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「勉強の哲学」千葉雅也著 書評

<概要>
ポストモダン思想の成果と今の私たちが使っているリアルな言葉に基づき、私たちが内面化している価値観(著者は「ノリ」と表現)を相対化した上で、新しい価値観に出会い、深く知るための勉強の考え方とその考え方に基づく具体的指南書。

<コメント>
「言葉は生きている」ということが実感できる著作。

本書は、言葉は常に変化していくモノだから、どんな読み物でも「今」の言葉で読むのが一番最適だということを認識させてくれる好事例です。本書をもし30年前の人に読ませたら「デフォルト」だとか「セカイ系」だとか今風の言葉や解釈がたくさん出てくるのでもう「なんじゃこら」になってしまうのではないか。つまり言葉ってそれだけ変わっていくもんじゃないかと思います。

◼️言語の意味連関で生成された世界観
本書は「勉強」をキーワードに、難解な表現がある意味ステータスだったポストモダン思想を、今に生きる私たちの、特に若い年代の言葉に置き換えて解説した見事な著作。

私も読解力がないので、ここまで今の言葉でわかりやすく書いてくれると「なるほどドゥルーズ&ガタリなどの現代フランス思想ってこんなフレームで考えているんだと納得。

我々の世界は、言語の意味連関で閉じられた「環境のコード(価値観)」の集合体で、どこかのコードに属せざるを得ないのが私たち。だから絶対的自由はないが、環境のコードと一体化した言語から、言語だけを切り離し、(個別の意味から切り離された)言語と遊び、コードを弄ぶことによって自由は味わえる。そのためには既存の「環境のコード」から脱却し、自分の「ほんとうの欲望=享楽的こだわり」を自覚したうえで、自分の欲望に基づいた深い勉強をしたらよい。そうすれば、こっちのコードを離れたらまたこっちのコードに引越し、同じコードでもコードは拡張したり縮小したり深掘りしたり、などの自由を手に入れられる、という感じか。

「言語をそれ自体として操作する自分、それこそが、脱環境的な、脱洗脳的な、もう1人の自分である」

でもやっぱり私は、哲学者竹田青嗣さんのいう普遍的な認識方法を解明した本質学的思考による世界観の方がより自分の実感に近い。自分の現前意識から出発した間主観的世界像の方がより世界説明のロジックとして説得力があるなという印象です。詳細は以下ブログ参照。


とはいえ、千葉さん的な言葉の使い方含め「勉強の哲学」は、とても日常に即していて「自分でも出来そう」的な実感ありあり。これはこれで魅力的な考え方です。

◼️著者の言葉
*環境=ある範囲において他者との関係に入った状態
*コード=環境における「こうするもんだ」という「目的的・共同的な方向づけ」。
→環境のコード=価値観
*他者=自分以外の全て(神も人もモノも全て含む)
*ノリ=環境のコードにノってしまっていること
→周りに合わせて生きている=環境のコードによって目的的に共同化されている
*無意識的なレベルで乗っ取られている=内面化している

◼️勉強の哲学フロー
本書に関して、私なりに整理すると以下の通り。


(1)私たちは生まれ育っていく中で「どういう他者とどのように関わってきたか」によって構築されている。

(2)つまり私たちは他者との関わりで構築された環境のコードを無意識的に内面化している。

(3)このまま内面化した環境のノリにどっぷり浸って人生が楽しいのであれば、そのままが一番で「深く勉強する」ことは不要。

(4)でも、何かしらの違和感を感じるようだったら「深く勉強する」ことをお勧めする。

(5)「深く勉強する」と、環境のコードから脱コード化して自由に生きられる。

(6)一方で、環境のノリにどっぷり浸って不自由を感じながら生きるのも、実はそれはそれで良い。不自由によって快感を得る(マゾヒズムという)というのも一つの生き方にはなり得る。

(7)それでもやっぱり脱コード化したければ以下の手順による深い勉強を勧める。

(8)一つめ(アイロニー手法):現状価値観の課題の抽出。今の環境のコードを上から目線(メタな状況)で客観視した上で、アイロニー(批判)を徹底する。これをやり出すとひたすら深掘りして行き詰まってしまうので、ホドホドにしてユーモアへ転回。
→課題の奥に潜む本質的な課題を見出すこと。これを深掘りしていくこと。そしてこの課題に相当する専門分野を勉強すること。

(9)二つめ(ユーモア手法):現状価値観の加工。コードから脱するのではなくコードを加工する。コードの加工には拡張する方法と範囲を狭めて縮減する方法の二通り。
*拡張加工:ユーモアを使ってずれた方向にコードを広げる方法
*縮減加工:ユーモアを使ってコードの中の細かい事象に特化してコードを縮減する方法
→課題は課題としてより詳細な領域の深掘りをしたり、周辺分野を勉強したりなどで勉強の「幅」と「奥行き」や「ヴァリエーション」を味わってみること。

(10)三つめ:ユーモアの過剰化を防ぐために形態の享楽を利用。
→以上に沿って勉強を進めていくと縦横無尽に勉強の範囲が広がり過ぎてしまうので、自分の享楽的こだわり(自分のバカな部分)にしたがって仮固定し範囲の広がりを切断する。

(11)四つめ:享楽の硬直化を防ぐためにアイロニカルに分析→享楽的こだわりに沿って切断した勉強は、アイロニカルな分析によって変化したり深まったりと自ずと変容していきますが、この境地が自己目的的なノリでダンス的なノリであり「勉強のリミット」。つまりこれが「来るべきバカ」への道。

◼️決断主義
今の環境のコードから脱する方法は、何らかの宗教に入信(これは別のコードへの切り替え)したり、何らかの権威に寄り添うのが一番手っ取り早いと思うのですが、これらは他者への絶対服従、つまり「決断主義」として否定。

宗教や権威などを使わずに、批判的手法やユーモア的手法を使うなどの深い勉強をすれば、自由に生きられる、その方が幸せですよ、ということでしょう。

*写真 2020年夏 山形県酒田市 本間美術館 清遠閣

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