【掌編】『若葉の頃は』
静寂を破る放屁の音が部屋中に響きわたった。
◇
あいつは元カノのくせに休みになると時々やってきては面白かった出来事や時には仕事の愚痴を吐き出して帰って行く。こんな関係も長くなると以前の恋人時代と変わっていないような気がしてくる。周りも違和感なく見ているようで、それも考えてみると変な話だ。
僕はと言うと、自分の思い描いた通りにならないことだらけでイライラした気分の捌け口を探していたのかも知れない。生活の為と割り切って勤め出したが、苦痛でしかない。書きたいと思っている小説も今に、いつか、と思っているだけで月日だけが過ぎていく。
「たまに来る取引先のね、面白い人がいるの」
この頃、会話の中によく出てくる男の名前。それを聞かされる度に僕の気分はどんどん沈み込む。君は気が付いていただろうか。その日、とうとう僕の狭い心は、限界を超えてしまった。わざと勝ち誇ったような顔を作って下腹に思いっきり圧力を加えると思ったよりでかい屁がでた。ついでに、自虐を詰め込んだ独り言を大きめの声で言い放った。
「こんな落ちこぼれの、つまらないやつと付き合ってると周りの人間がみんな面白く見えてしょうがないよねきっと」
「ホントつまんない!」
あいつは花の刺繍のトートバックを引っ掴むと足音を立ててアパートの玄関ドアに向かった。
「帰る」
そして、スニーカーを雑に突っ掛けるとこっちも見ずに飛び出して行った。
「美佐子!」我に返って追いかけたが、もう遅かった。一緒に出かけようとしていたのに。
僕の一番好きなこの季節に。
◇
「あいつもやっと片付くよ」
妹の結婚話を切り出した清原は、居酒屋のテーブルの向かい側から探るように僕の目を覗き込んだ。こいつは美佐子の兄でもある。
「それで相手は、どんな奴だよ」
僕は目を逸らすとビールを口に運ぶ。
「実家が京都の老舗らしくてな」
「妹もそっち行くの?」
「そうらしい」
「ところで相手の名前は?」
聞き覚えのあるその名前に苦笑する。
◇
大学の同期だった清原は、卒業すると都内のアパレルメーカーに勤めた。今は北関東の実家に戻り家業のアパレル縫製会社の経営見習い中だ。服飾系の学校にいた妹の美佐子も結局は同じように家業に就いていた。
「それで、最近どう? 工場、継ぐんだろ?」
「まあな、楽じゃないよ」
「妹、京都に嫁に行くんならお前んとこ辞めるの?」
「ああ、あいつが企画した刺繍のバックなんか、なかなか評判良いんだけどな」
「なんだよ、それって美佐子がやっと立ち上げたやつじゃん。簡単にやめちまうのかよ……」
清原はあきれたような笑いを浮かべながら言った。
「あいつもお前が就職した時、同じ事言ってたよ。おまえらってなんか似た者同士っていうかさ……それじゃダメなんかな?」
聞いてないふりをするしかなかった。
二人で冷酒をちびりとやった。グラスを置くのが同時だった。
シンクロしたのが可笑しくて笑った。
◇
なぜだろう、若葉の頃は決まって何も手に付かなくなる。
それでも、やっぱり今年も何か書かずにはいられないのだ。
あつい日々がやって来るその前に。
(1270文字)
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