『白い世界が続く限り』 第十八話【救助】

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第十八話

 私はそこに居てとは言われたけどちゃんと聞けてなくて、考えるよりも身体が動いてみつまるさんの真似をしようと板を脱いでナックさんたちの方に登っていこうとした。けどうまく板が脱げなくて、なぜか涙が出ていた。
 上の方ではナックさんのところにみつまるさんが到着して、周りに合図とか出していた。
 私は、何もできない。……でも。
 ようやく脱げた板を手に持って、ゲレンデを登る。スキーブーツだけで登るとかすごい大変だったけど、バレーで鍛えた私なら登れる。足を何度も滑らせ、はぁはぁと息を切らせながらやっとの思いで現場に来ると、子供が泣いていて、ナックさんが痛そうに倒れていて、みつまるさん上から滑ってくる人たちに合図をして迂回を促していた。
「な、ナックさん!」
「……うぐ……あ、いつみちゃん、……俺、大丈夫だからその子診てやって……」
 声にいつもの軽さがない。痛みのせいか動かないナックさん、その側で泣いている子供は片方だけの板を胸に抱いて、多分色々と理解ができなくて立っているだけだ。
「……いつみちゃん……その子、怪我ない?」
 怪我をしたナックさんが気丈に私に訊く。子供の安否を託されて私は尋ねる。
「大丈夫?痛いところない?」
 私の問いかけに、泣いている子供は首だけで頷いた。見た感じで怪我している様子もない。
「子供は大丈夫そうです!」
「はぁ……良かった。っ……怪我が俺だけで。くっそ、イテェなぁ。」
 見ているとナックさんは特に足が動かせないみたいだ……ぶつかったであろう左足は向きが少し不自然な向きにも見えて、赤いものが広がって……え?雪が赤い!?赤いウェアなのではじめ気が付かなかったけど、出血もしているみたいだ!
「ナックさん!血が!――
 少し驚いて声をあげそうになる私に、先に到着していたみつまるさんが声を背中越しにかける。
「ああ、騒がないで!いつみちゃんはナックさんとその子をよく見てて。そのうちパトが来るから!」
 ちょっとだけ張りのある声で私に言う。その声の伝わり方で言いたいことを察した私は、転んだ子供からナックさんの血が見えないように立って、泣いている子どもの肩を抱いてあげた。
「――このお兄ちゃんは大丈夫だから。」
 私も込み上げてくるものを堪えながら頑張る。今、誰よりも大変なのはナックさんでこの子だ。私が動転しても迷惑なだけだ。そうすると下の方から、あきふゆさんが呼んだのであろう救護の人たちがサイレンを鳴らしながらバイクのようなものに乗って上がってくるのを見て、私は反射的にそちらに手を振った。
「こっちです!こっち!」
 急いで!と思う声を堪えて合図を送る!
「パトロールです!怪我人はそちらですか!」
 颯爽と現場に二人の十字を背負ったパトロールの方が到着して、テキパキと動き始める。
「事故っす!ただ逃げられました!」
 迂回を促していたみつまるさんが答えて処置が始まる。
「事故ね了解。そっちの子供とかは?」
「大人の一人は仲間っす。ケガの友達が転んでた子供助けててぶつかったみたいっす。親はまだ確認して無いっす。」
 みつまるさんの答えを訊きつつ、一人のパトロールの人がナックさんの上の方にスキーの板を刺してバツ印を作り、もう一人がナックさんの横で背負っていたザックを下ろしていた。
「現着より本部どうぞ――」
 そのナックさんの側に居た人が無線で話しかけてる。
「――はい、――はい、出血あり――、アキヤお願いします。」
 何か指示を出してザックを下ろした方のパトロールの人がナックさんに声をかける。
「今痛いところは?」
 ナックさんは一言「足」と答えた。
「じゃ、板脱がせちゃいますね。タクヤ!ちょっと足持って」
 板を雪に刺していたパトロールの方がタクヤと呼ばれて、直ぐに手伝いに回る。タクヤさんがナックさんの足を押さえて足が動かないようにして
「うっぐ――!!」
 スキーボードを脱がした。ナックさんが呻く姿は見ていられなかった。
「タクヤ、出血箇所確認して。俺ビニ手付けるから。」
 板を脱がすとナックさんの側に居た人がザックからビニール手袋を取り出してはめた。タクヤさんはナックさんのスキーボードを除けながら触らないように怪我の箇所を見て、
「副隊長、見た感じ膝下の横っすね。圧迫でいけそうかな。膝以外に痛いところあります?」
 タクヤさんがナックさんに尋ねる。
「ああ、膝よりその下がヤバいですね……」
 ナックさんは板を外した事で楽になって少し余裕が出来たのか、答え方にほんの少しいつもの雰囲気が戻っていた。
「ウエア、切っちゃっていい?」
 副隊長さんが尋ねる。
「まじですか、――どんどん切ってください……」
 笑うように答えたナックさん。だけど、やっぱりまだ声の張りに痛々しさを感じる。
「……いつみちゃん」
 その光景を見ている事しかできなかった私は、みつまるさんの言葉ではっとした。見守っていて気づかなかった私の横に歩いてきたみつまるさんは、自分の板を履きながら言う。
「……その子、大丈夫そうなら俺が下まで連れてくから。どう?」
 それを聞いて少し子供の顔を覗く。子供はすこし泣き止んでいるようで、ちらっと私の方を見てくれた。
「大丈夫かな。痛いところは無いかな?」
「うん。」
「滑れる?行けるならお兄ちゃんと行こう?」
 私の横から話しかけるみつまるさん。ゴーグル越しに、みつまるさんのやさしさが見える気がした。
「……うん。」
 子供はそれしか答えられなかったけど、大丈夫と言うことを示そうとしたのか自分から脱げていた片方の板を置こうと動き出した。私の手から離れてみつまるさんの手伝いで板を履いて、メソメソしながらも自分で雪の上に立った。
「よし、行くか。いつみちゃんはここでパトの人の指示で動いて。俺は先に降りてこの子の親探すわ」
「は、はい。」
 そうしてみつまるさんは救助しているパトロールの人に一言告げて、先に子供と降りて行った。二人を見守って振り返ると応援のパトロールの方がオレンジの大きなソリと共に滑ってきていて、救助現場は慌ただしくなっていた。

 救護室はセンターハウスの横にあって、そこにはすでにナックさんが運ばれていた。私は応援に来た別のパトロールの方とナックさんが運ばれた後から滑って降りて、あきふゆさんたちと合流する事ができた。
 降りてきたらあきふゆさんが泣いてた。さっきの子供よりも。
「い、いつみん〜大丈夫だった〜?」
 多分ナックさんが大丈夫だったか?と訊きたいのだろう。
「意識とかあったですし、もう運んでもらったから……」
 私もこの答え方で良いのかわかんないけど、とりあえず答えた。みつまるさんは子供が持っていた電話番号を頼りにパトロールの人と携帯で電話をしている。子どもの親が自分の連絡先を持たせていたようだ。
 オレンジ色のソリみたいなものに乗せられて運ばれたナックさんは、ソリに乗ったまま救護室に運ばれた。私はパトロールの人からナックさんの板を預かって、その場であきふゆさんと状況を見ていた。
 さすがにショックだ。怪我なんていいもんじゃ無い。運ばれたナックさんを見て、私は高校の最後の夏に負った怪我のことを思い出して左肘をさすった。
 
 長年酷使されてた私の左肘はもう限界だった。その時よりずっと前から痛みや違和感は感じてたけど、その日のためにチームが必死になって練習を追い込んでいる中で……私は我慢することを選んでしまい、その限界が大切な試合の前の練習試合でやってきて、肘が砕けた。砕けた小さな骨は神経や靭帯を傷つけてしまって、手術で見た目は元通りになったものの、実は私の左手の薬指と小指はあまり動かせないし、握力は弱くなって手を返すことが少し不自由になった。もともと右利きで日常生活には支障がないし、怪我のことは言わないと気づかれないだろうけど、あの瞬間からバレーボールは2度と出来なくなった。定期的な通院は今も続いている。

 そんな経験が蘇る――
「いつみん?」
 そんな私の顔色を察したのか、泣いてたあきふゆさんが私に話しかけてた。
「あ、すみません、……色々ショックで。」
「あ、うん。私も泣いちゃってごめんね。大人なのに。」
 気温のせいか泣いたせいか鼻を赤くしているあきふゆさん。あきふゆさんは少し落ち着いたのか、なんとなく視線が合わせられるようになってた。
「……連絡取れたわ。こっちに来れるっぽい。」
 子供の親と連絡をとっていたみつまるさんがこちらに寄ってきて話しかけてきた。子供はパトロールの女性隊員が対応を引き継いで、ナックさん以外の3人が集まった。
「あとはナックさんだよな。くっそ、あのスキーヤーまじ許せねぇ……」
 みつまるさんの声はあまり大きなものじゃなかったけど、その言葉に怒りを大いに感じる。さっきまではびっくりするぐらい冷静で、頼りになったみつまるさん。だけど今ははっきりと怒りを感じる。
 それを聞いた私は言葉に表せない。いろんな感情や言葉が一度に現れて、みつまるさんに相槌すら打てない。
「……あ、あたし、一応伝えといたよ。犯人の特徴。」
 あきふゆさんは最初の通報の時、ぶつかってきたスキーの人の特徴を伝えておいたそうだ。青いスキーウエアで白いヘルメット。ゴーグルは黒で手袋は白。その特徴は私の記憶の中のと一致している。同行していた人は同じような青いウエアで、少し小柄でピンクのヘルメットだったように覚えている。
「事故る前でもあれ、わざとだったよな。」
 事故る前というのは多分私たちが雪をかけられた奴だと思う。
「あたしもそう思う。それにナックさんがいなかったら子供が危なかったと思う。」
「だよな。あれはああいうスキーヤーだきっと」
 ああいうスキーヤーという言葉に、私は疑問が芽生えた。
「――ああいう?」
 詰まる声を出して訊くと、みつまるさんが答える。
「たまにいるんだよ、邪魔な奴のギリギリ通ってわざと雪をかけていく奴。」
「スキーヤーに限らないけど……」
「ボードでもたまにいるよな――
 そこで救護室から声がかかって、話が中断した。
「お連れさん〜!中にいいですか!」
 呼ばれて私たちはナックさんの運ばれた救護室に向かう。そこから私たちが入るより先にナックさんを運んだ大きいオレンジのソリが運び出されて、入れ替わって私たちが入った。
 救護室の中はそんなに広い部屋でなくて、保健室のような雰囲気だったけどその中央にナックさんが寝かされていた。ナックさんの赤いウエアは左足が半分切り取られて、膝の辺りから下にに真新しい白い布が巻かれて、その下はスキーブーツが脱がされて発泡スチロールみたいなもので固定され冷やされていた。出血があったからかナックさんは床に寝かされて、その処置された足だけ丸めた布団で上に上げられている。
「ナックさん!大丈夫!?」
 入るとすぐにあきふゆさんが声をかける。
「ははっ。骨折やばいね。救急車だわ。」
 気丈に首だけ起こしながら答えた。それに言い足すように、最初に手当をしてくれていた副隊長さんが言う。
「切り傷と骨折なんですが、おそらく縫う必要があるのと骨折があまり軽くない様子だったんで、本人同意で救急車呼ばせてもらいました。お仲間は全員お揃いですか?」
「あ、はい。」
 みつまるさんがそれに答える。
「であれば救急車が到着まで早くても20分くらい――年末なのでもう少しかかるかな、まぁ30分ぐらいと思って貰って一人は同行の準備をお願いします。それと今回事故なんで、事故状況を記録したいのでご協力下さい。」
 副隊長さんが今後のことを説明してくれる。
 救急車――。
「となると、同行は俺かあきふゆさんか。」
「そうだね。だけど車どうするの?」
「置いてくしかなくね?ナックさん、車どうします?」
「あ〜。置いてけばいいよ。車なんかあとでどうとでもなる。悪いねぇ」
「ナックさんは全然悪くない!悪いのはあのスキーヤーだよ!」
 あきふゆさんの言うとおり本当にそう思う。
「じゃあ、あたし同行するよ。みつまる君、ナックさんの車で来てよ。あたしの車置いてってさ、あとでタクシーで取りに来ればいいし、ナックさんと病院から帰るのも困るでしょ?」
「おーけー、そうしよう。だったらあきふゆさん準備して?」
「わかった、一回車行ってくる。ナックさん、鍵は出せる?」
「あ、さっきパトの人に預けといた。」
「これですね。」
 あきふゆさんがナックさんの車の鍵を預かる。
 そうして救護室から出て行こうとすると一度副隊長さんが呼び止めて、必要なものを伝える。
「必要になるんで彼の靴を持って来れます?あと急がなくても救急車はすぐにはこないんで、準備は慌てないで気をつけて。彼の財布や免許証は後追いのお友達に任せて、自分の支度と貴重品を忘れずに。お友達同士の連絡でスマホは必須になりますから、必ず忘れずに。」
 副隊長さんから指示をもらって救護室を出ていくあきふゆさん。私はパトロールの方が事故状況を確認したいと言うことで、隣の部屋に移って話をすることになった。
 

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