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「幸福な監視国家 中国」 書評

<概要>

国家主導のネット空間やカメラなどによる国民情報の取得→監視は、個人情報が国家に筒抜けになるという恐怖感をもたらし、中国においては体制批判を壊滅させるツールとして機能する一方、治安維持などの社会の安定に資する取り組みとして功利主義的視点から、一概にネガティブではないと提言した著作。

<コメント>

「自由の命運」中国編をより深く認識したいがために、中国関連図書『習近平帝国の暗号2035』と本書『幸福な監視国家 中国(2019年8月出版)』を2冊通読。先にこちらを読み終えたので、忘れぬようポイント整理。

なお、中華人民共和国のリヴァイアサン(国家権力)は、「中華人民共和国」という行政組織ではなく中国共産党(中共)なので、中国の場合は、中共による「監視国家」という位置付けになります。

■個人情報は民間企業の個人情報含めすべて中共が管理可能

想定通り、中国国内で流通する情報はすべて中共が閲覧可能。これは外資系企業も例外なしなので、中国大陸で保持する情報も通過する情報もすべて中共に筒抜けです。

中国のサイバーセキュリティ法第28条には「ネットワーク運営者は、公安機関、国家安全機関による、法に依拠した国家安全と犯罪捜査活動に技術的支援と協力を行わなければならない」との規定があります。

本書 はじめに

ただし本書のポイントは、この事実に中国国民がネガティブではないということ。なので著者は、中国人にとって「幸福な監視国家」をタイトル付け。

それでは監視社会のポジティブな側面含め、以下みていきましょう。

■信用スコアの普及度合い

ちなみに今話題の信用スコアは、本書著述時点では、個別に地方政府が一部特定情報のみ活用していますが、中国全体を追う形での包括的な情報(=集中処理という)に基づく中共主導の国民的社会信用スコアは存在してないそうです。

私が勤務時代に扱っていた情報系システムの感覚では、全てを包含する個人情報の取得は、あらゆるシステムが共通のID(または異なるID同士の紐付け)によってオンラインで接続している必要があり、その接続手法から、データベースのフォーマットからサーバまで、一体どれだけのシステム開発やネットワーク構築が必要なのか、と思ってしまいますが、私の想像通り短期的にはちょっと非現実的、ということではないかと思います。

個別の社会信用システムの中で有効だなと思ったシステムは「失信非執行人リスト」。裁判に負けて罰金を払わない人は日本でも多いようですがこの「失信非執行人リスト」があれば、即座に罰金を払っていないかどうか、チェック可能。中国では罰金払わない不届な者には「緩やかな処罰」で対処。例えば「グリーン車に乗れない」「飛行機に乗れない」「子供が学費が高額な学校に行けない」などの代替手段のある緩いペナルティーを課しているとの事。

アリババなどの民間企業が提供する信用スコアに関しては、スコアが上がれば上がるほどその利便性が向上していくというシステム。信用に関わる領域、例えば融資、分割払い、カーシェアなどの各種レンタル、民泊などの個人間取引などなど。

日本の場合は、民間ではクレジットヒストリーというのが普及していて、ヒストリーのスコアによってクレジットカードの限度額やショッピングローンの限度額が決まるわけですが、これの発展版ということでしょう。

■監視社会化による利便性&安全性の向上

(1)監視社会の利便性

著者は、

「監視社会」やそれに伴う「自由の喪失」を論じるのであれば、同時に「利便性や安全性の向上」にも目を向けなければならないのではないか。

第1章

とし、功利主義的に考えれば(※)、監視社会が中共の体制批判を抽出するという負の側面がある一方、犯罪者の取締りや反社会的組織の撲滅など、社会の安定や秩序維持、著者曰くの「お行儀のいい社会」の実現に資する側面があるといいます。

※功利主義的考え
「何が良いか悪いかは、ある行為がどれだけの幸福を生み出すか」という基準で判定すべき、という考え方

日本でもデジタル庁の創設など、デジタル化の推進によって各種手続きの簡素化、迅速化を加速しようとする動きがありますが、これは独裁国家だろうが民主国家だろうが、強いリヴァイアサンなら当然目指すべき方向として推進すべきではないか、というのが著者の主張。

実際に中国では「電子身分証」「電子免許証」など各種行政手続きがスマホひとつで、あっという間に申請完了、というレベルまで到達しているらしい。

(2)実は民主的性格を持つ監視社会の特徴

独裁国家であっても国民の不満は無視できません。著者によれば中共は民主主義国家以上に世論に敏感だといいます。(香港の中共化のように?)究極的には暴力による治安維持が可能だとしても、民衆は中共の正当性に賛同している、というコンセンサスは必要。

したがって人民の声を徹底的に収集して、その傾向を人工知能などで分析し、政策に反映させているのは間違いありません。実際ローカルな行政の不備に関してもSNSなどのネットワーク上で情報収集することで、中央政府がローカルの長官を更迭するなどの水戸黄門的な事例もあるらしい。

これはトップダウンの民主を標榜する中国民主の政策にマッチする戦略で、体制批判は許さないものの、できる限り人民の声を聞いて政策に反映するという取り組みはもしかしたら並の国家よりも進んでいるかもしれません。

■「モノ軸」の米国EC vs「ヒト軸」の中国EC

これは面白かった。中国EC市場は2018年時点で世界の40%を占めるという世界一のEC市場ですが、我々が普段扱うアマゾンなどと違い、中国EC、主にアリババやテンセントは「ヒト軸」によって構築されているECだといいます。

モノ軸のEC=欲しいものを検索→自分で情報を入手し、商品を検討比較購入
ヒト軸のEC=信頼できるショップを検索し、この中から商品購入

つまり、モノからスタートするのではなく、信用できるショップや人からスタートする、というのが中国式のECの作り。中国の場合はJANなどの共通商品IDが普及していないのか、楽天市場のように同じ商品を複数のショップで最安比較みたいなこともできないのかもしれません。

なので、まずは信用できるショップから入ってそのショップをベースに商品を買うというプロセスになっているようです。これが発展して「人から買う」をベースにしたライブコマースや共同購入、社区EC(※)が普及。

※社区EC
社区(日本の団地に似た居住地地域)ごとにパートナーを1人おき、その責任者がご近所さんにネットショッピングで買うものを仲介斡旋するというシステム

■個人の自由と公共の福祉の関係についての中国的視点

著者は「私利私欲に基づく個人の自由」と「公共の福祉としての社会の安定性」の相反についての専門的な解説を後半に取り上げています。

(私も大学時代にちょっとだけお世話になった)中国思想史の専門家:溝口雄三先生のいう中国の「天理」概念を取り上げ、中国社会では「天理に適った社会にこそ、その正当性がある」という視点から、トップダウン型の民主こそが中国の社会構造だとしています。

私自身もこれには同感で、中国思想では、あくまで天の法則に則ることこそが形而上学的な原理となっていて、ゲルマン人のように、まず個人があってその個人の権利や自由の調整をするための手段として共同体社会がある、という構造にはなっていません。なのでウイグルやチベット、天安門事件など、乱を引き起こす行為は「天理を乱す行為」として徹底的に排除。

このように「ルールは秩序を守るためであり、個人間の権利を調整するためのものではない」というのが中国に脈々と流れる考え方ではないかと思います(詳細は以下参照)。

*写真:中国 杭州の某ショッピングセンター(2008年撮影)


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