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『交雑する人類』その3:東・東南アジア編

驚くべき古代DNA革命。我々東アジア人(今回は東南アジア・オセアニアも含む)はどのような経路を経て、今に至るのでしょうか?

⒈最初のアジア人は、絶滅した旧人

東アジア・東南アジア・オセアニアにおける古代DNAの調査は、2009年から始まったのですが残念ながら著者の研究室のアジア関連古代DNAの収集が、全体量の5%程度しかないため、その解析は過渡期にあり、特に中国の漢族に関して詳細は未だ解明途中。

ただ、大枠では以下の通りなものの、台湾先住民(オーストロネシア語族)が東南アジアから太平洋・インド洋の島々(イースター島からマダガスカルまで)に至る広大なエリアの人類のルーツだというのはとても興味深かった。

現生人類がアジアにやってくるずっと前(約170万年前)に旧人類「ホモ・エレクトス(北京原人)」の骨格が中国で見つかっているので、我々と系統は違うものの、ヒト族としては彼ら彼女らが最初のアジア人(のちに絶滅)。

そのあと(70万年前ー5万年前)に、東南アジアに旧人「デニソワ人」がやってくる(のちに絶滅)。

⒉現生人類のアジア進出

そして4.9万年前に我々の祖先(古代東アジア人:下図の「東アジア人」)が、やっとアジアに到達し、東南アジア系統はデニソワ人と一部交雑しつつ、オーストラリア大陸まで広がった、というのが今の所の仮説。そして当然ながらこの時代、農耕は発明されていないので彼ら彼女らは「狩猟採集民」。

4.9万年前」というのはヨーロッパで現生人類の最古の証拠と同じくらい古いといいますから、アフリカを出立して以降、パプア&オーストラリア人は、旧人のデニソワ人と交雑しつつ、あっという間にオーストラリア大陸まで現生人類が到達したらしい。

本書280頁

漢族に関しては、すでに4万年前の「古代東アジア人」のDNAが現代漢族のDNAと同じ系統だというからこの辺りが漢族のルーツか。

本書289頁

その後、古代東アジア人は、黄河文明と揚子江文明をもたらした南北の集団に分かれ、9000年前ぐらいの同時期に双方で農耕が始まり、このうち「揚子江ゴースト集団」が農耕民として南東に分岐。

具体的には東南アジアは、3つの系統「オーストロアジア語系」「オーストロネシア語系」「タイ=カダイ語系」に分岐しつつ南下。

⒊オーストロアジア語系

揚子江で始まった稲作農耕を伴って農耕民が南下。先住のパプア人(狩猟採集民)と交雑しつつカンボジア人やベトナム人・マレーシア人・インドネシア人等の祖先となる。

⒋オーストロネシア語系

このうち、5000年前に台湾にやってきたオーストロネシア語を話す農耕民は、フィリピンに移住しつつ、南のニューギニアからトンガやサモア、タヒチからハワイ、ニュージーランドへと拡散していきます。そして西にはインドネシアを経由してマダガスカルまでと、インド洋の方まで拡散したのです。恐るべし台湾先住民。

ちなみにこの間、パプア人とは交雑せず、そのままの血統で太平洋に拡散(バヌアツやトンガの古代DNAにはほとんどパプア人のDNAを保有せず)。

やはりハワイ人は、台湾先住民がルーツなんですね(詳細は以下でも紹介)。

⒌タイ=カダイ語系

タイ=カダイ語族については、ほとんど本書では言及されていませんが、ネット等で検索すると、今のタイ人が今系統に属し、周辺のオーストロアジア系を駆逐しつつ、このエリアに定住したらしい。

⒍日本人と朝鮮(韓国)人

そして残念ながら日本人や韓国人についても、一部のみの言及にとどまっています。

本書では、遺伝学者斉藤成也教授の研究を紹介しつつ、狩猟採集民(アイヌ系)が先住し、その後に農耕民(弥生系)が入植して、農耕民系については朝鮮半島の文化と明確に類似性のある文化が栄えた、としています。

この交雑は、著者と斎藤教授の共同研究によって、おおよそ1600年前ごろ(古墳時代)と推定。この結果、現代日本人のDNAの約80%が農耕民系、残りの20%が狩猟採集民系だと推定しています。

ちなみに1600年前の交雑は、農耕民が到来した頃より何百年か後で、両集団の間の社会的障壁は相当大きかったのではないかと想定しています。

以上、我々の最も気になる日本人の起源については極小だったので、別途本書紹介の斉藤成也教授の書籍によって紹介したいと思います。

*写真:インドネシア バリ島「ザ・バーレ」(2017年8月撮影)

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