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異なる考え方を受け入れることの難しさと大切さ

今年1年を振り返り、一番感銘を受けたのはインドネシアの国是である「多様性の中の統一」。「多様性を認め合いましょう」というダイバーシティの価値観を先取りしたこのインドネシアの国是は自分の価値観として内面化(自分の考えと一体化すること)していきたい(まだできていない)、そう思っています。

とはいえ、政治的なポリシーや信仰はもちろん、異なる考え方を受け入れるのは、本当に難しいこと。

結局、自分の考えは内面化することによってその出発点は「快か不快か」になり、一旦固まった自分の考えと異なった考え方は非常に不快に感じてしまいます。

英フィナンシャルタイムズのジャナン・ガネシュというコメンテーターの以下記事「大衆迎合 温床は私たち」は非常に印象的。

西側民主主義国が抱える問題は、フェイクニュースの問題等、事実と虚構を混同することでは全くありません。問題は「明らかな事実=ファクトを知らされても、その事実が自分の意見と異にする場合は無視し、決してその事実を受け入れない」ということなのです。

更に、Googleのような検索エンジンは、IDログイン状態での検索になるようユーザーを仕向け、そのIDに合わせて検索結果を変えることでユーザーは自分の考えに近い興味のある、つまりIDの価値観に沿ったサイトしか表示されなくなってきます(心理学的には確証バイアスというやつ)。

つまりスマホ普及によって現代社会は「ますます自分の考え=価値観に近いもの」しか触れなくなり、その考えを補強するコンテンツばかりをみるようになってますし、その考え方は固定化していきます(哲学ではこれを「信念補強」という)。

以下書籍「ルポ 人は科学が苦手」も参考になります(後日書評予定)。

とはいえ「信念補強」という行動は人間にとって自然なこと。自分自身のアイデンティティをより強固にするために自分の信条や興味あることについて深掘りしていくのは当然のことです。

問題なのは他者に対し、信念補強された自分の考え方を説明し納得してもらう努力は良きことではあるものの、それを強引に押し付けたり、異なる考えの人を差別したり排斥したり、ましてや暴力に訴えること。

(暴力に訴えるまではいかなくても、日頃私も我を忘れてしまうと自分の考えを強引に相手に押し付けようとしてしまいがちです)

実は哲学を勉強していると「何が絶対的真理なのか」という「世界原理の追求」がテーマとして登場しますが、デカルトの近代以降の西洋哲学の歴史は「全員が納得できる絶対的真理(=普遍的に何が正しくて何が間違っているか)というのはありませんよ(「わかりません」という人もいます)」という結論が先人たちによって徐々に定説となっていく過程と言っても過言ではありません。

哲学に興味のない人でもデカルトの「我思う、故に我あり」だとかニーチェの「神は死んだ」という言葉はどこかで聞いたことがあると思います。

例えば「我思う、故に我あり」は自分自身以外は認識不可能だということだし、「神は死んだ」というのは「(神=絶対的真理)は死んだ」ということ。

したがって、違うのは当然で「お互い違う事を認め合う=多様性を認め合う」という価値観だけは共通の価値観として共有したい(もちろんこれも一つの価値観=虚構です)。それが「多様性の中の統一」。そして日本国憲法の基本コンセプトにも包含されている価値観。

大切なのは、意見が異なる場合に相手の立場に立ってその意見の根拠をよく聞き、自分と意見を摺り合わせして、お互いの了解できることを探すこと。そして最終的に一致しなくてもそれぞれを受け入れて尊重すること。

例えばリアルな世界、
仕事であれば、顧客または上司からの「自分と異なる意見」を優先すべき機会に日々遭遇します(部下からだったら昔でいう讒言)。そしてこれは不快なことで、できるだけ避けたいことになりますが、素直な気持ちになって相手の気持ちになって「納得できるよう考えてみる」ということ。

先日訪日したバチカンのフランチスコ教皇もタイ訪問に寄せて、ツイートで曰く

「キリスト者と仏教者が、それぞれの違いにかかわらず、互いの真価を認め、尊重するとき、わたしたちは世界に希望のことばを示します。それは、分裂によって傷ついている人々を励まし、支えることができるからです」

かつて熾烈な戦争を何度も裏で仕掛け、繰り返してきたローマン・カソリックでさえもその価値観は大きく変わっているのです。

インドネシアも今は「多様性の中の統一」は危機に晒されています。実は無神論は「多様性」の中には含まれていませんし、インドネシア自身スハルト・スカルノ新旧大統領の権力闘争による大量殺戮などの問題(9・30事件)もあって問題山積みの歴史ではあるものの、インドネシア含め日本もなんとかそんな社会になってくれればと思います。

(残念ながら現時点、再放送予定はないようです)


*多様な意見を素直に受け入れるには、哲学はもちろん「超予測力」の能力を持った人たちの思考や行動が参考になるのではと思っています。以下ご参考です。


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