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横須賀「走水神社」にてオトタチバナを想う

昨日は、天気が良かったのでサイクリングがてら、横須賀「走水神社」に行ってきました。走水神社は、東京湾岸各地の名称の所以ともなったオトタチバナを祀ってある由緒ある神社。


思想の地形史」の「」では

海に面した鳥居をくぐると、山道がまっすぐに延びている。その右側には社務所や、オトタチバナの姿を刻んだ「舵の碑」がある

とのように、社殿の石段を登りつつ振り返ると

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東京湾に面していて、

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神社の裏山まで登ると美しい東京湾の風景が望めます。内房の工業地帯もくっきり。

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記紀神話(古事記と日本書紀)は、列島を統一したヤマト政権が、政権たるべく認知させるための「虚構」。

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共同体が共同体たるべく成立するには、成員みんなが共有できる虚構=ストーリーが必要なのは、いつの時代でもどんな場所でも同じ人間の性(さが)。

今の日本であれば「近代市民社会の原理と平和」でしょうか。

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神話によれば、ヤマトタケルが関東を征服するにあたり、ここから東京湾(浦賀水道)を渡ったといいます。妻のオトタチバナは、ヤマトタケルが上総(房総半島)に渡る際、海神の怒りで海上が荒れてしまって今にも船が沈みそうになったおり、オトタチバナが身を投じる事によって海神の怒りを収め、無事、上総に渡ることができたといいます。

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記紀神話」を「国家の虚構」として復活させた維新政府以降の大日本帝国においては、このオトタチバナの行動が「忠君愛国にふさわしい」として乃木希典東郷平八郎などに称賛され、彼らによって明治43年にオトタチバナの歌碑が社殿の奥に建てられました。

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オトタチバナの歌
「さねさし さがむのおぬに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」
( 枕詞  相模の野に   燃ゆる火の 火中に立って 私にとうた君よ)

しかし戦後の虚構「近代市民社会の原理と平和」のもと、上皇后美智子が、皇后時代の講演「子供の本を通しての平和」のなかで、

弟橘(オトタチバナ)の言動には、なんと表現したらよいか、健(ヤマトタケル)と任務を分かち合うような、どこか意志的なものが感じられ、弟橘の歌は(中略)あまりにも美しいものに思われました。「いけにえ」という酷い運命を、進んで自らに受け入れながら、恐らくはこれまでの人生で、最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに、感銘という以上に強い衝撃を受けました。

との如く、それぞれ意志を持った(=自立した)夫と妻が力を合わせて著者原武史は、

ヤマトタケルと任務を分かち合い、一緒になって難局を乗り切ろうとする意志の中に、男女の美しい愛情を読み取ろうとしている

として紹介。

戦後の虚構の「近代市民社会の原理と平和」を象徴する皇室が、その虚構にマッチした感想を述べられているのがとても印象的。

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そしてヤマトタケルが関東を制圧してのち、関東、特に群馬県の方に残る「吾妻」という地名は、関東を征服するにあたってヤマトタケルが妻オトタチバナの犠牲を嘆いて「吾嬬者耶(あづまはや)」と歌ったことから名付けられたといいます。

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10年前に会社の同僚と訪れた群馬県嬬恋の「愛妻の丘」も愛妻とはオトタチバナのことで記紀神話に繋がっているのですね。感慨深い。

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今に続く記紀神話も、その時の時代の国のありように合わせて解釈しつつ味わえるというのは、とても面白く「もっと知りたい」という欲求を沸き立たせてくれる、素晴らしい体験でした。

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