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アリストテレスの幸福論「二コマコス倫理学(上) 書評

<概要>

幸福(エウダイモニア)とは何か、より深く理解することで善き人になり、この結果として幸福になるためのアリストテレスによる指南書。このうち上巻は、幸福とは何か?性格の良さとは何か?正義とは何か?について。

<コメント>

プラトン著作は、ほぼ終えたので、今後はアリストテレスに移行。今後本書に加え「形而上学」「政治学」を通読予定。

プラトン著作は、読み物そのものとしての面白さがあるので、飽きずに長時間読むことが可能ですが、アリストテレスの本著作は、読者向けではなく「自分の講義用のメモとして書かれたもの」というだけあって、淡々と進捗するのみで読んでいて疲れます。ただ、アリストテレスの「なんでも全体像を体系化して俯瞰してみよう」という姿勢は本書でもよく表れており、この辺りは学問の学としての哲学の性格をよく表れているように感じます。

したがって、翻訳者「渡辺邦夫」の丁寧すぎるほどの長文の解説とセットで読まないと完読するのは困難でした。

さて本題。

■幸福とは何か?

アリストテレス曰く「幸福とは、アレテーに基づく魂の活動のこと」そして「人間は幸福になるべき」といいます。

アリストテレスのいう幸福とは、人生の長期にわたって充実した幸福感を継続的に実感できる幸福のこと。なので刹那的な幸福は、幸福ではありません。

そしてその幸福を実感するためには、アレテーを身につけたうえで、アレテーを発揮して優れた行動をし.なければいけないといいます。

アレテーとは「優れた能力(卓越性)」のこと。本書含む翻訳では「徳」になるそうですが、東洋的な「徳」の概念とは全く異なるので注意が必要です。アレテーは、そのままアレテーとして外来語で訳し、意味は「優れた能力」とした方がいいように感じます。なので、人間のあらゆる能力にアレテーは使われます。

目は「よく見えること」が目のアレテーで、身体のアレテーといえば優れた運動能力のことだし、幸福に直結するアレテーは、魂(科学的には脳のこと)のアレテーで、優れた脳の働きを身につけ、その能力を人生において発揮し続けることこそが幸福だというわけです。

そして魂のアレテーには二つのアレテーがあって、

(1)知的なアレテー
(2)人柄のアレテー

「この二つを身につけて行動すれば、あなたは幸福を味わうことができますよ」というアリストテレスの提言。知的なアレテーとは優れた頭脳(=頭の良さ)のことだし、人柄のアレテーとは優れた性格(=性格の良さ)のこと。当たり前といえば当たり前ですが。。。

なお、中国思想的には「賢」がこれにあたります。

現代語としての「賢」は知的なアレテーだけですが、中国思想的には「賢」は人柄の良さも含めたトータルとしての優れた精神のことを指し「魂のアレテー=賢」となります[論語(中)吉川幸次郎訳:朝日文庫40頁]。

(1)知的なアレテー=頭の良さ

知的なアレテーは、生まれながらの頭の良さ含め、学習して体験して身につけた頭の良さ。そのままアリストテレスの言葉でいえば、知恵・物わかりの良さ・思慮深さ、となります。以下は人柄のアレテーについての引用ですが、知的なアレテーも同じではないかと思います。

われわれはアレテーを受け入れるように自然に生まれついているのではあるが、しかしわれわれが現実に完全な身となるのは習慣を通じてである(第2巻第1章)

知的なアレテーの詳細は、下巻で解説されているので、この程度にしておきます。

(2)人柄のアレテー=性格と態度の良さ

心理学者小塩真司著「性格とは何か」に基づく性格の5分類、

①外向性⇔内向性
②情緒安定志向⇔情緒不安定志向
③開放性⇔閉鎖性(好奇心や関心の広さ=開放性、狭さ=閉鎖性のこと)
④協調性⇔非協調性
⑤勤勉性⇔怠惰性

に基づいて現代風に「性格の良さ」を判断するとおおよそ左側の傾向が「性格の良さ」に通じると思いますが、アリストテレスは、これに加え常に状況に合わせて性格を制御できるようにしておくことを「性格の良さ」とみなしているようです。更に「優れた心の姿勢」というか「優れた態度」。これらを総じて「人柄のアレテー」と称し、具体的には「気前良さ」「節制」「勇気」が人柄のアレテーだとしています。

そして優れた性格になるためには、あらゆる性格において「中庸」であるべきといいます。本書では「中庸」を「中間性」と表現してますが「中庸」の方がしっくりきます。中庸とは、中国文学者の吉川幸次郎によれば、

中とは黄金律のように、もののあるべき道理として、最上のものであるが、最上の道理は、つねにものの中央にある、と考えられるところから、中と呼ばれるものであり、また、庸とは、常であって、偏頗(偏っていて不公平)でないもの、奇僻(奇妙な癖)でないもの、そうしてそれこそやはり最上の道理であることを意味しよう。要するに中庸とは、もっともすぐれた常識、を意味するというのが、私の感じである「「論語(上)200頁]

という感じ。なお、中庸のニュアンスは、「論語」先進編第11「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というのが一番現代人に分かりやすいのでは、と思います。

二コマコス倫理学では中庸について、不足と過剰とその中間ということで、様々に事例が載っていますが?マークの部分も結構あって、アリストテレスの律義さに感心するものの、現代人にとっては、その意味のポイントを押さえておけばいいように感じます。

簡単にいえば、制御を利かして感情任せにせず、コントローラブルな状態にしつつ、何事も誠実な態度で振る舞うことこそが「性格の良さ」だとアリストテレスは考えていたのではと思います。そしてこれを「訓練によって身につけ習慣づけておく」ということです。

孔子曰く「中庸の徳たるや、それ至れるかな」(論語雍也編第六)
    (中庸の人間の道徳としての価値は、最上のものである)

洋の東西問わず、同じですね。

*写真:2012年アテネ ディオニソス劇場

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