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『ある男』

平野啓一郎の『ある男』を読了。
この本でも、作家のベースにあるのは「分人主義」だと思った。
自分の境遇や過去が嫌で、もう一度人生をやり直したいと思ったとき、過去を捨てて、別人として愛のある暮らしを営むことができたらいいのにと思うひとは多いのではないか。
幸せに生きたいと思っても、出自や家庭環境、過去に犯した罪が足かせになって偏見や差別を受けたら、将来に希望を抱くことは難しい。ひっそりと、目立たないように、身をすくめて生きるほかない。

わたし自身は、別人になりたいと思ったことはないけど、あの日からやり直したいと思ったことはある。過去を遡ってやり直すことができたら、今のこの苦しみを味わうこともないのに、と。
それは自分の人生には責任が伴うという発想に基づいているのかもしれない。でも、性別とか生まれた境遇とか先天的な病などは、自分の責任とはいえない。別の人間に生まれ変わって別の人生を生きたいと思うのは、ちっとも不思議な感情ではない。

「ある男」とは、犯罪者の息子という過去を捨て別の肩書きと体験で「自分」を生き直したひとりの男(X)のこと。また、旅館の次男として生まれ家族に遠慮しながら「自分」を生きることができず、戸籍を売って過去をデリートした男。そして依頼された仕事の調査をするなかで、在日三世である「自分」の内奥に向き合う弁護士。さらに、この社会で闇を抱えながら「自分」を愛せずに生きている人たちも、「ある男」なのだと思う。

人生は一筋縄にはいかない。みんながみんな幸せになるわけはないし、幸せな日々が一転することもある。真面目に生きていても、死が突然やってくることもある。それでもみんな愛を感じて生きたいと願っている。「人生って切ないなあ」とページをめくりながら何度も思う。

不慮の事故で死んだXの正体がわかり、「事件」が一件落着をみたあとも、もやもやと登場人物のその後が気になる。
優しさゆえに愛に振り回されることになった城戸弁護士は、妻の浮気を知ったあとも、表面上の幸せな家庭生活を演じるのだろうか、それとも、今の幸せを捨て「自分」を取り戻して生き直すのだろうか。

真相が明らかになってまたしても闇を背負うことになったXの妻・里枝は、Xとの日々をどのように消化するのだろう。息子・悠太はXを「後のお父さん」としてリスペクトし続けることができるだろうか。

城戸を好きになった美鈴は、Xに過去を譲り渡して別人として生きている元カレと再会し、どんな会話をしたのだろう? 三勝四敗の人生を謳歌する美鈴なら、彼のことを放っておけないに違いない。

「愛する」とは、「幸せ」とは、「自分」とは、何だろう。大きな問いをつきつけられる。

辛い過去を捨ててひっそりと生き直した登場人物が、Tの人生にも重なり、一気に読んでしまった。戸籍を売買するということは、過去の体験や記憶や感情も相手に引き渡し、受け取ることにもなる。「負」を背負って生き続けるより、別人になってやり直すほうが気が楽なのかもしれない、とまたTのことを思った。

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