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「現代コミュニタリアニズム入門」菊池理夫著 書評

<概要>
多方面からのコミュニタリアニズムに対する非難や誤解を解きつつ、現代のコミュニタリアンとその思想について紹介し、共通善などのコミュニタリアニズムの考え方について解説した入門書。

<コメント>
東日本大震災から10年ということで、さまざまな特集がマスメディアで紹介されましたが、避難した人達のコメントを聞くと、共通して感じるのは「コミュニティの喪失」

「避難先では古い仲間とも離れ離れで気軽に交流できないのが一番つらい。一方で地元に戻ってきても、戻ってこない人も依然多くて同じく寂しい」

という方が多かった印象を受けました。

私自身は都会暮らしなので、あまり実感ないですが地方の方と話していると、地方では隣近所、学校から職場まで、みな距離感が近く「外出すれば必ず知り合いに会う」というのが地方のコミュニティ(一方で、これが面倒くさくて都会に出るという人も多いらしい)。

そんなコミュニティは自然に醸成されてくるものだと思いますが、このような地方のコミュニティから世界を対象にしたコミュニティまで、「コミュニティ」という概念を主語にして、そのコミュニティごとの共通善(共通に持つべき価値観)にスポットライトを当て、共通善に基づいてコミュニティを運営しましょう、参画しましょう、というのがコミュニタリアニズムの精神。

そうすると、一見愛国主義的保守主義、とも思われるのですがそうではなく、例えばコミュニタリアニズムに基づく愛国教育とは、著者によれば

民主国家の国民として、個人の尊厳を尊重し、国民一人ひとりが自分で考え、自分たちの意志で物事を決めていくことができるとともに、それぞれの郷土や国を愛し、ともに形成していくために郷土や国の文化や伝統を尊重しながら、同時に他国の文化や伝統も尊重して、世界の平和のためにも貢献できる教育を目指す

とのように「世界はみな仲間」という世界市民の視点で、近代市民社会の原理(人権や自由の相互承認など)を前提にしたコミュニティ愛(愛国)を育みましょう、ということ。

したがって、例えば戦後の日本であれば「近代市民社会の原理」が共通善ということだそうで、いわゆる「日本の伝統」に従うべし、といった上から目線のような愛国主義ではありません。

例えばフランスでは「多文化主義がコミュニタリアニズム」という理解。

多文化主義とは多様な文化、特に社会的少数者(マイノリティ)の文化の独自性をとりわけ教育において尊重すること

つまり諸コミュニティを大切にする国家というのが、コミュニタリアンとしての国家。

だそうだから、中国におけるウイグルやチベットなどの同化政策は、コミュニタリアニズムとは真逆の政策ということでしょう。かつては中国共産党も少数民族の文化を大事にしていたのですが、習近平主席になってから政策転換したのかもしれません(もちろん独立などの反国家的行為は以前から禁止)。

私の好きなサッカーのJリーグでも、某チームのサポーターは、コロナ禍でアウェイのサポーターが来られない状況下、アウェイチームの選手紹介にも気遣いして拍手を送って応援するなど、クラブ愛はもちろん、対戦相手クラブにもリスペクトするという精神は、まさにコミュニタリアン的精神ですね。

自由競争・弱肉強食は経済成長のためには欠かせませんが、コミュニタリアン的精神も一方で持っていないと、心が壊れてしまいます。政治はバランスよく取り組まないといけないわけです。

*写真:2021年 フクダ電子アリーナにて

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