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【雑記】4月1日のクイーンフィッシュ

もうすぐ4月になるが、4月1日は父方の祖父の命日である。僕にはおじいちゃんがいない。父方、母方共に僕が生まれた時にはもう亡くなっていたからだ。父方の祖父が亡くなったのは太平洋戦争の終戦の年1945年(昭和20年)4月1日だ。

ある事件の犠牲者だった。それは、シンガポール駐在だった祖父が帰国の際に遭遇した事件だっだ。乗っていた貨客船「阿波丸」が受けるはずの無い魚雷攻撃により沈没したのだ。安全な航行を保障する日米間協定が結ばれていた船だった。人為的なミスによる国際法違反の行為だった。攻撃したのは米海軍の潜水艦「クイーンフィッシュ」。艦名は北アメリカ太平洋岸に生息する魚の名前から採ったらしい。

余談だが、浅田次郎の長編小説『シェエラザード』は阿波丸事件をモチーフとしている。

ファミリーヒストリーとしては、一家の大黒柱を失った我が家は大きな転機を迎える事となる。祖父が亡くなった事により東京で生活していた我が家は、祖母の郷里の青森へ移り住むことになる。ずっと後に僕も東京からUターンする事になるが、そのずっと前に一家でUターンしていたわけだ。

「阿波丸事件」犠牲者の慰霊碑は、芝の増上寺境内にある。僕は何度かそこを訪れた事がある。祖父の名前は確かに碑に刻まれていた。祖父は軍人ではなくシンガポールで地下資源を採掘する現場の管理を行う仕事をしていたと教えられた。現地のメイドさんたちと一緒に写った写真が実家に残っている。

東京勤務時代には、東京湾埋め立てや丸の内の開発などにも関わっていたと叔母が話してくれたことがあった。亡き父から聞いた話では、家は目黒の祐天寺にあって油面小学校に通い、休日に東横電車に乗って渋谷の東横デパートに連れて行って貰うのが一番の楽しみだったらしい。でも、そんなささやかな楽しみも戦争と祖父の死によって失われてしまったのだった。父はあまり祖父の話をしなかった。しないと言うよりも末っ子だったので一緒に過ごした記憶を多く持っていないようだった。

映画などに良くあるシーンだけどおじいちゃんが幼い孫を抱っこしながら、いいかい、おじいちゃんの若い頃の話だが……なんて言うのがある。何の映画とかは覚えていないけど。なかなかいいシーンよね、と思って憧れる。僕にはおじいちゃんが居なかったからかも知れない。生きていれば孫の僕を前にシンガポールの話など語って聞かせてくれただろうか。

4月1日はエイプリールフール。面白可笑しい話題が似合う日だけど我が家ではしんみりした気分も微妙に入り混じった日なのだった。

ちょっとだけ書き残しておきたかったファミリーヒストリー。今年、忘れずに書けて良かった。

 


※2024/3/31追記。
阿波丸事件を題材とした書籍/テレビドラマはいくつかある。初稿では書き漏らしたが、日本の誇るあの長寿漫画でも取り上げられていて、以前読んだことを覚えている。「ゴルゴ13」である。(wikipedia「阿波丸事件」参照。)

 

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