【開催報告】「『クローゼット』について考える:カミングアウト戦略比較」(2022/10/19)
皆さんこんにちは!GSセンター学生スタッフルーです。
今回は10月19日に開催した、参加者の皆さんとクローゼットとカミングアウトについて話し合うイベント「『クローゼット』について考える:カミングアウト戦略比較」の開催報告をお届けします!GSセンターの久々の対面イベントで、うまくできるかどうかドキドキしていましたが、無事に開催できました。参加してくださった皆さん、誠にありがとうございました!
参加したかったけれど他の用事があってできなかった方もいらっしゃるかもしれませんが、この開催報告をご覧いただいて当日の雰囲気を感じられたらと思います!
1.イベント概要
ジェンダー・セクシュアリティの文脈において、「クローゼット」はLGBTQ+の人々が自身の性的指向や性自認を公表していない状態の暗喩です。カミングアウト(Coming Out)という言葉も、クローゼットから出る(Coming out of the closet)から由来しています。
LGBTQ+の人にとっての「クローゼット」は、より具体的に言うと一体どういうものでしょうか?そもそも、私たちを「クローゼット」の中に閉じ込めているのは何ものでしょうか?私たちは、「クローゼット」から出なければならないのでしょうか?「クローゼット」から出る生き方と出ない生き方、どちらは私たちにとって生きやすいのでしょうか?「クローゼット」といったものは、地域と文化の枠を超えてどの社会にも存在するものなのでしょうか?
「『クローゼット』について考える:カミングアウト戦略の比較」と題したこのイベントでは、参加者同士の話し合いを通してこれらの問題について考えてみました。「クローゼット」の文化的背景について考える際に役立つ知識を参加者の皆さんに共有するために、中国出身で日本大学と東洋英和女学院大学の非常勤講師である郭立夫(グオ リフ)さんをお招きして、アカデミックな観点を踏まえたレクチャーも各ディスカッションの間にしていただきました。
2.イベントコンテンツ
①レクチャー1:「クローゼット」について
レクチャー1では、LGBTQ+の人々がカミングアウトする時に出る「クローゼット」とはどういうものなのか、そしてどのような「役割」を果たしてきたのかについて説明しました。
リフさんから、まず「クローゼット」とは公的空間と私的空間を区分する構造であることを教えて頂きました。クローゼットの内部は「秘密」を隠す私的空間で、その外部は公的空間となっています。同性愛(や他の伝統的価値観から見て「逸脱するもの」となる性的指向・性自認)はクローゼットの中、すなわち私的空間に「隠す」べきものである一方、異性愛は公的空間で語られてもいいもの。このような構造は、クローゼットによって維持されてきたものです。
フェミニズム/クィア理論の領域で最も有名な研究者の一人アメリカの研究者Eve Kosofsky Sedgwick(1950-2009)の著書『クローゼットの認識論』でも、「同性愛と異性愛の差異化は、英語圏におけるクローゼットという表象を通じて、近代の知識の構造として表している」と書かれています。
クローゼットの暴力性についても、お話しいただきました。クローゼットの内部の「秘密」となるものは構造的に隠すべきものとされ、それに関連する社会の差別や暴力も見られます。例として、米軍における同性愛に対する「Don't Ask, Don't Tell(訊ねるな、答えるな)」ポリシーが挙げられました。同性愛の存在は、クローゼットの構造によって誰もか知っているが話してはいけない「秘密」とされています。
その後、カミングアウトはクローゼットによる公/私の境界の構造を壊す行為であることについても説明がありました。現代日本での「クローゼット」というものはどういうものなのか、そしてこの構造の存在によってどのような権力関係が維持されているのか、これらの問題をリフさんからレクチャー1の最後で参加者の皆さんに問いかけました。
②ディスカッション1とフィードバック
ディスカッション1の後、各グループで話された内容を全体で共有し、その内容に対してリフさんからフィードバックをいただきました。
クローゼットは個人的なものとして語られるが、実は個人的なものだけではないという感想をシェアしてくれた参加者の方が数名いました。実際、(残念なことに)カミングアウトすることで社会的な差別や偏見にさらされることもあります。
それから、カミングアウトした後の「ユートピア的な世界」について言及した方もいました。リフさんはこのような意見に賛成し、このイメージはこれまでの運動の中で一種の戦略として形作られたものであるとコメントしました。
留学生の参加者からの「いまは違う国で生活していて、友達や近所の人から親に伝わるリスクが低いのでカミングアウトしやすくなりました」という声もありました。それに対して、オリジナルの家族から離れていくということをきっかけにクィアコミュニティが作られてきた歴史があるとリフさんが説明しました。
③レクチャー2:カミングアウト戦略
レクチャー2では、カミングアウトの政治性について紹介し、それに踏まえて「カミングアウト」以外の戦略について皆さんで一緒に考えてみました。
カミングアウトの政治性を紹介する前に、「政治」そのものはどういうものと関わっているのかについて説明がありました。「性の問題」はこれらのものとどのように関連して政治化されていくのかについて、図で示されました。
個人のカミングアウトのストーリーと構造としてのクローゼットの違いについても、レクチャー2で言及されました。個人的な性行為では性的快楽の様相は人それぞれですが、「同性とのセックスするは個人の自由」という主張は性の政治の観点から見れば足りません。レクチャー1の話も踏まえて、カミングアウトを政治としてだけ捉えることも、個人の問題としてのみ考えることも、単純化し過ぎているとのことでした。
それから、カミングアウトの政治性について話す際に、クローゼットそのものの時間性・地域性について考える必要もあります。例えば、カミングアウトすることに対して、欧米とアジアの間に考え方に違いがあると考えられます。カミングアウトはクローゼットといった構造を壊すための反抗というのは確かなことでありながら、反抗の手段はそれぞれであるはずです。しかし、今はその反抗の手段に対する想像が単一化しています。
「カミングアウト」以外の反抗の手段・戦略の一つとして、香港の学者・周崋山さんによって提唱される「カミングホーム」が例として挙げられました。ゲイ・レズビアン・バイセクシュアルの人が親に同性のパートナーを紹介する際に、恋人として直接紹介するのではなく、まずは友だちとして食卓に招き家族に紹介するという戦略です。こうした「カミングホーム」をはじめとする色々な他の反抗の手段・戦略はあるのに、どうして私たちは「カミングアウト」だけに目を向けるようになっているのでしょうか。
④ディスカッション2とフィードバック
レクチャー2で紹介されている内容と最後に提示された質問について、参加者同士でまたグループになって意見交換をしました。
多くの参加者から、地方と都市部でのカミングアウトのしやすさについて感想が出ました。また、都市部では比較的カミングアウトしやすいですが、LGBTQ+コミュニティ内だけにとどまっている側面もあるという感想もありました。それに対して、リフさんからも「大都市ではクローゼットは個人にかかるものではなく、コミュニティにかかるものであることが多い」とコメントがありました。
それから、違う世代の人における考え方のジェネレーションギャップに関する感想も沢山ありました。保守的価値観を長年持ってきた親の考え方を変えることはなかなか難しいとの意見に、他の多くの参加者も同感しました。ただし、カミングアウトされた親たちは必ずしも「ゲイ・レズビアンであるのはよくない」と思っているからそれを反対しているわけではないという声もありました。カミングアウトした子どもたちはクィアコミュニティに属したりする場合もありますが、カミングアウトされた親にとって同世代の共通する経験を共有できる仲間と出会うことはほぼ不可能です。保守的価値観がメインストリームとなっている環境において、親は子どものアイデンティティの表明によって自分たちが差別の対象になりうることに対して不安を感じることも理解できはなくはないでしょう。このような意見に対して、リフさんからも、今の「クィアコミュニティ」でさえ「クィア家族」のあり方に対する想像力が足りてないというコメントを頂きました。例えば、規模と数はそこまで大きくないが、中国語圏ではLGBTQ+の子どもの親のコミュニティもあります。こういうLGBTQ+の子どもの親をサポートするコミュニティの構築も、もしかしたらLGBTQ+の人と家族の関係を維持するための役に立てるかもしれません。
3.学スタ後記・感想
今回のイベントは、GSセンターの久しぶりの対面イベントで、ルーが企画した初めての対面イベントでもあります。最初は人が集まるかなと心配していましたが、思ったよりずっと人が多くてとても嬉しかったです。当日参加してくださった皆さん、そしてここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました!
今回のクローゼットイベントのアイディアは、去年の春からずっと持っていました。中国出身の自分は、日本に来てから両国のクィアコミュニティの違いを感じてきました。「同じLGBTQ+の人でも、文化的背景の違いによって違う思いを抱くのだ」と思い始め、異なる地域出身のクィアの人たちの考え方に触れて、比較をしてみたくなりました。
そして、このイベントの最も直接的なきっかけとなるものは、今回ゲストとしてお招きしたリフさんが書いた中国のLGBTQ+の人のカミングアウトの話を描くドキュメンタリー映画『出櫃(カミングアウト)』のレビューでした。カミングアウトするかどうかは、一体何を基準にして考えるべき問題なのか。私たちは、何のためにカミングアウトする・しないのか。リフさんが執筆したものは、これらの質問の答えを探ろうとする素晴らしい文章でした。ご興味のある方も、ぜひ読んでみてください!(原文は中国語になっています)
今回のイベントは、決して「カミングアウトしよう!」や「カミングアウトをやめよう!」などのメッセージを伝えようとするものではありません。LGBTQ+の人として、自分自身のアイデンティティと向き合う方法はやはり沢山で人それぞれだとこのイベントを通して改めて思いました。参加者の皆さんも、ぜひこれを機に色々考えて頂けたら、このイベントの企画者として嬉しいです。ただ、私たちの個人的な選択に見えるものには、社会を変える力が含まれているということも覚えて頂きたいです。私たちには、生き方を自由に選ぶ権利がありますし、生きたい世界を自分の手で作っていく力もあります。私たちの未来のために、一緒に考えて、行動して、共に生きて行きましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!