21世期の啓蒙 上巻 スティーブン・ピンカー著 書評
前著「暴力の人類史」の続編ともいうべき本書は、啓蒙主義の理念(=理性、科学、ヒューマニズム、進歩)がいかに世界人類を幸福に導いてきたか?をデータを駆使して証明。
ベストセラー「ファクトフルネス」に近い内容ですが、ピンカー氏の「暴力の人類史」の方が早くから科学的データ主義に基づいて現代のありようを証明していたのではないかと思います。幸福に向かう進歩に関しては多様な意見があると思いますが彼の場合は誰もがそうだと思わざるを得ない価値観なので非常に説得力があります。
進歩とは「死より生」「病気より健康」「飢餓より満腹」「貧困より裕福」「戦争より平和」「危険より安全」「先制政治より自由」「偏見・差別より平等」「文字が読めないより読める方」「無知より知「愚鈍より明敏」「不幸より幸福」「単純重労働より豊かな余暇」。完全に同感です。
まずは上巻のみ読了。下巻は個人的に異論も多くなりそうですが上巻の主張は概ね同感。
認知心理学者スチーブン・ピンカーによる前著「暴力の人類史」はユヴァル・ノア・ハラリいうところの「虚構」がどのような経緯を経て現代に至るのか、が実に明快に書かれてあって、だからこその(本書につながる)最も重要な虚構としての啓蒙主義の理念という主張なので、本書を読む前に「暴力の人類史」を事前に読むことを強くお勧めします。
「暴力の人類史」は個人的にハラリやジャレド・ダイアモンドの一連の文明論的著作にも通じる、いやそれ以上の名著ではないかと思っています(上下巻で計1万円と高額なので図書館等でどうぞ)。
さて本書は、相変わらずの「これでもか」とばかりのデータに基づく現代進歩の事実を証明。数字に基づいて現実を把握するという科学的手法は、その手法が正確に行われている限り、誰もが納得せざるを得ないという点で、一番物事を判断するのに重要な手法ではないでしょうか?
ということは未来に向かって、効率よく実現性高く進歩していくための1番の処方箋ということです。
基本、全てにおいて人類は進歩しているという証明が続くのですが、内容があまりにも多すぎて詳細は読んでもらうしかない。
個人的に興味深かったのは「エントロピー」「中国の評価」「環境&エネルギー問題」「民主主義」の4つ。
(1)エントロピー:エントロピーとは19世紀の物理学から生まれ、物理学者のルートヴィヒ・ホフマンによって現在の形に定式化された。彼が導き出した熱力学の第2法則によれば、孤立系におけるエントロピーは決して減少しない。この法則により、閉鎖系は否応なく徐々に構造や秩序を失い、言う意味で有用な結果を得られる可能性も減っていき、やがて特徴も活気もない均質な平行に至り、そこに落ち着く。
簡単にいうと、世界は「無秩序」が自然な状態で、秩序的なものもほっとけばすぐに無秩序の方向に向かうということ。部屋の整理整頓と同じことで、ほっとけばどんどん散らかっていきますよね。この世界も同じで、何かしらの意図的な取り組みをせずにほったらかしにしておくとあっという間に無秩序な状態になる(=エントロピーの増大)というのが自然の法則の最上位の概念だと物理学者アーサー・エディントンが主張しているそうです。
啓蒙主義の理念は長い時間をかけてやっとこさで実現したのだから、常に意識して修復しアップデートしていかないと、あっという間に暗黒(=退化)の時代になってしまうというわけです。
(2)中国の評価:中国はご存知の通り、中国共産党一党独裁による社会主義国家ですが、鄧小平以降の改革開放路線によって、表現の自由や政治の自由は制限されているものの)経済の自由(移動の自由、教育の自由、不動産の自由)などは進んでいるとして中国なりに自由の範囲が広がっている点を進歩とみなしています。もちろん過去に比べてということなので先進国に比べれば、まだまだではありますが、このようにちゃんと科学的な視点で評価しているところが面白い。
(3)環境&エネルギー問題:気候変動問題がやはりメインで、さすがのピンカー氏もここだけはネガティブ評価。むしろ現代が抱える一番の問題として認識しているように感じました。それでもアル・ゴアを代表とするロマン主義的環境主義=グリーニズムは批判しつつも「気候変動は問題」だとして課題認識。
ただし再生エネルギーによる解決は一部だとしてジャーナリスト:ロバート・ブライスの主張を紹介。
「世界のエネルギー増大に追いつくには毎年ドイツの同面積の土地を風力発電にしなければならない。2050年までに再生可能エネルギーで世界のエネルギー需要を満たすためにはアラスカ含むアメリカに加え、メキシコと中央アメリカ、それにカナダの居住面積を合わせた面積と同程度の土地を風車と太陽光パネルで埋めなければならない」
ということで「原発とカーボンプライシングによって解決できる」と提言。
原発問題で興味深かったのは、原発が一番犠牲者(=死者)が少ないという点。
「原発の死者数31人(チェルノブイリのみで福島はゼロですね)で、発電1キロワットあたりの死者数は、原子力発電と比較して天然ガスは38倍、バイオマスは63倍、石油は243倍、石炭は387倍も多い」
つまり、石炭発掘や天然ガスを地中から掘り出すにあたって毎年多くの労働者が死亡している点を挙げ、遥かに原発の方が死者が少ない=安全と主張しています。これも一理あると思う一方で、原発によって「広範囲のエリアが人間が長期間住めなくなってしまう」「最終処理方法が未解決」などの死者以外のマイナス要因もあるかとは思うものの「いやいや石炭の方が毎年たくさんの死者を出しているんですよ。まさに今この瞬間も」と言われてしまうと反論の余地がありません。
(4)民主主義
民主主義が大事なのは、暴力を使用せずに政権交代できることを最大のメリットにあげて決して民意を反映させることは最優先ではないことが示唆されています。
①哲学者カール・ポパー曰く「開かれた社会とその敵」より:民主主義とは誰(=国民)が支配するかという問いの答えとして理解されるべきではない。むしろ「どうすれば血を流さずに酷い指導者を追い出せるか?」という問題を解決するものとして理解すべき。
②政治学者ジョン・ミューラー曰く「民主主義とは、暴力を用いずに政権を交代することに国民が実質的に同意し、国民が暴力以外の手段で政権を替えようとする場合には、政権はこれを妨げない時に生じるものである」
引き続き、下巻読み進めますが、現実を「数字で把握する」というコンセプトはより多くの人が身につけるべき重要な視点ではないかと思っています。
*写真:カナダ アルバータ州 モレイン湖