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古墳にみる「事実の歴史」と「価値の歴史」

歴史には「事実の歴史」と「価値の歴史」があります。何度かココでも紹介しましたが、大阪府を実地見聞していると、何度もこの問題に突き当たります。

■事実の歴史=歴史学のこと
啓蒙主義に基づく、誰もが納得できる事実に基づいた人文科学としての歴史学。

■価値の歴史=神話や各種創世記・宗教の経典や近代以前の歴史書のこと
歴史上の出来事をベースに、何らかの価値観や物語に基づいて創作・編集した歴史。著者の意図に即して展開するよう、その意図と矛盾する、あるいは都合の悪い事実については言及しないか、あるいは歴史学的事実を変えて展開された歴史。

私の場合、どっちも当然世の中にあって然るべきで、両方とも両方の立場で楽しめばいいと思うのですが、これを混同している人が多いのは困ったことだなといつも思ってしまいます。

特に教育の場においては、価値の歴史は「国語(文学)や倫理(宗教)の教科」の中で教えるべきですし、一方で事実の歴史は「歴史の教科」の中で教えるべきでしょう。そして「違いものなんだ」と認識させないと、混乱してしまいます。これは大人も同様。

なぜなら現代日本は「啓蒙主義」を普遍的価値観として採用しているからです。

国家神道を普遍的価値観として採用していた戦前日本であれば、日本史の場合は皇国史観に基づく「価値の歴史」が正当であり、啓蒙主義的にはフィクション(神武天皇など)であっても、これが正しいとしていて、橿原神宮をわざわざ明治時代に作って正当な歴史として教えていたのは、それはそれでその時代にあっては正しいわけです。

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(橿原神宮:2021年5月)

「啓蒙主義の世界には神はいなくても、キリスト教の世界には神がいる」のと同じことであって、西洋人はこの点、ある程度切り分けができているように感じます(同じ人の頭の中であっても→平野啓一郎のいう「分人」の概念)。

特に日本史の場合、古代に関しては「古事記」「日本書紀」という価値の歴史(両方合わせて記紀神話という神話)を、事実の歴史と誤解している人が多く、実際に現地に行くととても厄介なことになるし、よくこの事情を知らない普通の観光客が訪問したら何が神話で何が事実=歴史学としての歴史か、混乱してしまうのではと思ってしまいます。

大阪府で代表的な事例は、大仙陵古墳(堺市)と今城塚古墳(高槻市)。

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(大仙陵古墳:2021年10月。以下同様)

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(今城塚古墳)

大仙陵古墳は、歴史学的には「仁徳天皇陵」ではないことが定説になっていますが、地元の人も現地の呼称も宮内庁も未だに「仁徳天皇陵」と称し、なんと啓蒙主義の権化であるべき「大阪府立近つ飛鳥博物館」

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(近つ飛鳥博物館)

「堺市立堺市博物館」の表示や映像でさえも仁徳天皇陵古墳と未だに称しています。

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高槻市にある「今城塚古墳」は、ほぼ継体天皇綾で間違いないと歴史学の世界では言われておりますが、宮内庁は隣の茨木市にある「太田茶臼山古墳」を継体天皇綾としています。ちなみに継体天皇は歴史学上、今の天皇の血統を辿れる最も古い天皇(「日本史の論点」中公新書編集部)なので、

啓蒙主義を普遍的価値観とする現代においては、初代は歴史学的にはフィクションである「神武天皇」ではなく、「継体天皇」ということになりますが、あまり注目されていません。高槻市民もまさか、今の天皇の墓の初代が高槻市内にあるとは思っていないでしょう。

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(高槻市立今城塚古代歴史館:ココは真っ当な事実の歴史館)

このように特に古墳の事例は、典型的な事実の歴史で語るべきを「価値の歴史」で語ってしまっている事例。

*なお、宮内庁は天皇陵の治定(じじょう)について、平成21年7月6日の国会質問(日本共産党の吉井英勝衆議院議員)への回答文書にて

陵墓の治定を覆すに足る綾誌銘等の確実な資料が発見されない限り現在のものを維持していく所存

という回答で「完全に記録として”違う”という証拠を提示されない限り、変えませんよ」という見解。歴史学に基づく説は、状況証拠であって治定を変えるほどのものではないとのことでしょうが、それでは治定した根拠たる「証拠」があるのかといえば、ないので、宮内庁の言い訳もちょっと苦しい感じは、します。

なお、何でもかんでも一致しないかといえば、そうではなく「聖徳太子陵」については大阪府太子町にある叡福寺裏の「叡福寺北古墳」で宮内庁も歴史学も一致しています。

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(聖徳太子陵)

このように、なぜ日本は日本史において啓蒙主義と神話が渾然としてしまうかといえば、多分、戦前の国家神道を国教とした名残が一部の人や宮内庁に残存しており、彼ら彼女らの頭の中で明確に事実の歴史と価値の歴史を分別できていないからでは、と思います。

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(叡福寺からみた、美しい太子町の街並み)

とはいえ、戦後80年になろうかとする現代社会において、未だにこのような事態が起きているというのは、とても興味深い事象ではないか、とも思っています。

*写真:美しい百舌鳥古墳群の「御廟山古墳」:2021年10月



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