持ってくれたんですね。でもこの先生が担任になったクラスの合唱コンクール、毎年銅賞だったんです。これは何かおかしいと思いませんか…?さすがに抗議したかったレベル。
しかもね、この先生、音楽部の副顧問なんです。なんか色々他の先生から期待とか反感とか買われてたんかね。知らんけど。かわいそうやったな。
もう指揮はこりごり、という感じでもう高校の合唱祭で指揮をすることはありませんでした…。

中学校はですね、結局陰キャが頑張ってもがいていた、という印象。
それでも行事とかには積極的に取り組んで、学生らしい青春はできたのかな、と思っています。中3の夏休みに図書館で運動会の応援合戦の小道具作ったのが懐かしい。
あ、中3の運動会総合優勝したなたしか、後輩のおかげで()


はいはい、ここまで中学生まつまで振り返って懐かしい気分だ。
「~まつ」って「~末」みたいで紛らわしいな()
またエピソード思い出したら付け足しておこうかな。

高校・大学編もまた書きたいな、あと音楽は音楽編でまとめてかけるといいな、という希望

こんなはした一人間のちょっとした生涯を読んでいただきありがとうございます。
最後まで読んでくれたあんたには、「ハンディファンの充電が途中で切れなくなる魔法」をかけてあ・げ・る☆(急なキャラ変)


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