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わたしのいきざま

〜重度障害者に生まれて〜

67年間の私の考えと生き方について

私は生まれつき 身体に障害を抱えて生まれてきました。

 母親のお腹から出るまでにすでに仮死状態のまま生まれてきました 。

 今から思えば何かの宿命とも言うべき人生を歩まなければならない自分自身だったと今つくづく思います 。


 私自身、障害を抱えて生まれてこなければいけない理由があったのだと思います。
自分の過去に犯してきた罪深い 自分自身なのかと今つくづく思うようになっています。

 多分、自分自身が 生まれる前人を困らせるようなことを平気で行なっていたのだろうと思います。

誰の生まれ代わりなのかはわからないけれど、不自由な体に生まれて来なければいけない理由があったはずです。

 
ルーツに触れ、私のおじいさんの話を聞いただけでも、今の自分の置かれている不自由な 生活を送って行かねばならないことは分かります。

 本当に人間の宿命というものは決められた人生を生きていかねばならないのですね。


そして、
現実障害者に生まれた私がいます。
そこを認識し繋がります。
自分は真っ当に生きたい。
その想いを軸に正義をかざしました。

そのため、私は誰にも負けない精神が育まれ、障害者の負けず嫌いになっだのだと思います。


そして物心がついた頃から我が家は決して裕福な家庭環境ではありませんでした。
生活をするために母親は 私の世話に時間を費やす暇はなく、生活費を作るために忙しくしていました。
障害のある私のそばについて行き届くようなお世話時間はがりませんでした.

 物心がついた頃から 自発的に工夫をしながら、毎日を過ごしてきました。

それで、今の私があります。
負けず嫌いなのです。.

今から思えば その過程からの今は、
障害の身体を持った私にとってはよかったのだと思っています。.
 
例えるなら
雑草の如く、踏まれてもへし折られても地面から這い上がって 生きていこうと する 心が宿ったんだと 思います。 

その心が宿るために きっかけを 作らせてもらった出来事 がありました 。 

それは 私が 7つの時でした。
 何を思ったのか父が信仰をと、
これからするので日蓮正宗の お寺に行こう 家族全員が連れられました。
 その宗教に 家族全員で入ることになりました。 

何も分からなかった私は言われるままに取り組み、気がつけば 母親と 私だけが 今日まで 完璧とはなくとも 親の意思を継ぎ 現在まで 保ちながら 続けてきた結果 今の自分が 構築されてきたんだと思っています.

 今つくづく思うのは
私の強い挫けない心に育ったのは
導いてくれた同じ目的に向かう信仰心を持った仲間の励ましがあったからです。
私の今日ある姿を応援してくれた母親に今、感謝の気持ちで いっぱいです。

本当にその信仰に出会っていなければ 今の自分はなかったと思います.

今まで長生きできたのも障害を抱えながら 一般の人と 社会生活 を行って行くことは到底できなかっただろうと思っています。

 親のおかげを常々意識し日々を過ごしています。

普通では わたしのように 重度の 体を持った ものにとっては 普通では 考えられない この状況のはず。
変わらず68年の間、 生きてこられて 障害者の中で 私ほど 重度の身体で生まれたにも関わらず 好き勝手に 生きられたことに奇跡としか言えません 。

それに その当時、通常では 社会的に各地域でも障害者に差別が しっかりとあったのに不思議なことに 私だけは 厚かましいのかどうかは分からないけど 幼い頃なんかは近所の子供達と遊ばせてもらってました。

 近所の人からあっちゃん といつでも 呼ばれて可愛がられたものです。

 また 中学高校 時代から 前向きな 性格の持ち主だったため あらゆることに興味を持ちました。
 青春真っ盛りです。
重度障害者のわりに 生徒会会長を立候補させてもらいました。その念願は叶いませんでしたが、アホと言っていいぐらい 何に対しても 積極的にがむしゃらに取り組んでました。

そんな性格の持ち主 だったのです。

 負けず嫌いの私は年齢を重ねるたびに あらゆるものに挑戦を 試みました。

ある時は 障害者福祉に興味を持ち 45年近く今まで 続けて 障害者の自立をめざし 団体結成 に力を注ぎました。
幸いなことに県知事からの表彰やサンテレビ出演も経験させていただきました。
20歳からただ今68歳。
人生の大半を歩んできました。 
障害の体を抱えながらも 結婚と言う 課題にも 取り組み 13年間の結婚生活まで 経験させてもらいました。
自分は本当によかったと思っています 。

事業に関しては、最後まで 続けられなかったのですが 自営業、そして生活設計を組み立て
20数年間 自らを取り巻く背景に目を向け介護業界にも顔を突っ込み関わらせていただきました。

今思うに 障害者ながら笑顔を絶やさず 誰とでも気軽にしゃべって友達 になっていけるこの性格が活き 過ごしてこれたこと。
これは両親による、私がいたからこそ 宗教に目を向けて入ってくれたはず。

不自由な体を抱えながらも自由気ままに人生を送ってこられたんだと思います。
両親に感謝です。

そして余生、
私の人生で 笑顔を絶やすことなく 
前向きな精神を持ち
 人生総仕上げとしての歩みを
 続けたいと 思っています 。




私の人生の中で 
これだけは 守ってきたことがあります 

それは 障害という2文字にとらわれないということ。

両親にも 障害のことをなんでこんな 体に生まれたんだと責め立てる言葉は 1度もしなかったということ.

これからも 障害に屈することなく 明るく 前向きに 生涯を終えたいと 願っています 。
これが 私の生き方であります。
信仰者として生きてきた誇りがあります。 

笑顔 絶やすことなく
 一生を 終えて行きたい。

 そして 臨終を迎えるにあたっても 
私の 特権でもある「笑顔のままで」
死んでいくのが 私の唯一の 願いでもあります。

 実際に迎えられれば 生きてきた 証と考えています。 


あと何年生きられるかは分からないけど、人生の総仕上げを精一杯、障害のある体ではありますが 障害者のために 良い手本になり役立てる 自分として 示していきたいと考えています。

これが 私の生き様です。


いつも文章見てくださりありがとうございます!感謝です。

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