苦手なひととお金について

怒る人が苦手だ。そりゃそうだろうと思うだろうか。怒る人が好きな人などいないだろう。あなたも苦手てすか?私もそう、苦手です、怒る人。

怒るパパ友がいる。怒るパパ友が近くにいると怒ることに抵抗がなくなる。「殴られて育った子どもは殴る親になる」みたいなもので、子どもを強く叱るパパ友といると、自分の息子にも強くあたってしまったりする。子育て方針がうつるのだ、それがすごくイヤだ。うつらないようにマスクをしろとか、ブレない意志で立ち向かえとか言うだろうか。それもそうだが腹立たしいことに変わりはない。自分の意志の弱さを棚に上げている恥ずかしさより腹立たしさが勝つ。勘弁していただきたい、うつさないでください。思い出してしまう。「怒る人」の影響力は甚大だ。近くにいないでいただきたい。もう少し離れてください。ソーシャルディスタンスプリーズ。ステイホームプリーズ。

出来るだけ優しくありたい。優しいひとが近くにいると優しさもうつる。優しいひとに囲まれて生きたい。自分も優しいままでいたい。「席を倒してもいいですか?」と言われたらどうぞと言ってニッコリ笑顔を見せたい。スーパーの入り口の扉を開けてお先にどうぞとやっているパパを子どもたちに見せたい。困っているひとがいたら返さなくてもいいよとお金を差し上げたい。優しいひとでいたい。

怒るひとに優しくして大揉めしたことがある。揉めに揉めて弁護士費用で一文なしになったことがある。怒る人には優しさが通用しないことがある。貧乏人に金をちらつかせてやっぱりあげるの嫌になったというと胸ぐらを掴まれる。メンヘラを製造してしまう。中途半端な優しさは悪だ、ということはないと思いたい。優しさは常に善であるほうがいい。ただ、怒る人はなにをしても怒るのだ。こわい。

今回もまた似たようなことで、現在進行形で揉めている。またお金はすっからかんになるかもしれないが、怒るひとにいなくなってもらえるのなら、すっからかんでもいい、安いものだ、人はどうせ死ぬのだし。生きてる間は優しくありたい。

最後まで読んでいただきありがとうございます。怒る人って、避けられない夕立みたいなものです。雨宿りして通過するのを待ちます。

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