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「読まなくてもいい本の読者案内」橘玲著 書評

<概要>
「読まなくてもいい本」、つまり古いパラダイム(哲学・文系心理学・社会学・法律学・経済学)に関する本ではなく、新しいパラダイムといえる最新の学問(複雑系、進化論、ゲーム理論、脳科学、功利主義)に関する本を読むことで、価値ある知を身につけるべきと提言した著作。

<コメント>
従来から橘さんの関心領域に興味があり、彼の本を通読してきた私は、5年前(2015年)に本書を読むに至って「納得できない感」満載になった私にとって記念すべき著作です。フッサールが提唱した現象学をバッサリと切り捨てたことに関して大きな違和感があったのです。

しかしながらそれ以外は非常に説得力が高く、これまでも「新しい知のパラダイム」として本書に紹介されている本は何冊も読んできて、しかも名著と呼ぶべき本も多い。

特に進化論や行動経済学、認知心理学、脳科学、ゲーム理論やフラクタル理論に関する書籍は、早速本書に紹介されている著作含め、この5年間で読み続けてきて、どれもなるほどその通りで、これは全く新しい知の世界。まさに「読んだほうがよい本」の読書案内。

ちなみに私にとって読んだ方がよい本とは「整合性の高いロジックがより広い領域で通用する仮説が紹介されている本」という意味で、まさに知の興奮が襲ってくる本。

特に進化論の考え方は、リチャード・ドーキンスのいう「盲目の時計職人(遺伝子の特質を喩えた言葉)」という原理が、人間含めたあらゆる生物の生態を説明する普遍原理として、深く納得しています。今後も本書に紹介されている書籍は、どんどん読み進めようと思っています。

◼️わたしの違和感
一方で5年前に私が感じた違和感は、ここに至ってますます確信に近い違和感になっているのも間違いありません。

それは「読まなくてもいい本」の中にも多くの「読んだ方がよい本」があること。橘さん紹介の本だけでは、私にとって関心のある「価値観」は限られた領域でしか説明できない。橘さんが紹介する本はほとんどが自然科学的思考をベースとした仮説の紹介(功利主義以外)。

例えば脳科学や進化論的ロジックによって心についての何らかの法則性がこれからもどんどん解明されていくでしょう。私もこの辺りは勉強を進めているところです。

とはいえ、すでに何度も紹介していますがこの法則性は全てを包含する法則性にはなり得ません。あたかも心や意識が自然科学で解明可能と思われるような言及もありますが、著者紹介の本の著者でさえ、ちゃんと読むとそこまでは無理だと言っています(認知心理学者スティーブン・ピンカーや脳科学者池谷裕二など)。

ところが特に自然科学者(または人文系が無駄だと主張する人も)の中には、ノーベル賞学者でさえ、このセオリーを理解していない人が多く、自然科学でこの世界が全て説明できると思っています。本書でもDNAの構造を発見したノーベル賞学者フランシス・クリックは脳科学で価値観や意識の世界も説明可能との紹介。

したがって、わたし的には「新しい知のパラダイム」系学問も勉強しつつ、橘さん曰くの「読まなくてもいい本」の中にも多くの読むべき本が存在しているというわけです。

人間の世界は、というか人間は自分の世界しか認識できませんし、自分の世界は自分の欲望と関心によって構成された世界。そして人間社会は、無限大の言語ゲームが織りなす関係が生成されては消失する世界であって、自然科学的にデジタル化できる世界でもありません。

自然科学で説明できる世界は、橘さんが批判している現象学的な他者との共通了解に基づく間主観的確信によって成立可能で、かつ何度も再現可能であり、かつ数値で扱える領域しかありません。

もちろんこの領域は「新しい知のパラダイム」によって拡大していくでしょうが、それは我々が生成している世界像の極々一部に過ぎません。

したがって、新しい知のパラダイムでは(功利主義で若干触れてはいるものの)、この分断の社会のありよう、それぞれの信条や価値観の違い、宗教観の違いの理由など、人間社会を取り巻く様々な現象は、どこまでいっても説明できないでしょう。

そしてこれだけ自然科学が普及しているこの世の中において、いまだにキリスト教やイスラム教など宗教の世界観で生きている人が無視できないほど存在しているのです。

残念ながら「新しい知のパラダイム」だけではあまりにもナイーブすぎます。

*写真:2007年夏 ローマにて


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