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『ストライカーのつくり方』藤坂ガルシア千鶴著 読了

<概要>

レオネル・メッシはじめ、アルゼンチンサッカーがなぜ優秀なストライカーを輩出することができるのか、についてあらゆる取材を通して、その解を知らしめたアルゼンチン在住のライターによる名著。

<コメント>

サッカーというスポーツは、アメリカやインド、日本などの国を除いては、ほとんどの国家においてナンバーワンのスポーツ。

ということは、世界中の国でその国力がその実績や強さに反映されるはずです。

実際、当然ドイツやフランス、イギリス(のうちのイングランド)などの西欧列強は世界最強なのですが、一方で南米のブラジルやアルゼンチン、ウルグアイなど、国力は西欧列強に劣るにもかかわらず、サッカーだけは長年、西欧列強に伍して世界の最先端に居続けられるのは一体どういうことなのか?

その中でもアルゼンチンに関しては、その回答が本書の中にあるとも言えます。

政治経済はボロボロで「張子のリヴァイアサン」の典型ともいえるアルゼンチン(詳細は以下参照)。

そのアルゼンチンが、今回W杯で不世出のフットボーラー、リオネル・メッシを擁して優勝。

アルゼンチン代表が世界最先端にして最強のリーグを擁する西欧列強をことごとく破って世界一になったその強さの秘訣と、このような実績をなぜ継続的に発揮できるのか?

以下その根拠について、本書の内容を整理しました。

■メッシはどのようにしてつくられたのか

サッカー好きならご存知のように、メッシは13歳の時に、横浜フリューゲルスの監督でもあったFCバルセロナのカルレス・レシャックに見染められ、FCバルセロナのカンテラでその技術を磨いてきたので、スペイン・バルセロナのサッカーがメッシのルーツのように思ってしまいます。

しかしながら、私からみても明らかに彼のテクニックは「バルセロナ流」というより間違いなく「アルゼンチン流」。

独特の低い姿勢で狭いスペースを細かいタッチでスルスルと抜けていくあのドリブルは、ヨーロッパ人でもないし、ましてやブラジル人でもない。アルゼンチン人にしかみられない特徴。

しかもメッシが唯一無二のスーパースターたる所以は「重要な試合であればあるほど結果を残す」というその強靭なメンタリティーに裏付けられた勝負強さ。

多分バルセロナに渡る13歳までに、メッシのあの特徴的なプレースタイルは既に完成していたということです。

加えてスペイン代表には決してみられない、あの強靭なメンタリティーも、5歳から13歳までのジュニア時代に受けたアルゼンチン特有のトレーニングと刺激によってもたらされたものだ、ということ。

それでは具体的にどういうことなのか?以下整理。

■サッカーとは「得点すること」

アルゼンチンの男子は、全員がストライカー目指してサッカーをする。ゴールしか目的はない。シュートをゴールに入れる執着心が人一倍あって、ストライカーとしていかにゴールを奪うか、だけに特化した練習を幼少から徹底。そしてストライカーになれなかった選手が致し方なく他のポジションに移っていく。

だから全員ストライカーなんです。したがってエゴイズムは美徳。ゴールを奪うために意固地になってシュートするぐらいじゃないとダメなんです。

かといって、得点するだけではダメ。

シュートが美しいパス回しの結果としての最後のトドメになっていなければならない。ロングボールでドカンと裏に蹴って「はい、ゴールしました」ではアルゼンチン人は納得しない。

■全土にスカウト網を張り巡らして逸材発掘

一体アルゼンチンのスカウトは、どうやって逸材を探すのでしょうか?選手を見極めるには10個のポイントがあると言います。

①テクニックがある(正確なトラップ、パス、ドリブル、ヘディング、シュート)
②スキルがある(実戦で①ができるかどうか)
③気質が強い(勝ちたい、という気持ちが強いかどうか)
④インテリジェントがある(監督の指示やゲーム展開を理解する能力)
⑤本能的である(予想外の展開にも機敏に対応できる能力)
⑥根気がある(勝負を諦めない、ボールを諦めない)
⑦心身ともにバランスが取れている(心身ともに健康)
⑧才能がある(何か一つ飛び抜けた才能がある)
⑨恥ずかしがり屋である(無感情ではないかどうかの見極めのため)
⑩無感情でないこと(→学ぶ姿勢があること)

以上のポイントをベースにたとえばニューウェルスでは年間15,000人の少年をテストするといいます。そして合格するのは70人のみ。しかもニューウェルスの当時のスカウトはあのマルセロ・ビエルサ。かつてマンチェスター・シティのグアルディオラ監督も、わざわざアルゼンチンを訪れて指導を仰いだという正真正銘の名将。

おおよそアルゼンチンでは、ブエノスアイレス州、サンタフェ州、コルドバ州の3つの州がスカウト網の中心。そしてビエルサは国を350地区に分けて選手を発掘するという、当時としては画期的な方法を編み出したと言います。

*ビエルサがチリ代表監督として2010年南アW杯を率いた時の逸話
チリ国民「これほどまでに強気なチリを見たことがなかった」
チリの著名ジャーナリスト:エドゥアルド・サンタクルス「チリのサッカーは、すごく悪いわけでもなければすごく良いわけでもない。いつだってまずまずのレベルだった」

というチリ代表を、ビエルサが戦う集団に変えたのです。ビエルサは戦術オタクとして日本では有名ですが、それ以上に強靭なメンタリティーに基づく勝利への執着心の備わった監督ということです。

■激しいコンタクトと攻守の切り替えの早いバビーフットボールで鍛錬

5歳ー8歳ぐらいの子供は、バビー(baby)フットボールという、フットサルをさらに小さくしたような、身体のコンタクトが許されたミニサッカーで基本的な技術を磨きます。

容赦なく体をぶつけ合い、常にマーカーが密着した状態でプレー。ボールは小さくバウンドしないので、足先や足裏を駆使して転がすしかありません。攻守の切り替えが目まぐるしく変わるから素早い読みと反応が必要なサッカー。

著者がはじめて「バビーフットボール」という言葉を知ったのは、1992年にレドンド(華麗なプレーで私たちファンを魅了したあのレアル・マドリーのレドンドです!)にインタビューした時。

レドンド自身はバビーではなくフットサルからサッカーを始めたそうですが、バビーが盛んな「クルブ・パルケ」の出身者で、レドンドのような優雅なフットボーラーにも、以下のような、あの激烈なアルゼンチン魂が宿っているわけです。

■コンペテンシアとレジリエンス

コンペテンシアとは競争心、レジリエンスとは逆境に耐えぬき、その経験をプラスの方向に変え、ポジティブな形で未来に繋げる能力(→テベスが典型例)。

1999年コパアメリカにて、著者が南米の指導者や記者に日本代表選手に足りないものを聞いたらそれは全員が「コンペテンシア(競争)」といったといいます(実際、この大会でゴールした日本代表は、南米サッカーを経験している三浦知良と呂比須ワグナーのみ)。

強靭な魂が宿るアルゼンチンのフットボーラーは、子供の頃から「コンペテンシア」と「レジリエンス」を鍛え上げられている。特にレジリエンスに関しては、彼らは、リケルメのように貧困地区出身者も数多くいるので、一見ハングリー精神からでは、と思ってしまいますが、ハングリー精神ではなくレジリエンスだそう。

とはいえ、貧困地区出身のフットボーラーには一流になるための共通したスピリットが存在するとアルゼンチンのスポーツ社会心理学者マルセロ・ロッフェはいう。

スラム街の住む人たちは普段、一般社会から疎外されていると感じながら暮らしている。その他、世間から認められたい、評価されたい、という気持ちは人一倍強い。しかも、自分の力を見せる場所が先進国であるなら、その思いはいっそう強くなる。教育や経済の水準が高い国の人びとから認められる喜びは、彼らにとって一つのタイトルを獲得するのと同じくらいの価値があるものだ。

■戦術に興味があるのは日本人ぐらい?

アルゼンチンでは育成年代以下では、戦術は一切教えない。ひたすらゴールを狙うためのテクニックしか教えない。

そもそも戦術を語って楽しむのは日本人ぐらいではないか。

現レアル・マドリー監督のアンチェロッティも「イタリアでは戦術なんかメディア含めてほとんど興味ない」という。驚いたのは片野道郎氏が著した『アンチェロティ戦術ノート』という著作に関して、アンチェロッティがイタリア国内で戦術を語ることは僅かなので、本書は当然書き下ろしで日本人向けにアンチェロッティの考え方を自身が日本人ジャーナリストに伝えて日本人向けに書かれたオリジナルだということ。

アンチェロッティ曰く

読者の皆さんは不思議に思われるかもしれないが、このような本をイタリアで実現することはできなかった。・・・イタリアの人々が興味を持っているのは、何よりも毎週の試合の結果であり、それをめぐるあらゆる種類のドラマと人間関係だ。ここで主題となっている戦術や采配、チームマネジメントといったテーマを監督自らが取り上げた本は、イタリアにはまったく見当たらない。

『アンチェロッティの戦術ノート』9頁

戦術は、監督やコーチが知っていればよく、サッカーファンもプレイヤーも関心があまりないらしいし、これは、アルゼンチンも同じ。テレビでも戦術論なんかしないし、みんなが関心あるのはどうやってゴールしたか、パスしたか、というプレイシーンばかりで、著者自身アルゼンチンに数十年住んできて戦術に関する番組はみたことがないと言います。なぜなら名将メノッティ曰く

完璧な戦術さえ考えておけば勝てるというなら、それはテレビゲームであってサッカーではない

確かにその通りです(それでも戦術論は面白い、と私たち日本人は思ってしまう)

■「身体が小さいからサッカーがうまい」という常識

アルゼンチンの名だたる選手を見れば、ほとんどが背の低い選手ばかり。これもアルゼンチンって不思議だな、と思っていたのですが、理由があったんですね。小さい選手こそストライカーにふさわしい、というセオリーが。

アルゼンチンでは身体がでかいと「鈍重でヘタ」と思われ、小さいと「俊敏でテクニックがある」と思われているのです。たまに身体が大きくてテクニックもある選手がいるとアルゼンチンでは「身体がでかいのにテクニックがあるな」と言われてしまうそうです。

もちろん体がでかい例外の選手もいます。バティストゥータにイグアイン、クレスポにパレルモ。でもメジャーなのは小さい選手。マラドーナ、メッシ、テベス、アグエロ、サビオラ、オルテガ、クラウディオ・ロペス、アイマール、そしてアルゼンチンの将来を担うフリアン・アルバレス。

最後にアルゼンチンでは、ブラジル人がいうずる賢さ=「マリーシア」は、「ピカルディア」という。ピカルディアとは、相手の集中力が鈍った一瞬を見逃さず、機転を利かせてアドバンテージを取ることを意味する。


このように、何度も国債がデフォルトするようなボロボロなアルゼンチンでも、サッカーだけは世界の超一流を維持し、二人の不世出のサッカーの神を輩出する、というこの意外性もまた、サッカーのたまらない魅力なのかもしれません。

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