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開発者は楽だと言われた

やっぱり開発者は楽だよね。言われたことをしていたらいいのだから。

一言一句覚えているとは言えない。けれど、「開発者は楽だ」という言葉を言われたのは覚えている。相手は1年以上一緒に仕事をしてきた学生時代の先輩。開発の仕事を半年くらいしたあとは、彼から発注を受ける形が続いている。彼はここ数ヶ月は開発者としてではなくて、開発者を管理する仕事をしている。その仕事に今度参加することになって内情を聞きいているときに彼の口から出た言葉が先のその一言だった。

彼の真意は理解しているつもりだ。自分が管理者として仕事をするときにたまった不満を気心知れた友人としての私に聞いて欲しかったのだと思う。少しは開発者としての経験しかない私を見下すことで不満を晴らそうとしているのかもしれない。あるいは、普段から私に技術的、あるいは論理的に話せない点で指摘されていることへの反撃だったのかもしれない。それでも彼は私の開発者としての仕事を完全否定したかったわけではないと思う。そうだと信じている。

私がひねくれて彼の言葉を受け取った背景には先述した通り、私の経験不足への引け目が影響していたことは否定できない。現に3日経ったいまでもこのことを文字に起こしながらこのことを書いているのだから間違いない。私は人を管理する仕事をしたことがない、他人が自分と違う考えなら正す必要はないと思う。もしそれでなにか損失が発生するなら受け入れようではないかと思っている。人間が何かを思うことは自由だと思っている。それと私が傷つかないのは別の話だ。

彼の言葉への失望や自身の持つ引け目をまだ完全には整理できていない自分がその混沌とした感覚を一掃するために頭の中で繰り返すのは自分の力で成果を出そうではないかということだ。成果なんてぼやかす必要はない、売上だと考えている。誰かがどこから持ってきたかわからない予算を理解されないまま自分の懐に入れている限り、その混沌は自分の中から消えない。私が社会からお金を取り出せたとき初めて「あなたはその道を選んだのだろうけれど、私はこの道を選んだ」と言えると思う。

できないのではなくてしないのだと言えたときに私は安心して眠ることができると思う。こんな時間なのに、顎に力が入っている。2単位以上のアルコールを接種しているのにも副交感神経は休んでいるようだった。週休二日制を約束した覚えはないというのに。

手を動かす仕事をしていたい。なにのためにしているかわかっている仕事をしていたい。自分に厳しく、言い訳せずに仕事をしていたい。

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