朝の大久保通り

いささか性急ではあるが
新宿に向かって電車に乗ってる。
外はまだ薄暗い午前6時台だ。

お約束のご挨拶もしないままに書き出した。
本日はそういう気分である。

毎日乗ってる方には申し訳ないがラッシュは体によろしくなく、それを避けたためこの時間なのだ。

本日の目的は友人のKちゃんのため。
Kちゃんは中学高校の同級生。
中学ではクラスメイトではあったけれど
そこまで深い間柄ではなかった。
クラスのみんなと話した自負はあるが
やはり思い出せば
えぐ、あき、のぶ、もり
といる頻度が高かった。
もりとはそんなに遊ぶことはなかったけれど。

Kちゃんとよく話すようになったのは高校生の頃。
2年生で同じクラスになった。
中学校のころと違う呼び名になった。

私はこのころすでに音楽をはじめていた。
中1くらいからはじめていたので周りより少し早かったのかもしれない。
そのおかげで近しい友人たちの中ではギターが上手な方だった。

Kちゃんはビジュアル系が好きだった。
当時はDir en gray 、ガゼット、ナイトメアなどなど。再びビジュアルが勢いついていた頃だ。

私は今で言うJ-ROCKや70~80年代ハードロックに夢中だった。

同じクラスのAスケもギターをやっていた。
トムモレロ、トムヨーク、
ある日ジミ・ヘンドリックスにかぶれてきたこともあった。

そんなこんなでKちゃんとは仲良くさせてもらった。
18歳で東京に来た時、彼も大学で東京に来ていた。
はじめてモノレールに乗ったのは彼に会いに行ったときだ。

大学生のKちゃんはKillerの中でもスタイリッシュなフライドローズのギターを買った。
ちょいと都心から外れていた彼の部屋は四畳半の倍くらいあった。
Janne Da Arcにはまった彼に少し教えたのだった。

ちなみに当時は
"NANA"が社会現象になり
Kちゃんの部屋には御多分に洩れずVivienne Westwoodが並び出したのであった。

そんなKちゃんは現在新宿で、とあるお店をやっている。
どうやらイベント用に買った新しいミキサーの使い方が分からないようだ。

各駅に停まる電車でゆるり新宿を目指す。
これをしるす前にマニュアルを読破した。
まぁ6Pしかなかったのだが。

そういえばKちゃん仕事仲間とバンドやるって話はどうなったんだろう?
きっとあれ5年は前だ。たぶんやってないな。
熱があがれば連絡してくるのがKちゃんだ。

「間もなく新宿です」
やわらかい車内アナウンスがなる。
降りよう。


それから1時間が経過した。
外はすっかり明るくなって、冷たい風もおさまっている。
出勤の人たちも続々と歩みを進める。

約束の時刻
Kちゃんはまだ来ない。
寝坊をしたようだ。

新大久保まで歩いてみた。
西武新宿のPePeから拍子抜けするくらい近い。
歩ける。

看板に
"職業、イケメン。"

ご苦労なことだ。

この街は東京。

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