見出し画像

21世紀の資本 トマ・ピケティ著 書評

R(資本収益率)>G(経済成長率)

この原理を証明したのが本書「21世紀の資本」。簡単にいうと人間が働くよりも資本(不動産や株などの金融資産)に働いてもらった方が儲かるということです。

したがって経済的人生の戦略としては

「できるだけ貯金して資産を増やし、資産を使って(=投資して)、収益を上げていく」

ということになります。そして資産が十分に形成されてくれば、それに合わせて労働は減らしていけばよい。

ピケティは、このシンプルな原理を証明するために、日本語版で600ページ以上の紙面を使って、データ分析可能なありとあらゆる国とその歴史の情報をかき集めて証明してくれていますので、ほぼ間違いない仮説といっていいかもしれません。

この原理の結果としての「持つものがどんどん富み、持たざる者がどんどん貧する」をピケティはネガティブにみて資本税導入などによる格差是正を提言していますが、私自身はそうは思いません。

本人の努力や才能を遺憾なく発揮して、運にも助けられながら財=資本を積み上げていくことは、法の支配の行き渡った先進国であれば、その国や社会への貢献度は、新しい付加価値を生み出しているという点で雇用の創出や税金に間違いなく貢献しており、それ相応の報酬を得ることは当然です。確かに米国の超高額報酬のような極端な事例はどうかなとは思いますが、基本的方向性は間違っていない。

スティーブン・ピンカーは、不平等は本当の問題ではなく、絶対的貧困が問題なのだとし、哲学者ハリー・フランクファートの「不平等論」から

道徳的見地からすれば誰もが”同じだけ”持つことは重要ではない。道徳上重要なのは誰もが”十分に”持つことである

『21世紀の啓蒙(上巻第9章)』

と引用。シンガポールのように有能な実業家を優遇して経済を発展させ、その結果として絶対的貧困を減らす方が重要で「格差そのもの」は問題ではありません。

更に

総人口のうちの貧しい方の半分は過去と同様に貧しいままである。2010年時点で彼らは富全体の5%しか占めていないが、1910年もそうだった

と21世紀の資本におけるピケティのコメントを引用しつつ

今日の富の総和は1910年よりもはるかに大きいのだから、貧しい半数の人たちが同じ割合を所有しているなら”過去と同じに貧しい”のではなく、ずっと豊かになっている

と反論しています。

法の支配が行き渡った先進国社会であれば、金持ちはむしろ彼らの取り分以上の付加価値を社会にもたらします。現代でいえば、GAFAの創業者たちやビル・ゲイツなどなど。

したがって、高額所得者に対する所得税は、収入の50%以内にする等のほどほどさが必要で、ピケティ主張の資本税についても否定はしませんが、節税に労力をかけさせたり、モチベーションそのものを削ぐような重税ではなく、現実的な範囲で調整するのが必要です。

むしろ、マイナンバー制度などのツールを最大限活用して、外国への資本流出含めて、できるだけ資本を捕捉し、税金の取りっぱぐれをなくしていくこと(=法の支配の徹底)の方が大事。

一方で低所得者層については、就労機会の増大が必要で、ベーシックインカム(BI)という働かなくても生活できるような制度は、補助金的な位置付けに限定。BIだけで生きていけるようにしてしまうと確実に低所得者層の人たちの労働意欲は失われ、ますます人間としての生きる意欲などの基本的幸福への体験が失われているのは、生活保護関係の実態を知れば、それは自明の理。

結果は不平等だが、働く機会はあって、たとえそれがビジネスとして成り立っていない職場であっても行政が補助金を出すなどして、公的に働く場を作ることが必要です。そしてやっと食っていけるというのが最低限の国が補償すべき国民への義務でしょう(もちろん疾病者や障害者等、経済的自立ができない人は別)。

お金持ちを虐めても、それは社会の持続的な繁栄にとって何の得にもなりません。むしろしっかり稼いでもらって法人税や所得税の形で社会に還元してもらった方がよっぽど社会は繁栄します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?