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萌えコンテンツ嫌悪者に捧げたい『嫌なら見るな』というライフハック

『嫌なら見るな』
 この言葉はネットスラングだが、ネット発祥ということもありこのネット社会においてこれ以上ないライフハックだろう。意味が少しずれるが望まないものを見てしまった際に対象のページを閉じる『そっ閉じ』もネットの海を渡る上で大切なものになってくる。
 
 筆者の嫌なものを挙げるとしたら虫の画像なのだが、当たり前だが絶対に見ない。蛾とか蜘蛛とか本当に無理である。
 他人の貧乏ゆすりも見たくない。視界の端で小刻みに揺れ続ける他人の体はなぜだかこちらまで落ち着かない気分になってしまうからだ。高校時代、貧乏揺すりをする同級生が斜め前の席になった時は極力ノートと黒板のみを見て周囲は視野に入れないように苦心した記憶がある。
 見たくないものを見てしまうことは時として人に大きなストレスを与えるものだ。しかしこういったストレスの原因……ストレッサーはどうというものではない。職場の環境とかそういうものよりずっと対処が楽である。“見ない”という自分の行動一つで解決できるのだから。
 しかし現在のTwitter上には他者の行動によって自分のストレスを無くそうと躍起になっている集団がいる。
 そう、皆様ご存知フェミニストだ。 

潔癖症なフェミニスト

 フェミニストは『性的消費』『女性差別』といったワードを使い、女性を表したイラストや女性を使った広告を問題視してきた。
 彼女達が問題視している点はその時々によって様々だ。パッと思い浮かぶのは公の場にふさわしくない、マーケティング方法が誤っている……などだ。彼女達はそういった表現を見かける度に怒っているため、そのストレスは計り知れない。
 また、それらを擁護するツイートもストレッサーになっているらしい。

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 このツイートにもある通り、彼女達は二次元三次元問わず女性を使った広告もそれらを擁護する意見も見たくないのだ。なぜならそれは彼女達の正義に反するものであり、精神を消耗させるストレッサーだから。
 常人であれば防御策として冒頭に述べた通り、一番楽な方法である“見ない”という選択肢を取るだろう。
 しかし彼女達はその手は使わない。彼女達は社会正義を掲げているためストレッサーにあえて立ち向かっている。この世界から美少女コンテンツを消滅させるまできっとその指は止まらないことだろう。

月曜日のギャオり

 上記で挙げたフェミニストが問題視していた点を全て吹き飛ばす出来事が直近で発生した。比村奇石さんの作品『月曜日のたわわ』のコミックス4巻発売の広告が日経新聞の紙面に掲載されたことが発端だ。
 これがネット記事で取り上げられたことでフェミニストの目に触れ、界隈で瞬く間に燃え上がった。
 女子高生を性的消費しているとか、女子高生に癒しを求めるな、そんなものを新聞に掲載するな……などなど様々なお怒りのツイートが散見された。
 筆者は疑問に思った。日経新聞を読んだ上で批判した人間はいたのか、紙面は公の場にあたるのか、マーケティング方法は的確たっだのか……などだ。
 まず、新聞を読んだ上で批判した人間はまずいないだろう。というのもNIKKEIが出しているデータ上、購読層は40代以上がメインでまた課長クラス以上の役職者が4割強なのである。Twitterのプロフィール欄がどこまで信用できるか知らないが、批判している人物の多くに当てはまりそうにない。紙面ではなくネットニュースを見て広告の存在を知ったのが大半だろう。かく言う筆者も広告の存在はネットニュースを見て初めて知った。NIKKEIの購読層データについては下記URL参照して頂きたい。
https://marketing.nikkei.com/media/newspaper/mediadata/

 紙面は公の場にあたるのか否かだが、これは難しい。金を出した人間だけが読めるが全国的に売り出されている。どんな人間の目にも触れる機会はあるわけだから公の場ではある、と言える。この点については購読した人間のみ批判する権利があるという考えだ。ネットニュースを見て初めて批判している人間はそもそも新聞の読者ではないため、関係無い
 ではマーケティングとしてはどうなのか。上記のデータで購読層の性別には触れられていないが、ほぼ男性と考えられる。『月曜日のたわわ』は男性向けコンテンツであるためマーケティングも正当だろう。
 また、筆者が観測した上で最も多く見られた「女子高生に癒しを求めるな」と言うのは気にする必要はない。コミックスを読むのは個人の自由であり、読者がそこから何を受け取るかも自由だからだ。広告には作者が読者に受け取って欲しい「癒し」を前面に押し出しているだけに過ぎない。

萌えコンテンツの先に見えるいきり勃つモノ

 なぜフェミニストが性的なコンテンツを嫌うのか、それはコンテンツを使用している男性を想像してしまうからだ。おそらくもんじゃ焼きを見て吐瀉物を想像してしまうのと同じ感覚だろう。
 そう考えると確かにうげっと思うのも一瞬は頷けるが、それは自身の妄想による非実在男性であり、考えなければいい話だ。しかしフェミニストはそれができない。
 フェミニストが世の中の事象から男性の性的なナニかを連想してしまう時点でこの社会における悪になる。そしてその悪はストレッサーとなり、また怒りの源になる。萌えコンテンツ以外でも、巨乳モデルや既婚女性を口汚く罵るのはおそらくそういうことだ。連想ゲームのクセがついているから今更考えないようにしろというのはきっと無理な話だろう。
 だが人の怒りというのは6秒がピークなのだそうだ。だからうげっと思ったら画面から目を離して6秒(もっと長時間でもいいかもしれない)待って、他のことを考えれば連想ゲームを断ち切れるかもしれない。

まとめ

 自分の人生を生きやすく、より快適なものにするには自分で工夫するのが一番だ。しかし他の記事で書いたがフェミニストは他責性が強く、生きづらさを自分で解決するという考えは無い。全て他人任せである。それは女性議員増えろと言いながら自らは絶対に出馬しないフェミニストが多いことからも伺える。
 しかしそれでは何も変わらない。Twitterでストレスを溜めるだけなのだ。楽しいインターネットライフを送るには、やはり『嫌なものは見ない』『そっ閉じ』を有効活用していくより他にない。
 ストレッサーを見て怒り、Twitterに書き込む時間というのは無駄の二文字で切り捨てられる。
 フェミニストはその他責性から他人のせいにしたがるが、自分の感情は自分のものでしかない。自身を除く数億人、日本だけでも1億人ちょっとは他人だ。
 そんな膨大な数の他人の考えを変えるよりも自分が見ない、怒らないという工夫をした方がずっと簡単だ。誰かを傷つけたり企画を潰したりクレームを入れるといった手間もない。
 
 この記事を通して『嫌なら見るな』『そっ閉じ』を再確認し、時間を有効活用してほしいという願いが萌えコンテンツ嫌悪者に届けばいい……そんな細やかな願いを以て締め括らせて頂く。

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