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「人類とイノベーション」マット・リドレー著 書評


<概要>
さまざまなイノベーションの事例を紹介するとともにイノベーションを起こす(または阻害する)共通の法則について紹介した名著。

<コメント>
私の敬愛する科学ジャーナリスト、マット・リドレーの待望の新著。ちょっと遅ればせながらやっと通読。面白いのは生物の自然淘汰も、人間社会のイノベーションも、同じようなプロセスで進む似たような営みだということ。

つまりイノベーションとは、より環境に適応するように、エントロピーの法則に逆行して秩序を生み出していく働きのことで、まるで自然淘汰と同じ現象。基本的にこの世界はエントロピーの法則によってカオスが拡大していく世界ですが、エントロピーに逆行してコスモスをつくっていく行為の一つが生命の営み。

さらに生命の営みの中でも人間の場合は、遺伝子の進化によるコスモスではなく、行為によってコスモスを生み出す力がある。それがイノベーション。

著者の定義は

イノベーションとは、エネルギーを利用してありえないものをつくり、つくられたものが広まるのを確かめるための、新たな方法を見つけることを意味する

著者紹介のノーベル賞経済学者エドマンド・フェルプスによればイノベーションとは

「世界のどこかで新たな慣行になる新しい手法や新しい製品」と定義

【イノベーションを生み出す重要なポイント】

<第一義的に「混じり合うこと」>
人・アイデア・モノなど、あらゆるモノ・コトが混じり合ってこそ新しい知見や発見・発明が生まれ、その成果のうち、その時代の要請に適応したものだけが残っていく。混じり合わなければ、新しい発見を生み出すことはできません。できるだけ混じり合うことで様々な可能性が生まれ、その中から適応したアイデアだけが生き残っていく。同じイノベーションでも、その時代の要請にマッチしなければ消滅していってしまいます。

生き物でも同様。生き物が混じり合うことで様々な遺伝子が生まれ、その中でより適応した遺伝子だけが生存していく。環境が変われば、またその新しい環境に適応した遺伝子だけが生き残る。そのためには、できるだけ遺伝子が混じり合って、あらゆる環境にも適応できるよう遺伝子の多様性を確保しておくことが必要。

■混じり合うためには「個人ではなく集団」
「Google創業者が車に轢かれても検索エンジンは登場していた」
エジソンがいなくても電球は発明されたでしょうし、ライト兄弟がいなくて飛行機は発明されたでしょう。つまり、同時代的に同じようなニーズと環境があれば、おおよそ同じようなイノベーションが誕生するのです。

*蒸気機関:ニューコメンがいなくても1730年までに間違いなく発明されていた
*自然淘汰:ダーウインがいなくてもウォレスが1850年代に理解していた
*相対性理論:アインシュタインがいなくても、ヘンドリック・ローレンスが数年以内に導いていた
*原子爆弾:シラードがいなくても20世紀にいつか発明
*DNA構造:ワトソンとクリックがいなくても、モーリス・ウィルキンスとレイモンド・ゴスリングが数ヶ月以内に把握していただろう

■混じり合うためには「開かれた場所が必要」
少ない人々が寄り添って、少ないアイデアをそのまま利用しているだけでは、新しいアイデアは生まれにくい。交易や交換が盛んな場所でイノベーションが起きる。

つまり北朝鮮ではなくカリフォルニアであり、フエゴ諸島ではなくルネサンス期のイタリアだ。

■混じり合うためには「過疎地よりも大都市」
都市は大きくなるにつれ、必要な人口当たりの教育機関、特許、そして賃金が増える。

最近はリモートワークの普及で地方移住者が増えつつあるといいますが、やはり直接対面による情報交換に勝るものはいまだにないのではと思います。時には直接会って話したり何気ない会話をすることで新しいアイデアは生まれます。

なので大都市の効用は、これだけリモート空間が広がった現代においても不変ではないかと思います。

■混じり合うためには「ゆっくりとしたプロセスが必要」
生物は途方もない長い時間をかけてゆっくり進化していくように、イノベーションも突発的に生まれるのではなく、長い時間をかけて、何度も何度も失敗と成功を繰り返しながら、徐々に具現化していくのがイノベーション。飛行機でも自動車でも、DNAの二重らせん構造でも、長い間にダラダラと少しずつ完成・明確化していったといいます。

■混じり合うためには「できるだけ民間に」
実は産業革命による大富裕化において、国家主導のイノベーションは殆どなかったと著者が断言しています。

イノベーションは、新しい現象ではない。19世紀以前に出現した人間の生活水準の劇的改善にも貢献した。しかし、この大富豪化の背後にあるテクノロジーとアイデアが、政府に負うところはほとんど、またはまったくない。19世紀、イギリスをはじめヨーロッパ諸国が新しい鉄道、鋼鉄、電気、織物イノベーションは新しい現象ではない。

元々は軍のアイデアだったというインターネット技術であっても、そのアイデアが軌道に乗ったのは国防総省の手を離れてからだといいます。

著者は国家主導の成功事例として取り上げられる日本政府についても、OECDの中でも科学教育に費やす予算は85%が平均だが日本は50%未満、研究開発への資金提供も8%未満で、日本の経済的成功は民間主導の面が大きいとしています。

三輪芳郎の著作「規制緩和は悪夢ですか」などを読んでも、護送船団方式の産業は鉄鋼や造船・繊維などの産業であって、自動車や電機など、日本の経済発展を支えた主要産業は民間主導、と主張していのが印象的でした。

このほか、独裁国家や帝国主義ではイノベーションが生まれない、システムもオープン化が必須、失敗を許容できる文化、大企業ではなく中小企業など、混じり合うためのイノベーションに不可欠なキーワードが複数登場。

本書の前半にはこれらを証拠づけるエビデンスが「エネルギー」「公衆衛生」「食料」「輸送」「先史時代」などのジャンルごとに明示されており、このあたりはスティーブン・ピンカーの名著「21世紀の啓蒙」と重複する部分もあります。

以上、いま最も必要とされているという「イノベーション」は、自由社会・自由貿易が保証された国家でないと生まれないなと再認識。法の支配のもと、できるだけ自由に活動できる環境を提供されればイノベーションは生まれやすい。今後の経済成長はイノベーションなくしてあり得ないので、やはり自由を標榜する民主主義国家の方が今後も発展していく可能性が高い。そうすると、いろいろ問題はあるものの、依然としてアメリカ合衆国が、(最近ではGAFAMを生んだように)イノベーションを生み出す土壌としては継続しそう。

一方、専制主義国家では、イノベーションを阻害する国家の介入を許すため、早晩行き詰ってしまうな、ということ。台頭する中国も経済的自由を人民に確保している間は、今後も発展していくでしょうが、最近は、かつての毛沢東の主導した時代、つまり経済に過剰に国家が介入するようになってきているので、早晩イノベーションは停滞し、そのまま沈んでいく可能性も大いにあり、ということです。

*2020年10月 奥日光 龍頭の滝 


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