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道徳性の起源 フランス・ドゥ・ヴァール著 書評


脳科学的視点における「善」の価値観について勉強したところで、さて、数年前に動物学的視点における「善」の価値観について読んだ本があったなと思って今回改めて再読。


「道徳性の起源」とは以下の通り。
(1)集団行動することによってその種の保存と繁栄の可能性が高くなる
(2)種の保存と繁栄のためには集団をうまく機能させるための行動が必要となる
(3)その行動の一つとして道徳的行動がある
(4)具体的には「共感」と「良好な関係を求める願望」などに基づく利他的行動。相手の立場に立った行動、思いやりの行動、助け合いの行動などによって集団は円滑に破綻なく機能する。
(5)道徳的行動のほかには、序列に基づく規範(ルール)とルールに基づく集団ガバナンス(ボスだけでなく集団相互のガバナンスも併せ持っているところがまるで人間社会)

集団行動する哺乳類の場合、集団を機能させるためには「道徳性」と「序列に基づく規範」の二つが必要ということ。

したがって集団行動する哺乳類にはその違いはあれ、何らかの道徳性は保持しているということ(アリなどの社会性昆虫も集団という意味では同じだが道徳性によるものではない)。

人間における脳科学的見地からの「扁桃体」の大きさが影響するというのも、チンパンジーとボノボの比較でも同じで、より共感力の強いボノボの方がチンパンジーよりも扁桃体が大きいらしい。

もともと類人猿は森で暮らしていたが、チンパンジーはより疎らな森に移動し、更に人間は草原に生活環境を変えたわけで、森に残ったボノボの共感性がそもそもの類人猿の原型ではないかと言われています。

動物が集団行動を維持していく中では、序列があるからといって、序列の一番下位のものを見捨てることはしません。むしろみんなで助けるのです。心的障害者も身体障害者も同じように仲間で庇ってあげるのは、人間らしい行動ではなく、哺乳類らしい行動。類人猿の他、ゾウでも同じで、集団を維持するためには序列は作っても仲間外れにすることはありません(もちろん飢饉などの特殊な状況では人間の「間引き」のように変わるかと思いますが本書にその言及は無し)。

*そんなわけで相模原障害者施設殺傷事件(やまゆり園)事件の犯罪者は、集団生活する哺乳類が皆持っている基本的価値観さえも持ち合わせていないということ。わざわざ宗教的道徳や、啓蒙主義的人権という概念を持ち出すまでもないのです。

共感力はそもそも動物の本能として持ち合わせているもの。著者はこれらの道徳を、宗教から由来するトップダウンの道徳に対してボトムアップの道徳と称しています。

かといって著者は宗教を否定しているわけではありません(教条主義は完全否定)。宗教はもともと人間が皮膚のように持っていたもので、生きる価値(何をよりどころに生きていくかなど)を提供してくれるし「何かに帰属している」という安心感も提供してくれるといいます。

「利己的な遺伝子」で有名なドーキンスなどの無神論者を皮肉ってドゥ・ヴァール曰く
「信仰を持つ人を湖から引き出して岸辺に横たえてなにが最善かを説いても、その人たちがバタバタと跳ね回って結局死んでしまうのでは意味がない(彼らは理由があって湖の中にいたのだ)。

とし、そもそもドーキンスやダニエル・デネットなどの無神論者は宗教が提供する生きる価値や何かに帰属することによる安心感を提供していないと批判しています(まるでどこかの批判政党のよう)。

以上、霊長類の社会的知能研究の第1人者(訳者の柴田氏による)であるオランダ人フランス・ドゥ・ヴァールの知見(ハラリもホモ・サピエンス全史で引用)。

道徳性は人間含めた全ての社会的動物に備わる特性

ということです。

*最新の研究ではネズミでさえも道徳性の概念を持ち合わせているという説もあります。以下ご参考。


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