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『僕はベーコン 』

息子が置いていった『僕はベーコン 芸術家たちの素顔』を読んでいる。
フランシス・ベーコンに興味があったわけではない。本のイラストと装丁がよかったから。

白状すれば、フランシス・ベーコンについてほとんど知らなかった。哲学者で絵描きなのかと思っていたくらい(哲学者・ベーコンは芸術家・ベーコンの先祖に当たるらしい)。

醜くデフォルメされた、もしくは内面の苦悩を隠喩した、はっきり言うと気味の悪い彼の作品は好きになれない。でも、何か惹きつけられる。

彼が描く絵と同様、その人生もぶっ飛んでいる。ベーコンには常識という概念が存在しないかのよう。
10代の頃から女装癖があり、それが原因でダブリンの実家を出たあと、ベルリン、パリ、ロンドンなどを転々とし、生涯に少なくとも5人の恋人(男性)を持ち、82歳の時、医者から止められたにもかかわらず5番目の恋人を追ってスペインに行き、心臓発作で亡くなった。

破天荒な芸術家人生だけど、早い段階からその奇抜な才能を評価され、生涯お金に困ることはなかったという。それどころか、「まるで接着剤でもつているかのように、金のほうが彼に貼り付いてきたのだ」そう。

ベーコンの絵は思想的に見える。しかし、批評家たちが取り沙汰するような意図は作家本人にはなかった。目に見えるものを観察し、心で感じ、イメージを練り上げ、作品になる。正規の美術教育を受けてない彼にとっては、自身の感性こそがお手本なのかもしれない。

ベーコンは運を味方につけた芸術家だ。
1909年~1992年という、2度の世界大戦を挟んだ時代にあって、こんなにも自由に生きることができ、作品も受け入れられたのだから。

ふと、先ごろ物議を醸した愛知トリエンナーレの表現の不自由展の騒ぎが脳裡をよぎった。
芸術の表現は、100年前より不自由になっているのではないかと。
いまの時代、あまりにも制約やら概念やらにとらわれ過ぎている。

本書は温かみのあるイラストがベーコンのおどろおどろしさを和らげ、読書に親近感を抱かせる。ベーコンの代わりに解説しているようなテキストも、風変わりな画家を魅惑的に伝えている。読後は、彼の絵をナマで見てみたいという気持ちに。

展覧会情報を調べてみたら、2013年に回顧展が開かれたのが最後。それも30年ぶりだったようだ。
芸術に政治が介入し始めた日本で、ベーコン展を開くのは、なかなか難しいのだろうな。
それでも心意気のある館長さん?学芸員さん?ぜひベーコン展を!

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