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路傍の石の自己肯定感

体調が不安定な姉が病院に通わずにインターネットの情報で改善しようと試み続けている。断っておくが、私は病院に行った方がいいと言っている。インターネットの情報は、病院でもそうだと思うが、概ねの体調不良の要因にストレスをあげている。ストレスは万病の根源である。

心のストレスは体に大きな影響をあたえる。そしてその心のストレスの一つの要因としてよくみるのが自己肯定感だ。猫も杓子も自己肯定感がたりないだの、自分を褒めるだの言っている。全てが一つになるときそれは何の説明にもなっていない。丸と四角をみて図形だと言っている。そんなことを言っていると三平方の定理は見つけられない。

自己肯定感が濫用されているという叫びも根拠がなければただの言葉狩りになる。私に向けて今までとこれから自己肯定感を投げかける人に対して説明を考えたい。

路傍の石に自己肯定感はあるか、ないか。

この問いの答えがあるとないのふたつに分かれるという前提は誤っている。整数の1に重さはあるか。30リットルは何色か。結婚は有理数か。などと意味のない問いはいくつでも立てられる。路傍の石の自己肯定感の有無を問うことは無意味だ。

では、同様に自己肯定感の有無を問うことが無意味な人はいるだろうか。文化や年齢、精神状態など自己肯定感を問うことが無意味な人は存在するかもしれない。この問いに答えを出すのは難しいが、私の問題提起の一つ目である。

次に、自己否定感は自己肯定感と清算されているのかを考えたい。ペペロンチーノはイタリアではアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノと呼ばれるらしい。アーリオ・オーリオはニンニクの油の意味でオリーブオイルにニンニクを入れて温めることで味が染み出して、ニンニク味のオリーブオイルになる。油は水よりも沸点が高いので、温め続けると100℃を超える。ここにパスタを茹でた汁を数滴入れると一度に沸騰して爆発するように周りに飛び散る。ただし、一度に多くの茹で汁を入れると温度が下がって飛び散らなくなる。高温の油をそれより低い茹で汁で冷やすことができる。

これと同様に高い自己肯定感に自己否定感を混ぜ合わせると、低い自己肯定感になるのだろうか。もしなるとしたら自己肯定感がないの言い換えに自己否定感が高いとも言えるようになる。この自己肯定感を打ち消せる自己否定感は存在するのかが次の問題提起である。

さらに自己肯定感に種類がないのかを考えたいが、夏の暑さで疲れてきたので論点だけを乱暴に並べたい。

  • 自己肯定感に有効期限はあるか

  • ある経験Xで自己肯定感を感じるかは人によって異なるか

  • 獲得した自己肯定感そのものは自己否定感で精算されることとは別に失うか

  • 経験Xで自己肯定感を覚えるとき、その経験に関わった他人によって得られた感覚は純粋な自己肯定感と呼べるか

もう少し論点を整理して考え直したい。

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