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学生スタッフあき『怪物』記事

本記事には、過去の事件に触れている箇所があり、しんどくなる可能性があります。ご無理なさらないでください。その箇所の前で改めてお知らせします。


なんかわたしは以下の文章を出す気にはなれなかった。Twitterで感想を眺めているうちに、久保さんが何度も重要な指摘をしてくれていたし。でも、このわたしの文章はうまく届かないというか隘路に入り込んでいるように感じたのである。わたしは当事者性を持つ人がこの映画を評価するのがいまいちわからなかった。でも、この映画がまさに自分の現実を描いているという人たちや、その他の人にとって、このような表象が重要である場合もあることを知って、わたしは自分の足元を丁寧にみる必要があるとも感じた。

 わたしは親に中一の頃には今とは異なるジェンダー・セクシュリティの形でカミングアウトをし、その時親は特に問題なかった(その後様々な地点でトラブルがあるとしても)。LGBTQ+関連の記事があれば朝刊を机の上に置いておいてくれたくらいに。また、わたしはLGBTQ+学生のコミュニティがある大学の学生であり、都内在住で東京を中心とするコミュニティスペースへの継続的な参加が比較的容易である。

 わたしはこれまでは、ジェンダー・セクシュアリティや、フェミニズム、クィア、トランス/ノンバイナリーについて考えている人たちやその繋がりに参加して繋がりを広げようとしてきた。つまり、わたしがまだ繋がれていないそれらに関心や意識がある人たちとそのコミュニティと繋がろうとしてきたのである。今回わたしが怪物のことで目にしているのは、それらに関心がなかったり、または繋がりには参加していないような人たちのように思える。なんだかそのわたしにとっての「わからなさ」や、繋がりやコミュニティに接続しないで生きることがどのようなことであるかについての、わたし自身の記憶をいつの間にか忘れていたことは、忘れてはいけないと思った。その上で、わたしは公的なものや私的なもの、さまざまなものも含めこれまでのLGBTQ+に関する活動が作品中で描かれないことは問題であると思う。作中で描かれなくとも、Netflixの『13の理由』のようにリソースを示してよいと思った。いて大丈夫な、変なこと言われない、お茶飲んだりする場所があることを示して、他の人の選択肢の一つになればいいのにと、これはずっと思っている。(2023年7月8日、2024年6月一部表現のみ修正)


下記の文章には、過去の事件に触れている部分があります。しんどくなる可能性があります。無理に読む必要はないですし、読む場合も無理なさらないでください。




『怪物』


わたしが前から気になっていた『怪物』を観た日は、香港でレズビアンと認識されているカップルが殺されたツイートを見た日だった。


わたしの身体はこわばって、自分の多かれ少なかれ「逸脱」している振る舞いに対して、周囲からどのような視線や感情が向けられているのだろうかと怖くなった。


前からトリガー注意のツイートが流れていた『怪物』を観に行く事にした。一旦事件から離れたい気持ちと、今ならトリガー注意のものも観れる気がしたのだ。


観た後、自分の心身は思ったほどダメージを受けていないように感じた。ただ、ジェンダーアイデンティティや性的指向を扱うには、やけに壮大・大げさだなと思った。


きれいなところがきれいすぎる、絶望的なところは他に何もないかのように絶望へと一直線だった。


わたしからみると、面倒くさいところが描かれていないように感じた。あの後が大変なのに。トラブルがあった時に親などに何て説明するか。居づらい学校にどうやって戻らなかったり戻ったりするか。


また、LGBTQ+に関する活動やそれをしている人も出てこない。ロケ地となった長野県でもパートナーシップ制度施行に向けた動きがあるのに、そのニュースは主人公の家のテレビに映らない。LGBTQ+のユース向けの活動が行われているのにそういう情報もない。わたしはこどもたちに生きて欲しいと思って作られているのかわからなかった。「転向療法」のようなこともそのまま放置されている。ステレオタイプ的なことを言いまくっていた母親と先生はこども2人の親密な関係性に気付いた後やけにスッと理解したかのように見える。わからない。LGBT「差別」増進法が通る国。そんな中で支援をしているいろんな人たちがいる。なんかそういうものが消されているように感じた。


加害してしまうことも被害に遭うこともある。相対化には成功しているのかもしれない。でも、この作品にはLGBTQ+(非規範的なジェンダーやセクシュアリティ)への差別も描かれている。でも差別に対する立場は示されていないようにわたしには見えた。


『怪物』への、LGBTQ+コミュニティからの怒りは真っ当なものだと思う。一般的な評価は、立場や視点の相対化(見える場所によって見えるものが違う)への賞賛が多く、その怒りが共有されないことにわたしは今の社会の差別的な構造を見るし、作品は引き受けるべき責任を引き受けていないのではないかと感じる。パンフレットに文章を寄せているジェンダー・セクシュアリティ、LGBTQ+、クィア関連の人がいないこととそう遠くないことであるとわたしは考えている。


わたしはこの記事に、LGBTQ+の当事者性をもつ人やそうかもしれないと思う人が使えるリソースを載せたいと思った。わたしは小中学校時代特にわたしにとってこれらが選択肢であることを認識していなかった。気軽に休んだり遊びにきてほしい。多分2人のような経験をした人たちの中から社会がもっとマシにもっと楽になるように、より安全で安心な(セーファーな)居場所を作ろうとしてきてくれた人たちがいるから。そこにアクセスする権利があるし、ただ居るだけで大丈夫な場所がある。


逃げていい。休んでいい。そんなに頑張らなくていい。辛いと言っていい。しんどいと言っていい。頼っていい。同じような経験を持っていたり、ジャッジせずに、親や友達など自分以外の人に漏らさずに話を聞いてくれる場所がある。出来てきた。わたしは生きていて欲しい。好きにしたらいいんだ。今日生き延びよう。今日どうしたら生き延びれるか考えよう。生き延びれることをしよう。(2023年6月7日)



わたしが利用したことがあるもの

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早稲田大学保健センター学生相談室https://www.waseda.jp/inst/hsc/information/counseling


プライドハウス東京レガシー 相談リソースhttps://pridehouse.jp/legacy/counseling/


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https://ftxmtx-x-gender.com