【それは努力の証】あなたを恥から守る当たり前の力
こんばんは。まひろです。
今日はいわゆる【当たり前】や【常識】と言われる「出来て当然」と思われがちな事にも
希望がたくさん詰まってるんだよー、という事についてお伝えしていきたいと思いまーす。
今回の話は以下のように…
と、自己嫌悪になってしまう方へ向けて書いております。
そしてそんな方が…
と、ちょっぴり勇気が持てる事を目指して書いていきます。
それでは見ていきましょう!
当たり前と聞くと…?
あなたは【当たり前】と聞くとどのような事を想像しますか?
このように【当たり前】と言われると、
「人間に生まれつき備わった機能」のようなニュアンスで使われる方はとても多い印象に感じます。
僕自身もそのように考えていた時期があったのですが、これには【2つの悲劇】があります。
当たり前から起きる悲劇
その①:自己嫌悪に陥る
まず1つ目は【自己嫌悪に陥りやすい】点にあります。
当たり前と言われるような事には、先にも述べた通り「出来ていないとおかしい」と感じる所にあります。
周囲の大多数が出来ていること
(学校の宿題を出したり、決まった時間に仕事に行く事など)は、
そうであるが故に「自分も出来て当然」と思いたくなりますよね。
ですが、もしこれが出来なかった時(宿題を忘れたり、仕事に遅刻してしまったり)は…
と自己嫌悪になる事ってありませんか?
もちろん程度の差こそありますが、そのように感じると、
胸の奥が締め付けられるような思いになる事もあります。
これはその時1回限りであれば大きな影響にはなりませんが、
慢性的になると、第2の悲劇に発展します。それは…
当たり前から起きる悲劇
その②:挑戦することが怖くなる
当たり前から起きる2つ目の悲劇としまして、【挑戦することが怖くなる】事が挙げられます。
なぜこのように感じるかと言いますと、
【自己嫌悪が人に恥の感情を作り出す】からです。
【恥】の感情を抱くと、「自分は認められていない」という疎外感を抱きがちになります。
疎外感を抱くという事は「そこに自分の居場所がない」という認識にも繋がり、それは人にとってものすごく辛い体験となります。
慢性化すると悪循環に
そしてそれが慢性化してしまうと、
と感じて、心理学でいう所の【学習性無力感】という状態に陥ります。
そのようになってしまうと、
と怯えるようになってしまい、挑戦が怖くなってしまいます。
挑戦をするという事は【今出来ない事を出来るようにする為の必須材料】である為、
その挑戦という材料が使えないと更に失敗してしまう、
という悪循環になりかねないのです。
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