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人間の本性を考える(下)スティーブン・ピンカー著 書評

<概要>
生物学的視点から「政治」「暴力&戦争」「ジェンダー」「子育て」「芸術」にスポットを当てて解説した最終巻。最終章に生物学的人間の本性を見事に表現した文学の事例を紹介。

<コメント>
最終巻にして読み応えありの名著たることを実感。先に「暴力&戦争」については紹介しましたが、特に圧巻だったのは「第19章の子育て」。

行動遺伝学の成果がいかんなく発揮された内容。

◼️社会の虚構(=社会で共有している価値観:本書では社会化と呼称):50%の遺伝と50%の非共有環境で決定

既に以下の書評でも紹介した通り「親の子育てのしかた」は全く関係ないのです。

非共有環境の中でも重要なのは一緒に育った仲間。

人が手本とするのは必ずと言っていいほど仲間であって親ではない

との通り、これは実体験からも深く納得。

親戚の家族に父が関東出身、母が関西出身で、娘が山陰地方で育った家族がいるのですが、娘の方言はどこになるのか?

そうです。完璧な山陰地方の方言になります。親の方言は全く影響しないのです。彼女が標準語だと思って喋っていても山陰訛りで関東人と違うのがすぐにわかります。

これは「なんでなのかな」と思ったのですが、私見では親は自分の子供であれば、子供が何をしようが何を言おうが受け入れます。つまり親と子の関係では同調圧力が生まれない

しかし仲間との関係では仲間外れにされたくないので同調圧力がかかる=仲間の規範や価値観に染まるのです。これは「言語も」です。

狩猟採集社会では乳離れした子供は兄姉や年上のいとこのいる遊び仲間に放り込まれ、母親の注意をほぼ全て一身に受けていた状態から、一転してほとんど何も受けなくなる。

といいますから、人間は、昔から親よりも一緒に育った同世代の仲間と価値観を共有するのであって親ではない。子供が親の言うことを聞かないのも当たり前です。

つまり、親が子にしてやれることは非共有環境の選択しかない

住む地域や通う学校、クラブ活動や塾など、子供たちの過ごす環境をいかにコントロールするか、これしかないというのが行動遺伝学の導き出した子育て方法ということです。

◼️性格は50%の遺伝と50%の偶然で決定
一方で性格(パーソナリティ)は、半分は遺伝らしいのですが残りはあらゆる外的環境の組み合わせの結果として形成されるので、全く法則性はないというのが結論。性格の半分はどうなるかは誰にもわからないというのです。

これには線虫やショウジョウバエの発生過程における形質のばらつきのしかたも事例にだし、人間よりも単純な生き物でさえ、同じ遺伝子でもその形質発現のしかたにはバラツキがでるとしています。

以上、人間の本性を生物学的に探求すると興味深い知見がたくさん登場します。今後も更に深掘りしたいと思います。

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