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人間失格

読書の秋とはいえ、人間失格の感想は畏れ多く、ただ上の写真は僕の本棚から新潮文庫の太宰集でもう20年くらい前に購入して暇があれば晩年からグットバイまで読み返すを切り返してきたのでございます。
そう、好きなんですね太宰治が。

それでね、人間失格の感想なんて書くのはおこがましいので、ただ僕は前から、太宰治と云うペンネームに自論があり、太宰のペンネームについては諸説あるのですが、僕的にはこの人間失格の作中に出てくる主人公の葉蔵が雑誌に汚い裸の絵にルバイヤットの詩を挿入している画家のペンネームが、「上司幾太(情死、生きた)」と名乗っているのが昔から非常に気になりまして。
この人間失格を、仮に太宰の人生とリンクさせると、どうしても太宰治と作品を読み込んで行くと素直に太宰治と人間失格をリンクさせたくなるのは僕だけなのか?
そんな疑いながら読んでも、人間失格を何度読んでも葉蔵が太宰そのもののような感覚に陥りますからね。さすが太宰治、となります。

仮に太宰と人間失格をリンクさせると。

太宰治が田辺あつみ(本名:田部シメ子)と江の島で心中自殺しましたが、太宰治は生き残りました。
この自分だけが生き残ったのを太宰は罪悪感を感じて居るのか感じていないのかわかりませんが、僕は感じてないと思っていますが話を進めると。

まぁ単純に先の「上司幾太(情死、生きた)」作中の葉蔵も心中で自分だけ生き残っている設定から考えると。
「太宰治(堕罪、治める)」は人間失格を読む度にありのような気がしてなりません。そうして太宰は作中に詩を散りばめております。

タマゴが先かニワトリが先かになりますが、僕は太宰が好きなんですね。
ですから細かいことが気になって仕方なく、先程どうして太宰に罪悪感がないかと申しますと、順当に考えれば罪悪感ある人間が作中に使うかな?となり、これを太宰が答えたらキリスト好きな太宰だから、贖罪、と言ってきそう。
などと考え出すとキリがなく、本を読んだ感想よりも分析に入ってしまいなかなか先に進めなくなってしまいます。

人間失格の中の主人公は廃人になりましたが最後は生死不明で終わっております。
ただやはりここで僕が気になるのが、どうして最後の最後の京橋のバーのマダムのセリフに「あの人のお父さんが悪いのですよ」というセリフがあります。
僕的には太宰は確実にエディプスコンプレックスを抱えているな、と思っておりましたが、太宰の数ある作品中に比較的に人間失格には、父親を恐れる描写は少ない方なのですが、やはり最後の最後で父のことをぶっこんでくるのかと、改めて気になっちゃうのよね。。。。

太宰はこの人間失格を残し後はグットバイと云う気持ち悪いくらい明るい文体の小説を書きかけ、山崎富栄と玉川上水で心中し今度は本当に死んでしまいました。
太宰好きの僕からすると人間失格の売り出し方として、今回も自殺未遂にしておいて、現在でいう炎上商法で人間失格を売り出して行けば良かったんじゃない?と思ってしまいますが死んじゃった。

このあと太宰の弟子の田中英光も太宰の墓の前で手首を切って死にますが、オリンポスの果実、の売り出し方も自殺未遂の炎上商法で良かったんじゃないかなぁと思いますが、師も弟子も本気ですものね。
俗人はつい命を先に考えてしまいますが、どうなんでしょう。
すごいな人間失格、何度読んでも何が本当でどこまでが小説かわからなくなり太宰ワールドに引き込まれて何日間か戻れなくなりますものね。

「いま自分には幸も不幸もありません、ただ一切は過ぎています」

かっこいいなぁ太宰治は。


#読書の秋2022  
#読書感想文


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