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29歳のいま思うこと

podcastの最新回で、30歳になるまでにやりたいことやどんな30歳になりたいかを考えた。
(深夜のリビングというpodcastを元ルームメイトとやっている)


30歳になる、ということ自体はもう何も怖くないな、と思っていてもやはりそこそこ衝撃がある。

長く感じた20代の10年間が今年で終わるんだなぁ。成人式の頃のハタチの自分を思うと、そりゃ10年くらい経ってしまうよなあ、とは思うけどやっぱり自分の人生の20代が終わる、というのは結構未知の世界でどきどきする。

子どもの頃から基本性格はあまり変わっていないような気もして、弱点は弱点のまま30歳を迎えてしまうような気もする。でもここ数年で変わったことは、その弱点を覆い隠す虚勢を張るみたいなことをしなくていいや、って割り切れるようになったこと。知らないことを知らないと言える素直な大人になればいいやと思えるようになってきたこと。むしろ何もかも兼ね揃えた武器持ちまくる人間よりかっこいいのではないかと思う。(でも何もかも持ってるのもやっぱりかっこいい)

20代半ばまでの自分は、どうにか自分の強みを作りたくて、何かになりたくて、嘘つくわけじゃなけれどやっぱりなんだか無理してた。でも最近心がすごくラクで。多少性格がわるくても、全員に好かれなくても、ご飯おいしくて食べすぎちゃって、多少顔が丸くなっても、めんどくさいことはめんどくさがっていても、仕事をしすぎてもしなくても、料理がめんどくさくてお菓子をご飯にしてても、なんか別にそれでいいんだ、それがわたしの魅力に繋がるんだ、人間らしくていいじゃんって思えるようになってきた気がする。

わたしはやらないと60%くらいだけどやるとなったら200%の力出せることももう知ってるしね。

10年もあると、過去に近くにいた人がいなくなったりもする。気づかぬくらい足音も立てずそっと離れた人もいるかもしれないし、物理的に離れてるだけで心は近くにあるかもしれないし、もしかしたらどちらかが裏切ったり傷つけたからいなくなったのかもしれない。わたしも沢山人を傷つけているかもしれない。でもそうやって人と縁が繋がったり切れたりする経験を何度も繰り返し、人との付き合い方を覚えたから、今側にいる人たちと出会うことが出来て、対等に話し、喜びやかなしみを分かちあい、幸せな気持ちを人と共有する術を知れたのだと思う。だから、かつて私と友達でいてくれた人、私を好きになってくれた人、大切に思ってくれた人、過ぎ去った人すべてに感謝している。とはいえ、またこの先も縁が切れたり繋がったりを繰り返していくのだろう。今の当たり前は少しづつ、また形を変えていくのだろう。

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今まで基本的には自分の目の前のことだけを考えていたけれど、最近はもう少し先の未来を考えなくてはいけないのかもしれないと思い始めた。家族みんなが永遠に元気で何事もなく生活できるわけではないだろうし、現に高齢な猫の寿命はあとどれくらいだろうか。あと何度会うことが出来てわたしをめんどくさそうにあしらいながらもゴロゴロとお帰りと言ってくれるだろうか。前回帰省した時、食べては口に入れたものをそのまんま吐いていた愛猫。いつまで、元気でいてくれるだろうか。

何年も父方の祖母と会っていない。このまま時が流れたら、わたしはもうこの先二度と顔を合わせることは無いのかもしれない。本当にそれで、良かったのかと自分に問う日が来るのかもしれないけれど静かにその道を辿っている。祖母を見て、わたし自身は人生は愛がすべてだなと反面教師的に学んだ。社会的地位や仕事やお金に恵まれていても、愛がなければ破綻するし寂しい人生だと思う。わたしは大切な人を心から愛して生きていきたいし、家族に疎まれたりせず愛されて生きていきたいと願う。会いにいけなくて、愛せなくて、本当にごめんなさい。でもその人生を選んだのはあなたなのです。

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案外わたしは未来(主に老後くらい結構先の話)のイメージがあまりつかないタイプで、どんな場所でどんな人と暮らしてどんな仕事をし続けたい?みたいな質問が苦手だ。
東京に住み続けたいのか、はたまた田舎でのんびりみたいな生活に憧れるのか、そもそも生涯デザイナーなのか?家を買ったり建てたり、猫や犬を飼ったりしたいのか?結婚したいのか?子どもは欲しいのか?いやいや、なんにも分からないよ。目の前の自分の世話で精一杯だよ、と、息切れ気味に答えることしかできなかったと思う。それは多分今もなんだけど。自分のこと、よくわからない。一体私はどうやって生きていきたいんだろう。

30歳で子を出産する友人。彼女に対してなんて順調な人生だろう!と素直に思った。それなのに、社会的には30歳で第一子って別に早くは無い。そこに自分の感覚や自分の生きている世界との大きな隔たりを感じる。最近ちょっと歳上の先輩と話したり、SNSでの発信を見たりしていると常々、1番最初に来てしまう人生の選択のリミットは出産を選択するか否かなんだろうなと思う。他のことはまだなんとかなる。果たして自分の子どもが欲しいって思う時が来たとしたら、そのとき自分は産める年齢や身体なのだろうか。そもそも今どんな状態かだって分からないのに。こういうこと、あんまり現実味がなかった。でも、現実に不妊治療をしている知り合いがいるし、35歳からガクッと妊娠率は急降下するものだと言われているし、その35歳まであと5年しかないのだから逆算したらゾッとする。それでもわたしはまだ何も決めたくないと叫んでいる。自由でいたい。
人間の妊娠適齢期が40歳くらいまでだったらよかったのに。80年以上とか生きるのに30年そこそこで決めなきゃいけないこと多くない?

知り合いの男性が、なんの気なく、本当に軽く、「まあ40代で子どもは産めるし!自分の周りには40代で産んでる人たくさんいるし」と言っていて絶句した。いや、世の中にはそういう人もいるだろう。でもね、確率論としては簡単なことではないと思うのよ。20代でも不妊の人はいるし、40代で初産で産める人もいるとは思う。でも、なんか、その発言は違ったな。ちょっと悲しかったな。その人のパートナーが子を望むのかも、何歳で欲しいと思うかも分からないけれど、今はいらないよね、別に40超えても産んでる人沢山いるし!なんてことは、本人には絶対に言わないでいて欲しいな、と思った。

産まない選択を自分でするのと、産めないから選べなかった、では雲泥の差があると思っていて、いつかの自分が納得できる選択が出来ればそれで良いとは思っている。(これだけ話しているけど、前提として子どもが欲しい訳ではない)
これもpodcastでも話したことがあるけれど、今の働き方では到底難しく、そのことにも腹立たしく思うし、どちらかを選ばなければいけない不平等さに悲しくもなる。自分が男だったらよかったのにって、思う。働きたい、自分の居場所を失いたくないのにね。でも、いつかわたしは女だから、選ばなければいけない。もしくは選べないかもしれない。

こういうセンシティブな話、ほんとはしない方がいいのかもしれないし、なんでって、これ妹も彼氏も読んでるだろうし(ふ〜んって読み流してください)、友人だって、違う立場だったらもしかしたら何言ってんだこいつって思うかもしれない。でもね、今の29歳のわたしはこんなことを考えている、ぜーんぜん何も決めれないけど現在地はここだ、って主張するのは、過去の自分や未来の自分、はたまたちょっと歳下の似たような境遇のたまたまこのnoteを読んだ誰かの道しるべになるかもしれない。現にわたし自身が、ちょっと上の素敵なお姉さんたちに心を生かしてもらっているので。自分の仕事めちゃくちゃ大事だし、自分の居場所はできる限り守りたい。だからそれを叶えられない働き方や社会の不平等感には意義を唱えるし、自分が産むわけではないのに簡単に子ども欲しいとか(これは文脈にもよるが)、パートナーへの配慮がない発言をする男性には難色を示してしまう、そんな自分も許すし、それでいいと思ってる。難しいよ本当に。20代半ばまではこんなこと考えなくたって全能感ひたひた脳みそお花畑でも生きていられたけど、もうちゃんと自分の人生に責任を持たないといけないフェーズに片足突っ込みかけているんだろうなあ。

とはいえ未だに大学生みたいに自由気ままに日々生きている。色んな側面で、29歳で今の自分みたいな人もあんまりいないんだろうなとも思う。こんなに頑なにおさまりたくねえってジタバタしてるの珍しい女だよなあ。(しかも自分でもどこからどこまでが本心でどこからが強がりなのかよく分からないのだ。)

(ちなみに、今やってる9ボーダーというドラマ、まだ1話だけど、そのへんの感情に攻め込んできそうな予感がしてるので観ることにする。)


29歳の現在地記録。
30歳になるまであと半年切った。


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