「生」と「死」

ASDでADHD、そして様々な二次障害の中に「希死念慮」に「自傷行為」も含まれてます、ですから「生と死」は表裏一体だと感じてます。
発達障害は「生」を意味し、生きる為に様々な仕事をしてますが、同時に「死」は希死念慮と自傷行為を意味してます。
生きる事は楽しい事も沢山あり、沢山の喜びも感じさせてくれますが、希死念慮からは何も生まれません、むしろ「無」に近い感覚というか、この世から消え去りたいって気持ちが生まれてしまう厄介な存在だと自分は思ってます。
ただ混在してるのも確かで引き剥がせない物を心に持ってます。
自傷行為は今のところ無意識に苛立ちで顔を引っ掻いてしまう所で治まってますが、この先悪化をする危険性が有ると診断を受けているので、希死念慮と自傷行為が進行しないように心掛けてます。
きっと今の自分が「死」を選択し、この世界での存在が無になった時、何を考え何をするのか全く見当がつきません。
ただその時の自分は正気なのか、狂ってしまってるのか考えると恐怖から身震いしかしません。
発達障害って実は楽しい事も多く有り、健常者とは感覚が違うので視点も違い、物語のストーリーも2度楽しめたりするんです。
自分は過去に書いたか忘れてしまいましたが、自殺未遂者で「生」の世界に戻してくれた恩人への感謝は忘れてません。
それを踏みにじる行為こそ愚かな選択だと思ってます。
あの恩人さんは高齢の為、亡くなってしまいましたが、いつかあの恩人さんに笑顔でまたお礼が言えたらなぁって思います。

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