『白い世界が続く限り』 第二十話【病院への道中】

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第二十話

 病院への後追いになる私とみつまるさんは、出発前に警官とお話することになった。一番の当事者になるナックさんはもう病院に運ばれているけど、立派な傷害事件になるようで青ウェアの人は任意同行を求められていた。
 私たちも色々と聞かれたけど、先に事故のことをパトロールの人に話していて、私たちの聞き取りから書類を作ってくれていたので、この時は任意同行もなくそんなに話に時間を割く事もなかった。
 ……青ウェアを取り押さえた件は少し叱られたけど。
 ナックさんの方には後日段取りされると言う事で私たちは連絡先を伝えて解放されて、今は向かう病院がどちらになるか連絡を待つ必要もあったので、そのタイミングで私は借りていた板を返却に向かった。ちなみに試乗板を借りていたあきふゆさんは、通報の後に事故に気づいたGRのスタッフの方が回収に来てくれていたそうで、あきふゆさんの板も問題なく戻されていた。
 板をレンタルに返して駐車場に向かう。来た時は気分が高かったのに、いまはやっぱり気が滅入る。車に戻るとすでにみつまるさんが支度や片付けを進めていて、そして私に気づいた。
「あ、返して来た?」
「はい。」
 コツコツとスキーブーツで歩いていた足が返事と共に止まる。そして涙が出る。
「……仕方ねぇよな。」
 決まり悪そうに頭の後ろを掻きながら、少し目線を外してみつまるさんが呟く。
「まあ怪我したつっても結果、無事は無事だったし犯人も捕まったし。あとはまぁ、な?」
「……。」
 はっきり答えられない。
 あきふゆさんからの連絡もまだ届かない。
 風が妙に冷たく感じる。だのに、目の周りだけ熱さを感じ、流れたあとにだけ冷たさを感じる。
「……ブーツ、脱いじゃおうぜ。俺、飲みもん買ってくる。あったかいのでいいか?」
 鼻をすすって無言で頷く。
「……じゃ、行ってくるわ。」
 そう言ってみつまるさんは先に着替えたジャケットのポケットから取り出して、私の手に何かを渡される。
 使いかけのポケットティッシュだ。
 少し訪れた一人の時間に、私は遠慮なくそれを使った。 

 涙でぼやけたい視界が元に戻る頃、みつまるさんが飲み物を買って戻ってきてくれた。
「ほいよ。どっち飲む?」
 手にはコーヒーとストレートティー。
「ありがとうございます。どちらでも。」
「コーヒー好きなんだっけ?」
 と、缶コーヒーを渡された。あったかい。
 かしゅっと開けてほんの少し口に含む。甘くて、苦い知ってる味。温まった呼気と一緒に少しつかえが取れて、緊張感みたいなのがほんのりほぐれた。
 ナックさんの車のリアゲートに腰掛けてみつまるさんがゆっくりとストレートティーを飲む。どうしてこの人は、言葉が少ないのに気持ちが伝わるんだろ。
 背後でスキー場らしいBGMが聞こえる。風は朝よりも落ち着いて、天気は相変わらず良かった。
 言葉もなくちびちびと、座ったみつまるさんと立っている私。風がゆっくり通るくらいの間を置いて2人で向かい合って飲む。そうしていると少しずつ少しずつ、気持ちがほぐれていった。
 そんな大事で何もない時間が過ぎると、スマホがメッセージの着信を伝えた。
 あきふゆさんからで、県立病院に到着したそうだ。ナックさんはそのまま処置室に入って、あきふゆさんは待合いに居るとのことだ。
「……あきふゆさん?」
 みつまるさんが察して送り主を訊く。
「あ、はい。県立病院だそうです。場所わかります?」
「いや、まぁナビに出るっしょ」
「私判るんで案内しますよ。」
「オッケー了解。支度しようか?」
 みつまるさんが座ったまま手を伸ばす。その手に飲みかけのコーヒーを渡して、私は屈んでブーツのバックルを外す。
「あ。」
「ん?」
「……靴、あきふゆさんの車の中です。」
 しまった。着替えもろもろあきふゆさんの車の中だ。
「あー。そっか。ちょっと待って……」
 みつまるさんが私のコーヒーと自分のストレートティーの飲みかけを並べてリアゲートの所に置くと、運転席の方に行って何かを取り出してきた。
「やっぱりあった。はい、サンダル」
「え、なんで?」
「ナックさん、娘の学校の用事とかで使うからって、中履き用のサンダルいつも積みっぱなしなんだよね。借りちゃいなよ」
「はぁ。ありがとうございます。」
 遠慮無く借りて、ブーツはうしろの席の足元に置かせてもらう。
「行きましょうか、高速使っちゃいます?」
「そうだな。長坂?」
「はい、それで昭和で下ります。」
 ならんでた飲み物を受け取って、みつまるさんはリアゲートを閉めて、私はナックさんの車の助手席に座った。運転席は勿論みつまるさんだ。
「じゃ、行くよ」
 慣れた風にナックさんの大きな車が動き出す。ナックさんとみつまるさんは何時も分担して運転とかしているそうで、適当にみつまるさんが中央にあるモニターを操作して音楽を流しつつ、狭い駐車場をすいすいと出て行って、車は病院に向かった。

 向かう道中で疑問に思っていた事を訊いた。
「みつまるさんって、事故の時凄い落ちついてましたけど、凄いですね」
 あの事故の時、凄いみつまるさんの行動は頼りになった。普通は動転したり激昂したりして、あんな風に出来ると思えないくらい。
「ん?あぁ。俺さ、千葉の海沿いの町の出身なんだよね」
 みつまるさんの身の上話が始まった。
「海が近くてさ、高校の時とかバイトで、海水浴場の監視員とかライフセーバーやってたんだ」
「ライフセーバー、ですか?助ける奴?」
「ちゃんとした資格の奴な。見たこと無い?」
「……海なし県でずっとバレーしてたんで、実は海で泳いだ事無いんです。」
 おしゃれな水着も買ったことがない。学校行事で臨海教室とかあったけど、大会が近くて休まされたし。
「そっか。海の事故とか、溺れた人とか助けるヤツな。やってたとこが結構マジな所でさ、今の仕事してなかったらそう言う海関係で仕事してたかもな」
 見た目で想像してなかったけど、そう言うのやる人なんだ。
「だから救護の現場って、まぁまぁ経験あってな」
「海って、助ける事多いんですか?」
「割とあるぜ。足の裏切ったり火傷したり、あと熱中症とかな。たまに酔っ払って溺れたりってのも。」
 海水浴とかって何となくテレビで見たりするイメージしかないから、なんか危険なイメージがあんまり無かった。
「あと昔っからスキー場には来てるから、案外こういうの見て知ってたってのもあるかもな」
 だからあんなに落ち着いてて、段取りが良かったんだ。
「みつまるさんだったら、あのパトロール?の仕事もの出来そうですね」
「パトか。どうだろうな、今の仕事クビになったらやってみっかな」
「今の仕事って言うのは、自動車修理でしたっけ?」
 その話はリフトの上で少し聞いた。ナックさんの紹介で就職したんだよね。
「そ。まぁつって辞められねぇし、普通のディーラーなんかの自動車修理と違って土日休みだから良いけどな。きっついの我慢すればまあまぁいい仕事って気もするしな。」
 そこでナックさんの事が出てきて、思い出してしまう。
「ナックさん、無事ですかね?」
「……救急車だからな。県立病院ってデカそうな名前だけど、どうなん?」
「そうですね、山梨だと一番大きい所かもですね。近くの病院かと思ったら県立病院で少しびっくりしました」
 山梨で大きい病院って言うと県立病院か、うちの大学の付属病院ってイメージ。
「年末だし当番医って奴かもな。海でもそう言うのあって困った事あったぜ。怪我人とか多いのは土日なのに、土日は基本、病院は休みだしな」
 そうか、いろんな事情あるんだ。
「……また滑れますよね?ナックさん。」
「ん?ああ。簡単には復帰出来ないとは思うけどさ、大丈夫じゃね?スキボ仲間でも骨折して復活って、珍しくないしな。今日みたいな衝突とかってのはあんまり聞かねぇけどな。」
 骨折か。私の肘みたいにならないといいな。……窓の外を見ながらまた、私は肘をさする。高速道路は空いていて思ったより早く到着しそうな気がする。
「……手術とかですかね?」
「どうだろ?手術の方が治りが早いんじゃね?」
「かもですね。」
 それでこの会話は一区切りになった。少し無言。さっきまで山頂から見おろしていた街が、今周りの風景になってる。左の奥の方を見れば多分あのあたりに県立病院あるんだろうな。
「……スキボってさ……」
 みつまるさんが私に向けて話かけてきた。
「近いんだよな。滑っても、関係もさ」
 運転のため前を見たまま、声の意識だけこちらに向いている。
「今日こういう事あったけどさ、気にしないで滑ってほしいっつーか、な。」
 多分、フォローだ。
「ナックさんはしばらく滑れねぇけど、あの人がこんな事でスキボ辞めるワケねぇし、俺も、あきふゆさんも居るからさ、また、行こうぜ。」
 みつまるさんは多分、この事故の事で私がスキーボードを嫌いになると思ったんだろうな。
「また行けるならさ、もっとスキボの楽しい事いっしょに出来るからさ。」
 スッゴい考えながら言葉にしてくれてるのが伝わる。
「……私……。」
 応えないと、と思った。
「高校までずっとスッゴいバレーやってたんです。小さい頃からずっとやってて、中学とか高校は全国行けるくらいの学校で、レギュラーで。」
 それは無意識に後悔していた過去。
「でも、三年の時、肘が疲労骨折で折れちゃって、急に二度とバレー出来なくなったんです。それ以来、実は目的とか目標も無くなっちゃって、空っぽな暮らしになってたんです」
 正直、怪我の瞬間から先の日々はほとんど覚えていない。大学受験もあったのに、その事もあんまり覚えていない。この一年以上は、まるで他の誰かの人生でもテレビで見ていたかのように思えるくらい希薄で、感じるもののない日常を過ごしていた。
「友達も居るけど、家族もいるけど……一人ぼっちな感じで、楽しめなくて。」
 顔は笑っていても心の深いところでは楽しく思えない。バレーやってた頃にはみんなとあんなに憧れた生活も、友達も、……楽しいと思って過ごして、関係を維持してただけだった。
 空虚感はいつも感じてた。それに目を向けないように暮らしてたけど、真っ暗な心の穴はいつも感じられてた。できるだけその穴から遠ざかろうとしても、気がつけばその穴はいつもそこにあって。
 ……だけどね。
「あきふゆさんに会って、みんなと会って、初めてなのに全然そんな感じなくて、滑ってみたら楽しくて、滑ってて一人ぼっちな感じ無くて。」
 多分、そう。
「きっと、この白い世界が続く限りスキーボードがあって、あきふゆさんやみつまるさんやナックさんみたいな仲間がたくさん居て、みんなで楽しんで行けるんだって、凄く感じたんです。」
 心の穴は、白い世界がふわりと埋めてくれてた。
 韮崎はめったに雪が降らない。だけど雪の日は目ざめる前からなんとなく感じる。しんとした、音が感じられない雰囲気。寝ている間にいつの間に降った雪は風景を全部かえて、目覚めて暗い部屋の中で空気感の違いを感じて見たカーテンの向こうの世界は、まっさらな世界で、新しい世界に感じた。
 多分そこに穴はあるけど、白い雪が埋めてくれた。白い世界ならその穴の上に立ったって大丈夫、落ちることはない。そしてその世界には、昔から知ってるくらいに感じる仲間がもう既にそこに居た。
「だから、また4人で滑りたいです。……ですよね?」
 私からの問いかけ。みつまるさんは高速から降りるために左にウィンカーを出してインターに向かう。前を向いたまま。でも一瞬だけ目で此方を向いて
「そうだな。」
 小さくはっきりと応えてくれた。
 
 
 

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