見出し画像

コロナ禍の貧困の実態(あしなが育英会の資料を読みつつ)

 想像以上に貧困が人を蝕む。
 NHKのニュースで、あしなが育英会が発表した貧困に係る調査報告を見ました。奨学金を受けている家庭へのコロナによる影響をアンケートした内容のため、貧困の度合いが、著しく厳しい。もともと貧困ゆえに奨学金を受けている家庭である。そこにコロナによる収入減が訪れれば、それは厳しくなるのは当然の話です。

自己責任ではすまされない

 あしなが育英会という子供への奨学金配布という特性上、その調査では貧困による子供への悪影響が強く表れています。
 1人親の属性が、一体どのようなものかはわかりません。貧困に陥った理由はさまざまで、一括りに親について語ることはできないでしょう。
 知人にも、早くに旦那を病気で亡くし、1人で2人育てている母親がいます。病気による1人親への移行は、もはやどうすることができない問題でしょう。再婚するにしても、母親の気持ち、子供の気持ちを考えれば、お金のために易々と再婚することは難しい。
 旦那が生きていた時に蓄えがあれば、貧困に陥らずに、子供の就学終了まで援助できるかも知れませんが、そうでなければ、厳しい現実が待っているでしょう(ジジババ世代、兄弟などの血縁者の支援があれば良いが・・・)。

 そして、コロナウイルスによる情勢不安によって、収入が減ったとしたら、もはや、一個人の努力ではどうすることもできない状況です。これに自己責任という言葉を投げつけるのは、非人道的でしょう。ヤクザモノ以下です。

本当の貧困を理解できるか?

 正直に言いましょう。
 あしなが育英会の発表にある、「農家から古くなった野菜をもらってきて、虫食い以外のところを食べている」「ガスが止められて水風呂に入っている」という貧困は、想像できなませんでした
 そんなことってある? というタイトルの絵本がありますが、まさにその状態です。
 子供たちからも、「食費を切り詰めて、空腹で、たまにはお菓子も食べたい」という声や、「学費が大変だから、大学進学を諦める」など、ネガティブな声が寄せられています。
※ポジティブな声はゼロだったのか?

 それを聞き、心を痛めることはできますが、実際に、実感として理解できるかと問われれば難しいでしょう。そこに自分を置かなければ、机上の空論と同様に、真に理解できないものです。多分。だからこそ、一瞬、自己責任という言葉がよぎるのでしょう(恥ずかしい話です)。

支援は必要

 子供は宝だ、などと臭いセリフは使いませんが、将来の社会貢献できる可能性(所謂、投資価値)を考えれば、子供にお金をかけた方が良いでしょう。東大、京大、早慶などに入学しなくても、高卒でも、社会貢献できる可能性はあります。バカでは務まらないかも知れませんが(何を)、多少の学があれば、犯罪をすることもありませんし、社会規範から逸脱する行為もないでしょう(確率として)。

 そういう意味で、子供への支援は必要ですし、子育てをしている貧困世帯へのお金の配布は大事でしょう(とはいえ、ギャンブラーな親のせいで貧困という家庭には、回したくないですね・・・直接配布ではなく、代わりに支払うパターンの方が良いのかな?)。

 さらにお金配りだけではなく、社会制度として、子育て貧困世帯の就業を後押しする施策ももし苦なりますね。それが正しい選択なのかは別として、働く意欲を見せているなら、採用してあげても良いのではと(雇用者側も大変なのはわかりますが)。

子供が健やかに育つことを望む

 善人を気取るわけではなく、その方が、社会的に良いだろうという殺伐とした思考のもとに考えているので、到底誉められたものではありません。失笑ものですね。投資と同じで、1人あたま、数十万の援助で、複数人援助した中でたった1人でも価値を生み出す人材に育てば、投資価値があるでしょう。スタートアップに金をばら撒くのと同じようなものです。

 ただ違うのは、ばら撒かれた相手が、少しのあいだ幸福になるということでしょうか。その小さな幸福のためなら、寄付をしても良いのでは、とも思いますね。ふと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?