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「絶望を希望に変える経済学」自由貿易編

引き続き「絶望を希望に変える経済学」より今回は自由貿易に関して。

■硬直的な経済

本書で注目すべき知見は「経済は硬直的だ」という点。例えば

貿易が引き起こす悪循環の多くは、人とリソースの移動性と関係がある。グローバル化した世界でモノがやすやすと国境を越えて移動するからといって、人とリソースが国内でスムーズに移動するとは限らない。・・・彼らは(経済学者&政策当局)、労働者は簡単に他産業への転職または移動またはその両方ができるという前提に立っていた・・・

同上

一般に旧来の経済学では「人間は合理的に行動するものだ」というのが前提になっていますが、著者によれば、そんなことはあり得ない、といいます。これは行動経済学的なアプローチというよりも、開発経済学的なアプローチなのかもしれませんが、「人間は本来的には保守的である」という人間の本性に基づいた考え方。

つまり、誰でも「今のままがいい」のです。

一般に自由貿易に踏み込むと、儲かる地域(日本だったら自動車産業集積地)と損する地域(同、牛肉・オレンジの生産地)が生まれますが、旧来の経済学では、労働者は損する地域から儲かる地域に引っ越して転職するだろう、という考え方。

ところがそうは問屋が卸さない。

なぜ引越ししたがらないかといえば、その土地への愛着はもちろん、地縁血縁のコミュニティがあるから。特に発展途上国でこれが顕著だといいます。そして土地を失うことへの恐怖。発展途上国では「土地さえあれば、自給自足できる」という観念が強く、土地を売却してほかの地域に行くなんてことは、相当勇気のいることらしい。

ノーベル博物館(2018年撮影、以下同様)

■自由貿易はたいして経済成長を促さない?

一般に自由貿易は、経済成長に必須で「貿易を自由にすればするほど経済成長を促進する」というのが経済学上の定説ですが、著者は、実際には「そうでもない」といいます(かといって著者が自由貿易を否定しているわけではありませんが)。

自由貿易は利益になるというのは、経済学における最古の命題の一つだ。

本書チャプター3

ところが著者が実際にエビデンスを上げている事例は、自国のインドだけで、インドの事例も1991年以降の自由貿易転換(関税平均90%→35%)によって明らかに経済成長しています。

 1991年     :ダウン
 1980年ー80年:4.0%
 1985年ー90年:5.9%
 1992年ー04年:6.0%
 2000年代半ば :7.5%

同上

他に、インドの成長はもともと成長の余地がある時期に自由貿易が重なったのかもしれない、などとも反論しているのですが、それも著者の憶測であってわかりません。

台湾系アメリカ人エコノミストのリチャード・クーによれば、戦後、戦争による被害がほとんどなかったアメリカが、自由貿易によって豊かなアメリカ市場を開放したから、西欧や日本などの戦争被害国の経済成長が達成できたといいます(私も同感)。

また中国が改革開放で、人類史上最速にして最大の経済成長(クー)したのも欧米、特にアメリカが西側の自由貿易体制への参入(WTO加盟など)を了解したから経済成長したのであって、自由貿易に転換しなければ、あらゆる国家は経済成長しなかったのは当然ではないかと思います(詳細は以下「(2)戦後の世界」参照)。

敬愛するムハマド・ユヌスの紹介パネル

■自由貿易は不平等を促進する

また、外国に門戸を開放すれば「不平等は促進」するといいます。著者は自由貿易前のインドについて

自由化前に行われていた厳格な国家統制経済が、不平等の軽減に極めて効果的であったことは間違いない。ただしそのために経済成長は犠牲になった。

同上

一般に自由を手に入れれば、うまくいく人もいれば、うまくいかない人もいるので当然不平等は生まれます。

しかし同時に不平等も拡大している。同様のことがおそらくは一段と顕著で1979年に、韓国で1960年代前半に、ベトナムで1990年代に起きた。

同上

ここで大事なのは、経済的弱者が自由貿易の旨味を味わえるかどうか?

過去30年間の間に多くの中低所得国が貿易自由化に踏み切っている。ところがその後に起きたことは‥低中所得国が豊富に抱える低技能労働者の賃金は、高技能労働者や高学歴労働者の賃金に比して伸びが低かったのである。

同上

つまり著者が本書に示すエビデンスによれば「低賃金労働者の賃金も伸びて豊かになるが、高賃金労働者ほどではない」という結論。自由貿易によって低賃金労働者は豊かになりますが、それ以上に高賃金労働者は豊かになるので不平等が拡大するということ。

したがって著者の主張に従えば、日本のような累進課税や贈与税・相続税を採用して所得を再分配をするというのが政府の役割かもしれません。

なお先進国に限った事例として、自由貿易によって街そのものが無くなってしまう、という場合があります。いわゆる企業城下町。この場合、著者は、街全体で失業者が出てしまうと通える範囲での転職が困難になってしまって、労働者たちの人生そのものが不幸に陥ってしまいますが、だからといってトランプのように保護関税を復活させるべきではないともいいます。

問題は企業城下町が企業を失うことによるショックを低減させるためのプロセスにもっと注意を払うべきとのこと。具体的には、貿易調整支援制度(失業手当を最長3年間給付)など、失業者に向けた手厚い政策を講じることで、ショックを軽減すべき、というのが著者の主張。

このように、

自由経済・貿易は維持しつつも、維持することによって生まれる弱者にもっと注意を払うべき。

それこそが「人間の尊厳」を大切にする政策で、政府のやるべきことだとしているのです。

日本初のノーベル賞受賞者:湯川秀樹の紹介パネル

■「大国は鎖国OK」⇔「弱小国は開国必須」

A・コスティノ&A・ロドリゲスによる「アメリカが貿易から得る利益」によれば、

貿易から得られる利益の総額は、アメリカのように規模の大きい経済にとって、実際には極めて小さいということだ

同上

アメリカのように資源が豊富で自給自足が可能な国は、鎖国しても大して影響はないというのは確かでしょう。しかし同じ大国でも、インドや中国、日本、ドイツなどは資源がなければ完全に死亡します。なので、資源を自給自足できる大国のみが鎖国可能ということではないかと思います。

したがってアメリカは今回のロシアに限らず、どの国も経済制裁することが可能。ロシアの場合は、資源はありますが経済力は微小なので、このままいくと旧ソ連時代のように「モノ不足」時代に戻ってしまうかもしれません。著者バナジーが「資源の有無」について本書で全く言及していないのは、ちょっと説得力不足ではないかと思います。

一方の弱小国。

国際貿易が大きな意味を持つのは、小さい国や貧しい国だ。例えばアフリカ、東南アジア、南西ヨーロッパの国々である。これらの国ではスキルが乏しく、資本も乏しい。鉄鋼や自動車に対する国内需要は十分に大きくないうえ、所得水準は低く、人口もさほど多くないので、大規模な生産を維持することができない。

同上

したがって、貿易によってその不足分を補完する必要がある、と著者はいいます。

こうやってみると、アメリカは依然として強し。パックスアメリカーナは弱まったとはいえ、まだまだ健在で「米国は買い」というポジションは、本書を読んでも揺るぎないな、というのが私の実感でした。

*写真:ノーベル博物館(ストックホルム、2018年撮影)

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